大塚 愛インタビュー|「LOVE IS BORN」をWOWOWプラスで生中継、ファンとともに祝福する19thアニバーサリー

大塚 愛のアニバーサリー&バースデーライブ「LOVE IS BORN ~19th Anniversary 2022~」の模様が、9月11日(日)にWOWOWプラスで生中継される。

「LOVE IS BORN」は大塚が2006年より定期的に行っている恒例イベントで、今年は3年ぶりに東京・日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)にて開催される。音楽ナタリーは、ライブの開催とWOWOWプラスでの放送を前に大塚にインタビュー。これまでの「LOVE IS BORN」での印象的なエピソードや9月に開催されるライブへの意気込みについて聞いた。

取材・文 / 西廣智一撮影 / 山口真由子ヘアメイク / KUMI(lodge coop)

「ここからまた1年お願いします」という会

──大塚さんのデビューアニバーサリー&バースデーライブ「LOVE IS BORN」がスタートしたのは、デビュー3周年を迎える2006年9月9日のことでした。

たぶんデビュー以降で一番バタバタしていた時期だったと思うんですけど、当時はなぜライブをやるのかがよくわかっていなくて。マネージャーから「こういうライブをやるよ」と言われたんですが、最初は「なんで私、自分の誕生日に働くんだろう?」みたいな気持ちだったんです(笑)。

──大塚さんの場合、誕生日(9月9日)とデビュー日(9月10日)が並んでいますし。

21歳になった直後にデビューしたので、どうせなら20歳デビューのほうがスッキリしたのかなと思うこともあります(笑)。

──なるほど(笑)。2006年の初回が初めての日比谷野音公演でしたが、何か記憶に残っていることはありますか?

当時はまだライブの経験も少なかったから1つひとつに必死で。正直なところ、人様にお金をいただけるようなものができていたのかなと思いつつ、まだ若かったので「野外ライブ、楽しい!」みたいな感じだったんじゃないかな。あと、1回目のときだったか記憶があやふやなんですが、ステージ上にセミが“こんにちは”するんですよ。私、虫が苦手なのでステージに来られるともう歌うどころじゃなくて(笑)。しかもバタバタするので、ちょっと怖かった記憶がありますね。

大塚 愛

──この2006年の初回を皮切りに、「LOVE IS BORN」は翌年以降恒例化していくわけですが、普段のライブツアーとの差別化はどのように考えていましたか?

いつ頃だったのか記憶が定かではないんですが、自分がやっている音楽性があまりにも幅広いし、アルバムによってはファンの方々の好みも分かれるから、せめて「LOVE IS BORN」だけは新旧ごちゃ混ぜにした、セレクトショップのような感じで届けることで、新しく来てくれる方と今までの活動を知ってくれている方みんなに楽しんでもらえるものにできたらいいなと、自分の中で位置付けできるようになりました。今では「感謝祭」と呼んでいるんですけど、私たちの中では9月10日をお正月として、「ここからまた1年お願いします」という会にできているんじゃないかと思います。

──これだけ続けるのも、なかなか大変ですよね。2011年はお休みしているものの、2021年までに14回開催されているんですよ。せっかくの機会なので、大塚さんの中で印象に残っている過去の「LOVE IS BORN」を3つ挙げていただけないでしょうか?

そうですね……海外でやった年(2008年)も印象が強いですし、妊娠中にやった「LOVE IS BORN」(2010年)も思い出深いし。あとは、15周年(2018年)でシングル曲ばかりやったときは大変だったなあ。

──では、1つずつお話を伺っていきます。2008年のデビュー5周年は東京や大阪の野音に加え、台湾でも公演を行いました。

これが初の海外公演で、自分にとってかなり大きな挑戦でした。現地の文化などについての知識も浅く、いろんなことがわからないまま行ったんですが、向こうのお客さんの熱量が異常に高くて。まるで大スターのように扱ってもらえたことが、今でも強く記憶に残っています。

──日本のお客さんとも異なる熱気だったんでしょうか?

