WOWOW「くるりの25回転」特集|岸田繁×佐藤征史が語る、回り続けるバンドの今 (3/3)

25年で歌も変わった?

──今回のWOWOWでの放送はいい機会だと思うので、ファンの方には“くるりの在り方”というか、25年間の変化を見てもらいたいですね。そういう見方をされるのはいやでしょうけども(笑)。

岸田 (笑)。僕は自分のことにあまり興味がないから改めて昔の音源を聴き直すことは少ないけど、分析するのは好きやから、たまになんかのタイミングで聴くと「あっ!」と思う瞬間があって。2006年頃から自分のボーカルの語尾にビブラートがかかり始めるんですよ。それまでは完全に棒歌いやったのに、なんでかわからないけど歳を取るごとにビブラートがデカくなっている。

佐藤 なんなんやろね、それ。

岸田 わからへん。ベテランの人とセッションすると、例えば細野(晴臣)さんとか矢野(顕子)さんは語尾にビブラートがガンガンかかるんですよ。ユーミン(松任谷由実)とかもそうかな。若いときはなんでだろうと思ってたんですけど、自分もかかってくるんですよ。

──それは意思とは関係なくってことですか?

岸田 おじいさんになったら盆栽にハマる人が多いけど、若い頃は意味がわからないじゃないですか。そういう感じで歳を取ったらビブラートがかかるんじゃないですかね。

くるり

くるり

佐藤 そういえば繁くんはここ数年、鼻濁音(※ガ行の発声法。鼻から息を抜き、柔らかい発声になったもの)を意識してやってるでしょ? なんでなんやろと思ってたんですよ。

岸田 それな。いくつか理由があって、1つは歌詞書いて歌うときの発声で「おなら」の「お」と、「食べ物を食べる」の「を」は発音は違うから、歌ってたら違うほうがわかりやすい。NHKのアナウンサーとかはそういう発音をするようになってるやん。だから俺は「そこを意識しながら発音して歌うと歌詞が入ってきやすくなる」って大学で教えてんねん。それは俺の独断やけど、松本隆さんの歌詞とかはそういうふうに書かれているし、そう歌われていると思う。それが絶対に正しいとは言わへんけど、俺はそれがお手本やから。もう1つは、俺はもともとすきっ歯で、歯がボロボロになったときに治したんですよ。ほんなら発音を全部変えなあかんかった。

佐藤 歌うときの発音?

岸田 そうそう。すきっ歯の開いてるところでサ行とかタ行、“TH”を発音してたのが治したらできなくなって。「ジュビリー」の歌い出しで「そー」って歌うやんか。歯を治してからなんかマイクのノリが悪くなったからたぶんそうやねん。昔、槇原敬之さんに「歯を治さないんですか?」って誰かが聞かはったんやけど、「僕は自分の歌に自信を持っていて、自分の歌を変えたくないので絶対に治しません」と言っていて。そういうのってあんねやなと。

佐藤 ナチュラルコンプがかかってたんや。

岸田 そうそう。鼻濁音の話に戻ると、自分の中のテーマとしてほかの子音とのバランスを考えて鼻濁音をできるだけ抑えて、強い子音のときだけ当たるくらいにしてコントロールしようとしてるんですよ。でも、そうしているとフガフガ言うてるから、ちょっとそれはやりすぎかなと最近思ってる(笑)。

佐藤 自分は吉幾三さんみたいに聞こえなければいいと思う(笑)。繫くんの中では大きいことだと思いますけど、お客さんも気付かないような変化はいろいろあるんだろうなと思いますね。

岸田 喉も変わるしね。「ばらの花」みたいなのはもう昔と同じようには歌えへん。

花
花

くるりは変化し続ける

──鼻濁音までは気付かなかったですけど、岸田さんの歌の印象はそんなに変わらないけど、歌い方はけっこう変わってる感じがしました。ずっと試行錯誤してるんですよね。

岸田 それはまだ歌い方が決まってないからですね。歌い手としてフロントに立って何かを伝える気持ちはあまり変わるものではないけど、どういうふうに歌うかは変わっているんですよ。そもそもあまり歌に興味がなかったし、今でもインスト音楽のほうが好きだし、「この人みたいに歌いたい」とかもないんです。でも、歌もちゃんと歌わなあかんなと2011年くらいから思い始めたんですよ。そしたら新しい曲を書いたり、誰か歌っているのを見たりしたときに、こういう声の出し方をしてみようとか実験をするようになったんですよね。

