wyse結成22周年インタビュー|歩みを共に 心を合わせた4人の思い

wyseが2月11、12日に結成22周年を記念したライブ「心合わせ」を開催する。

これまで解散と再結成、2019年の約1年に及ぶ“充電期間”という山あり谷ありな出来事を乗り越えて歩みを続けてきたwyse。充電完了後の再始動から間もなくコロナ禍に見舞われた彼らだが、そこには20年超の歳月を共に過ごす中で築いた信頼があったという。

音楽ナタリーでは長きにわたり活動してきたwyseの22年間を振り返りつつ、メンバーそれぞれの思いや、アニバーサリーライブにかける意気込みなどを聞いた。

取材・文 / 秦野邦彦撮影 / 後藤壮太郎

山あり谷ありでも、ちゃんと意味があった

──音楽ナタリーでのインタビューは、2018年に手塚プロダクションとのコラボシングル「ヒカリ」リリース時に実施した手塚るみ子さんとの対談(参照:wyse×手塚るみ子|110万馬力で駆け抜けるコラボプロジェクト)以来となります。

TAKUMA(Vo, B) もう3年前になりますか。あっという間ですね。手塚プロさんとのコラボレーションではファンの方はもちろん、スタッフ、友人含めいろんな方々に喜んでもらえるものを作れたんじゃないかという気持ちが大きかったので、新たに自信を持つことができたとても大きなポイントだったと思っています。

──20周年記念ツアー後の2019年2月にバンドは充電期間に入り、同年12月に手塚プロダクション制作のアニメと新曲「RAYS」で復活を発表。2020年2月に21周年記念ライブを開催しました。コロナ禍が本格化する直前に活動を再開されて現在に至るわけですが、この3年で世の中の状況も含め大きく変わりましたね。

TAKUMA 改めて振り返るとすごい波ですよね。「ヒカリ」以降も「紺色の森」(2018年10月リリース)という曲をJリーグ ディビジョン1・アビスパ福岡のオフィシャル応援ソングに選んでいただいたり。いろんなアプローチをしながらも、さらなる高みを目指すためにメンバーで話し合い、充電期間に入ることを選択したわけですが、いざ立ち止まってみると自分たちが思ってる以上に今の世の中とその時の流れの速さを実感して。そこから数カ月先を見たとき、このまま完全に止まってしまうと僕ら離れていってしまうんじゃないかと思えました。そうなってはいけないし、なりたくはなかったので、しっかりと形を示し、戻るべきその時をイメージしながら新曲「RAYS」を作りました。今だったらSNSなりさまざまな形で自分たちを発信することもできるけれど、そうではなく、やはり音楽で示すべきだとそう僕たちは考えるので、アルバム「Thousands of RAYS」でさらに意志を示して……今思えば山あり谷ありですけど、ちゃんと意味があったのかなと振り返ってそう思いますね。

TAKUMA(Vo, B)

TAKUMA(Vo, B)

──充電期間からコロナ禍にかけて、皆さんはどのようなことを考えていましたか?

HIRO(G) さっきTAKUMAが言ったように、このまま休んでるわけにはいかないなっていうのは自分も頭の中にありました。そうした中で新曲が何曲かできて、再始動を決めた途端、想像もしていなかったコロナ禍の世の中になって。まったくの偶然なんですが。それがなければ……っていうifの未来を考えることも正直ありましたが、結果的にこうなってしまったので受け入れるしかなかったですね。

TAKUMA あそこで再スタートを切ってなかったら……きっと僕たちはそのあともずっと動き出すこともできずに止まったままだったと思う。

HIRO たぶん復活できてなかったよね? なので長々と休止してるわけにはいかないと思ったのは正解だったかもしれない。

月森(Vo) 僕は精神的な整理がついていたので、意外とすぐ活動できるんじゃないかなと思っていました。充電前のラストライブが終わった瞬間、まだできるなって。案の定みんな同じような気持ちでいたみたいだったので、よかったなって。自分の心の中の整理をどうつけるか、納得できるタイミングがどこで来るかでしたね。

MORI(G) ここまでみんなが言ってきたことがすべてだと思いますし、それぞれ捉え方はあるとしても、あの充電期間はwyseが前に進むために必要な時間だったので。TAKUMAが言ったように活動休止が明けて1回でもライブができる状況があったからよかったですけど、充電期間のままコロナ禍に突入していたらと思うと、ちょっと怖いですね。再始動から先はコロナ禍の中でも、配信ライブのように状況に合わせて「こういうこともできるよね」という共通意識が持てましたし、あのタイミングで活動再開の未来を用意できていたのはよかったですね。

──昨年5月にリリースされたアルバム「Thousands of RAYS」は、くっきー!(野性爆弾)さんの描き下ろし絵画を用いた「Last Letter」のミュージックビデオも話題になりました。収録曲の中にコロナ禍を意識したものはあったんですか?