イントロが鳴るだけで歓声の圧倒感が全然違っていて。音楽だけで2時間弱を一緒に過ごせるのって、すごく不思議なことじゃないですか。なのに、ずっと仲良しだったかのように盛り上がってくれて、しかも日本語で歌ってくれるんですよ。日本以外でこんなに私の曲を聴いてもらえているんだって初めて実感できたことは、すごくうれしかったですね。と同時に、これだけ曲が愛されていると知ることで、責任感が急激に芽生え始めたりもしました。

大塚 愛

“自分が誇りに思えない大塚 愛”のまま終わるのはどうなんだろう?

──続いて、2010年の7周年ライブについて。ちょうど産休に入る前、最後のライブだったかと思いますが、当時はどういう心持ちで臨んだんですか?

まず、子供を授かるという人生の一大イベントが控えていたので、その頃は活動がどうなるかということが頭になかったんです。それよりも、日々体調がそんなによくはなかったですし、いつ流産してしまうかわからない状況だったので、ライブを2日間もやるとなるとかなり心配で。その頃、aikoさんからメールをもらったんですが、「ここで活動が1回止まることで、たぶんすごく不安だと思うけど」って書いてあって、そこで初めて「あ、そこは頭になかった!」と気付いたくらいです(笑)。

──人に指摘されるまで気が回らなかったと。

そう。「そっか、ここでしばらくグッバイなんだ。もしくは、もうこのまま本当にグッバイかもしれないんだ」ということを、直前になってやっと理解して。ファンのみんなと最後のライブみたいな感覚もありつつ、常に体の不安も抱えていたから、いろんな思いが交差するライブだったなあ。それこそライブが終わったあとも、お腹の具合がよくなかったので病院に直行して子供の心拍を確認して。

──普通の心情で語りきれないライブですね。

そうですね。でも、ライブ中は応援してくれている人の気持ちがすごく伝わってきましたし、歌いながら「ここまでやってきたことの結果が今、出ているんだ」と感じました。

──お休みに入ってしまうけど、ファンの皆さんにとってもすごくめでたいことだし、祝福して送り出そうという空気が会場中に満ちあふれたんでしょうね。

だから、ちょっと引退ライブみたいでしたよ(笑)。裏でもスタッフやバンドメンバーが寄せ書きをしたアルバムをプレゼントしてくれましたし。

──それまでの活動の締めくくりみたいなライブだったんですね。

はい。あと、このときは「プラネタリウム」で本物の花火を上げたことも印象的でしたね。ステージからは見えなかったんですけど、やっとこんなにファンタジックな演出が実現できたんだという感動がありました。

大塚 愛

──となると、産休を挟んで2年ぶりに開催された2012年の「LOVE IS BORN」は、気持ち的にもまた違った形で臨めたのではないでしょうか?

「もしかしたらこのまま辞めるかもしれない」ということも頭によぎりながらお休みに入ったんですが、子育てが思っていた以上に大変で。日々子供のことで頭がいっぱいで、そのあとの自分の活動についてはほとんど考えていなかったですね。実際、当時のマネージャーに「もうこのまま表に出ないで、作家としてやっていくのもありかもしれない」という話をしたことがあるんですが、そうしたら「もったいないじゃん!」って軽く返されて(笑)。それで「もう1回考えようかな?」と思えたんですよ。もう1つ、お休み中に道で一般の方から「大塚 愛さんですよね?」と声をかけられたことがあって。

──しばらく“アーティスト・大塚 愛”から離れた生活をしていたわけですから、ドキッとしますよね。

そうなんです。自分が“アーティスト・大塚 愛”だということをすっかり忘れていていたものだから、「なんでこの人、私のことを知っているんだろう?」という気持ちになったと同時に、「“自分が誇りに思えない大塚 愛”のまま終わるのはどうなんだろう? ちょっと恥ずかしい思いのまま活動を終えるのは、なんか嫌だな」と思ってしまったんです。だから、2012年の「LOVE IS BORN」は、もうちょっと胸を張って「私、大塚 愛ですよ?」と言えるようになりたいなという決意を込めたライブでした。それこそ、のちのち「映像でもう観たくない」と思わないようなライブにしたいなと。

──ちなみに、今は過去のライブ映像を観ることはありますか?

実家に全部そろっていて、帰省したときに暇ができると観ますよ。「これは表には出せないな」というものから「意外によかったな」と思うものまで、客観的に観られるようにはなったと思います。

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自分の曲との同窓会