ナタリー PowerPush - 山根万理奈
ネット動画サイト発の新鋭シンガー 初の本格インタビューで素顔を明かす
人前で歌う理由がわからなくなった高校時代
──そこからは路上ライブ三昧の日々を?
そうですね。松江市には路上ライブをやってる人が集まる憩いの場みたいなのがあって、そこによく行くようになりました。1人で歌ったりはしないんですけど、誘ってくれた男の子と一緒に出たり、そこで知り合った人と一緒に出たりとかして。自分はギターを弾かずに、歌専門で。ゆずさんのカバーを歌ったりしてましたね。で、あるとき違う中学の同学年の女の子に出会ったんです。その子と私は同じ高校を受けようとしていたんで、周りの仲間が「だったら2人で組んじゃえよ」みたいな感じになって。
──ユニットを?
そうです。で、2人とも同じ高校に合格できたので、そこから本格的に一緒にやり始めたんです。“ベリーベリー”っていう名前で。オリジナルも作り始めたし、ギターも真剣にやり始めたりして。高校に入ってからは路上にもよく出たし、ライブハウスに出たりもしましたね。
──その当時作ってたオリジナルの曲はどんなものでした?
ラブソングばっかりでした。ただ、相方も曲を書いてたんですけど、私とはまったく違った内容だったんですよ。私が作るのはひたむきに相手のことを思うほんわかしたラブソングなんですけど、相方はちょっとドロドロした失恋ソングで(笑)。見た目も、私は背が低くて子供っぽく見られるけど、相方は背が高くて大人っぽくてグラマラス。すごく対照的だったんで、面白かったですね。ライブをやると意外と評判も良かったんですよ。ギターは2人ともヘタクソでしたけど、相方は元合唱部だったのでちゃんとハモれたから歌はしっかり聴かせられていたというか。今でも「“ベリーベリー”の人ですか?」って当時を知ってる人が現れたりもするんで、やっててよかったなって思いますね。
──そのユニットは長く続いたんですか?
いや、それが結局、私がつまづいたんですよ。私には歌手になるっていう夢が小学校の頃からあったんですけど、実際に路上とかでライブをするようになると、私には人前で歌う理由があるのかな、そもそも私は人に聴かせたくて歌ってきたのかなっていう疑問が沸いてきちゃって。単純に好きで歌ってるだけなら、家で歌っとけよって思っちゃったんですよね。応援してくれる人もいたけど、そんなことを難しく考えてるうちに人前で歌いづらくなっちゃって、結局、高2の秋で解散しちゃったんです。
──きっと歌手になりたいっていう夢が真剣だったからこそ迷いが生じたんでしょうね。
そうですね。ただ楽しいだけでやってたら、たぶんそうはならなかったですからね。路上で歌のうまい人ともたくさん出会ったりもしていたので、誰かと比べるっていうことを初めて経験して、その中で私は上に行けるのかな、みたいなことも考えてたんだと思います。
──良い反応をもらえてたことが自信にはつながらなかったんですかね?
私はがんばることと自信を持つことがほんとに苦手で。褒められてもがんばろうっていう気になれないというか。今はそんなことないんですけど、当時はひねくれてたんですかね?(笑) きっと自分の歌を自分で良いって思えてなかったから、人に褒められてもダメだったのかもしれないですね。
もてあました時間で始めたYouTube
──ユニットを解散してからはどんな生活を送っていたんですか?
家ではギターを弾いて歌ってましたし、曲作りもしてましたけど、人前で歌いたいっていう気持ちは起きなかったので、恋愛とか友達関係とか、普通の学生生活をエンジョイしてました。あとは受験勉強も始まるときだったので。解散は自分から言い出したことだったので、それに対する未練はなかったですね。
──進路を決める時期でもあるわけですよね。
そうですね。高3になって行きたい大学を決めました。あ、そうだ。その秋に、文化祭で1人で歌ったんですよ。自分の歌人生にピリオドを打とうと思って。YUIさんの「crossroad」と尾崎豊さんの「I LOVE YOU」、あと銀杏BOYZの「東京」を。それで自分の中ではスッキリ、もう終わろうって思えたんですよね。
──大学に入ってからは?
大学は自分の行きたかったところに行けず、地元の短大に行くことになったんですよ。そこで軽音楽部に入ってバンドを始めました。
──お、音楽は辞めなかったんですね。
正直に言うと、未練があったのかも(笑)。諦めたと思ってても、ずっと頭のどこかに音楽はあったので。ただ、歌手になろうっていう気持ちではなく、自分で楽しむスタイルでやろうっていうコンセプトに変わってはいましたね。普通に楽しくやろうねっていう。
──なるほど。
で、バンドでボーカルをやっていたんですけど、その軽音部はウチらの代が作ったので、部室もないし、活動する場もあんまりなくて。練習自体、あんまりできなかったんです。そこで、もてあました時間に始めたのがYouTubeだったんです。
──記念すべき初アップは2009年4月2日でしたね。
はい。YouTubeはずっと観ていたし、いろんな人が弾き語りの動画を投稿していることも知っていたので、自分がそれをやることに躊躇はありませんでしたね。でも、初めて上げたやつは、顔はもちろん、体も一切見えないんですけど(笑)。
──真っ黒な画面のまま、歌だけ聴こえてくるっていう。
やっぱりどうしても自分だっていうことがバレたくなかったんですよ。歌を聴いてもらうこと自体に抵抗はなかったんですけど。で、どうしていいかわからなかったから、カメラのレンズに紙を貼り付けて(笑)。でも、さすがにそれをアップしたときに、面白くないなって思ったので、顔だけ映さないっていう今のスタイルを始めたんです。
──最初の動画に対する反応はどうでした?
最初は全然でした。再生も伸びないし、そもそもどれぐらい聴いてもらえればすごいのかっていうのもわからなかったし。自分としては、誰かが聴こうと思えばいつでも聴けるっていう状態にあることだけで満足だったんですよね。たまに自分で観て、「あ、自分だな」みたいな(笑)。で、最初の頃はけっこうな頻度で上げてたんで、曲が増えてくると聴いてくれる人もちょっとずつ増えていって。そういう中で、私の歌をすごく気に入ってくださった方が、自分のサイトで私のことを紹介してくれたんです。そこで一度ワーっと反応が増えて。そうなると自分もだんだんうれしくなってくるわけですよ。
──それは人間の心理として当然ですよね。
で、YUIさんの「again」ていう曲を上げたら、瞬く間に広がったんです。外国の方からの反応もあったりして。観てもらえなくてもマイナスではないけど、観てもらったら確実にプラスになりますからね。反応がずっとなければ、飽きっぽいほうなので、きっと辞めちゃってたと思うんですけど、聴いてもらえてる、待っててもらえてると思えたので、どんどん続けてこられたというか。あとは、短大でやってたバンドも楽しかったけど、自分にはやっぱり弾き語りのスタイルが合ってるのかなっていうことにも気付けたんですよね、YouTubeを始めてからは。
山根万理奈(やまねまりな)
島根県在住の現役大学生シンガーソングライター。2009年よりYouTubeで、カバー曲やオリジナルの弾き語り映像を公開する。透明感あふれる声やおっとりしたキャラクターがネットを中心に話題を集め、ファンを獲得。その存在が現在所属する事務所スタッフの目に留まり、2011年6月に山音まー名義でニコニコ動画で人気を博している楽曲をカバーしたミニアルバム「人のオンガクを笑うな!」をリリースする。同年7月にワーナーミュージック・ジャパンから、シングル「ジャンヌダルク」でメジャーデビュー。