TAKUMA アルバム制作時はコロナと世の中の意識は切り離して考えていました。むしろ「果たして今アルバムを作るべきなのか?」「音楽って今必要なのか?」というところまで僕らも考えましたし、考えさせられました。ただ、僕らとしては先は見えなくても作品はしっかり作ろうと。ツアーもどうなるかわからない……結局中止になったんですけれども、最後の最後まで準備は進めるし、状況がよくなったときに準備が整ってないから中止というのは絶対にあってはいけないと。これまでもwyseはそういう選択を繰り返しながら準備をずっとしてきましたが、「自分たちが今出すべき作品ってなんだろう?」「充電期間に入った意味はなんだったのか?」などいろんなことが問われるアルバムだったと思うので、今のwyseがちゃんと表現されていることに意味があるんじゃないかという話はメンバー間でもずっとしていましたね。

──月森さんはいかがですか? メインボーカルとして、いろいろ考えたこともあったのではないでしょうか。

月森 コロナ禍の自粛期間中に関しては、正直かなり病みました。みんなのためにライブをやってあげたい、でも……みたいな。僕らができることなんて、いつか来る日のために準備しておくことぐらいしかないので。これまでに培ってきたファンとの信頼関係で……耐えるって言い方はおかしいですけど、お互いできることをやれたのかなとは思います。現時点では僕たちも楽しめているし、楽しませてあげられているんじゃないかという実感もあるので。

月森(Vo)

月森(Vo)

──リリース後のツアーが中止になった直後に「Thousands of RAYS ZERO」と題した無観客配信ライブをYouTubeで無料開催したり、ファンの方との距離感をずっと考えながら活動していた印象があります。

TAKUMA そうなれていたらうれしいです。コロナ禍になって、wyseはわりと早い段階でオンラインでの配信ライブというスタイルを取り入れたわけですが。もとよりwyseは自分たちがやりたいことをやるのではなく、相手にしてあげたいことはなんだろう?ということが基準なんです。だからコロナ禍の状況になっても例えば、土地ごとでいろんな状況があるだろうけれども、ファンの方と1人でも多くつながり合うそのチャンスとして何が作れる?とか。作品をリリースするにしても、この作品が今届くことで何かポジティブな要素になるんだったらがんばりたいよね、それが自分たちの役目だよね、みたいな。その先にファンの方がいるから僕たちはがんばれるわけで、その思いがつながっていなかったら活動する必要がない。この年齢になると、なおさらそう思うんです。

この年代になっても互いを思い合えるし、信頼し合えている

──今年はwyseにとって、2005年の解散後2011年に再結成してから10年という節目の年でしたが、結成当初のwyseはどういう音楽を届けたいと思ってスタートしたのか、改めて伺わせてください。

MORI 僕らは先輩方が開拓してくれたあとの世代で、数自体はそんなに多くなかったですけど、いろんなカラーのバンドが周りにいた印象はありますね。そうした中で音源を聴いたときに耳触りよく、歌詞もちゃんと心に届くような、しっかりとしたメッセージのあるものを届けようというのは、始めた頃から僕たちが大事にしてたところかなと思います。wyseはメンバーそれぞれが認め合い、尊敬し合えるところから集まったバンドなので、最初からそれぞれの個性がそのままバンドのパーソナリティになればいいというプロデュース方向でした。

──皆さん個々でそれぞれ活動しながら、いざ集まったときに発揮される爆発的な力が20年間ずっとキープできているのは素晴らしいことです。

TAKUMA 大人になれたことも大きいと思うんです。wyseを始めた頃は年齢で言うとMORIが20代半ば、僕は10代。そこから同じ時間、人生を共にしてますから。上京してからのほうが故郷で過ごした時間より長くなったり、プライベートも含めていろんなことを共にしながら今日まで来たので。振り返って本当にいろんなことがお互いにあったねってそう思います。結成当初に話していた音楽の方向性やライブの方針は今振り返ると懐かしいし、あの頃だからできたものと思うと同時に、今もまだその途中なのかなとも思えたり。この年代になってもお互いを思い合えているし、信頼し合えていると感じてます。

wyse

wyse

──強いですね。重ねてきた時間がこれだけあると。

TAKUMA それはファンのみんなに対しても言えることで。思い合えるから信じ合える、そうなっていたらいいな、と思うところはあります。

月森 結成した頃“キテる曲”を作るバンドになるって、ずっと言ってなかった? そのときはみんなすごく理解してたし、なんとなくはわかるんだけどけど、改めて今考えるとどういう意味だったんだろうと思って(笑)。

MORI 若い頃にしかわからない感性じゃない? 各々が勝手に解釈してただけで。

TAKUMA 10代後半、20代前半で考えたキテる曲というのは、きっとその頃のものなんやろうし。今の俺らがそれを目指してもフィットせんのと、それでは思考と時間が止まったままということになるな(笑)。うちは特にドラマーが変わって、その後はサポートしていただきながらいろんな方とセッションしていた時代があるから、それでも変わるし。時代ごとに楽曲のテーマとか方向性も変わってますから。だからこそ今この時代においても進化、成長を繰り返して音楽ができているんだと思います。