──なるほど。そういう変化は気になりますね。

岸田 昔と同じことをやっていても仕方ないじゃないですか。ただ同じことを繰り返しやるだけだと劣化コピーになるから、取り組むときはできるだけ新しい課題を見つけてやれるほうがいいなとは思いますね。

──確かに。ちなみに2009年の武道館公演では、ギターを弾きすぎてメガネが飛んでました。そういう部分でも全然同じじゃない。

岸田 俺、そのとき体重40キロ台や。(甲本)ヒロトみたいやねん(笑)。

佐藤 2009年の武道館はなんにも覚えてない。WOWOWでそのライブだけでも見返してみると面白いかもしれないですね。でも、見てられへんかも。

岸田 こいつムカつくわ、とか思うかもね。

佐藤 (笑)。「奇跡」のサントラの頃にバンドとしてまとまってきたなと思ったのを覚えてるから、2011年くらいから落ち着いてきたんでしょうね。

岸田 音楽的な意欲みたいなものがライブの場とかで出てきたのがその頃だと思うんですよね。2005、6年頃に我々はクリストファーとやってましたけど、当時は「うまい! 音デカイ! 面白い!」くらいの感想で、彼のよさを理解できてなかったと思う。でも、2011年頃からいろんなミュージシャンとご一緒するようになって、ドラマーだけでもあらきゆうこやクリフ(・アーモンド)とかいろんな人たちとやったし、私自身もソングライティングがしっかりしたポップスを作ろうと思うようになった。「奇跡」や「キャメル」みたいな、仕上がりは全然ちゃうんやけど、自分たちの中では絵に描いた餅みたいな曲っていうんですかね、ポップスはこうあるべきみたいなところの黄金律にできるだけ近い曲を書こうと。それまでもいい曲は書いていたと思うけど、奇をてらうことが勝っていたというか。だから2011年頃からメロディがよくて、みんなを裏切らない和声進行があって、リズムもしっかり堅い曲を作ることを意識してた。そういう曲を演奏するときに、一番プレイヤーの演奏力が問われるんですよ。実際にちゃんとできていたかはわからないけど、BOBOとやっていた頃はバンドでとにかく練習しましたし、ツアー中もライブ後にリズム隊だけでリハスタに入ってたんですよ。それくらいストイックにやっていた時期ですね。

くるり

くるり

──それはすごい。

岸田 この曲は何を聴かせるべきだろうと想像して、うまく後ろ盾になるための演奏ができる人はすごいなと思うんです。自分もそうありたい。歌を聴かせるために自分でギターを弾いても、若い頃は「ギターも弾きたい!」という気持ちが強くて、その音で声が聞こえへんとかあったんですよ。それが2011年頃から「今、どれが主役なのか?」と考えるようになって、同じことを佐藤さんのベースからも感じていたんです。アルバムだと「坩堝の電圧」(2012年リリース)くらいから、ベースの感じが変わったなって。

佐藤 普通にベースを弾くってことがその頃からできるようになったんじゃないですかね。BOBOくんとやっていた頃から気配を出さないというか、角を出さず低いところでローの成分と音程が鳴ってればいいという演奏ができるようになったんです。曲によりけりではありますけど、リズムというもの自体を人の楽器に任せてもいいんやと思えるようになったというか。

岸田 音楽は突き詰めれば突き詰めるほど気配消すほうがいいやん。

佐藤 それが難しいんですけど、ホンマそうなんですよね。

プロフィール

くるり

1996年に立命館大学の音楽サークル「ロック・コミューン」内で岸田繁(Vo, G)、佐藤征史(B)、森信行(Dr)により結成。1998年10月にシングル「東京」でメジャーデビューを果たす。2007年より主催イベント「京都音楽博覧会」をスタートさせたり、「ジョゼと虎と魚たち」「奇跡」といった映画作品の音楽を担当したりと、その活動は多岐にわたる。2017年には、岸田による交響曲「交響曲第一番」の初演の模様を収めたCD「岸田繁『交響曲第一番』初演」がリリースされた。幾度かのメンバーチェンジを経て、2021年3月にファンファン(Tp)が脱退したことを機に、2人体制で活動していくことを発表。2021年4月に岸田、佐藤、ファンファンの3人体制で制作した最後のアルバム「天才の愛」をリリースした。2022年1月に大阪・フェスティバルホール、2月に東京・東京ガーデンシアターで結成25周年ライブ結成25周年記念ライブ「くるりの25回転」を開催した。