一筆書きのように完成した「四月になること」
──昨年10月には、くじらさん自身が歌唱した楽曲「悪者」がリリースされました。自分で歌いたいという気持ちは以前からあったんですか?
はい。それと音楽シーンの変化というか、ボカロシーン発のアーティストの方々がメジャーシーンに浸透するようになって、特にここ2、3年で扉が開いてきたと実感したのも大きいです。自分の楽曲もある程度聴いてもらえるようになったし、もう少し活動の幅を広げようと考えたら、自分で歌うのがいいかなと考えて。できることを増やしたいし、楽曲の自由度も高めて、ステップアップしたいなと。
──ソングライティングのことを伺いたいのですが、くじらさんは普段どんな工程で楽曲を制作していますか?
曲によってですが、90%くらいは詞先ですね。例えば今回リリースされる「四月になること」は去年の今頃作ったんですが、冒頭の「春になれば僕ら離れ離れだ」という1節がメロディと一緒に出てきて。そのままサーッと書き進めて、一筆書きのように完成した曲です。
──そこには2021年の春の状況が反映されている?
基本的には世の中の情勢というより、プライベートな思いを歌っている曲だと思います。以前から季節をモチーフにした曲が多いんですが、4月という季節は僕にとっても皆さんにとっても特殊だと捉えていて。新しい環境になったり、学生の人は学年が上がったり。集約すると“出会いと別れの季節”ということだと思うんですが、「四月になること」は聴いてくれる人に対して「みんなにとっての4月って、どう?」と投げかけている感じもあります。
──くじらさん自身、4月に対して特別な思いがあるんでしょうか?
学生の頃は、学年が上がることでステップアップが確約されているし、好きな月だったんですよ。でもある時期から4月が来るたびに社会に出るまでのカウントダウンを告げられているような感じになって。4月が来るたびに「この1年、何も成長できなかった」という不安や自責の念にさいなまれることも増えて、春に対するイメージも変わってきた。春風には心地よさもあるけど「生ぬるくて気持ち悪い」と感じることもある。その両方を受け取れるようにしたかったんですよね、「四月になること」では。
──春に対する不安感は、文学ではよく取り上げられますが、ポップスのテーマにはなることはあまりないかもしれないです。
そうですね。本も好きなので、読んでいて「なるほど、そうなのか」と思うこともよくあって。ただ曲として創作するには、自分の実感が大切で。「四月になること」にはこの1年の自分の変化も反映されていると思います。こういう曲も書けるようになったんだなと、自分でも感じました。
──ピアノを中心にしたアレンジも、楽曲の雰囲気によく合っていますね。
卒業式もそうですけど、春にはピアノで弾き語りできる曲が合うという勝手なイメージがあるんです。この曲も、ピアノと歌、ハモリで成立できる曲を目指していました。最初はストリングスやドラムも入れようかと思っていたんだけど、ピアノの演奏が素晴らしくて、まったく隙がなくて。結果、かなりストイックな構成になりました。
自分が歌うことで曲の幅を広げる
──ボーカルについても聞かせてください。クリエイターの目線で自分の歌を聴いたときに、どんな印象がありますか?
1年くらい前から歌の練習を始めて、今は“ギリギリ商品になるかならないか”くらいのレベルなのかなと。もしかしたら、ボーダーラインのちょっと下くらいかも(笑)。自分なりにいろいろ模索する中で「悪者」「エンドロール」を出してみましたが、自分の曲と自分の声の組み合わせ方は今も試している最中です。みんなの反応を見ながら、探り探りやってるというか。自分の曲に関しては「ここが強みです」と言えるけど、歌についてはまだ何も言えない。ようやくスタートラインに立てたくらいだと思っているので「がんばります」という気持ちだけです(笑)。
──ボーカロイドはどんなメロディも歌えるし、ブレスも必要ない。自分で歌う場合は音域や声量などさまざまな制限がありますが、そのあたりはどう捉えてますか?
逆に自分が歌うことで、曲の幅が広がりました。一番感じるのはシャッフル系の曲。ボーカロイドでシャッフル系の曲を作っても、あまりカッコよくならないんですよ。打ち込みで作ってもうまくいかないけど、弾き語りで歌うと「カッコいいな」と思えるようなる感覚があります。
特別な才能がないからこそ共感できることがある
──「四月になること」以降も新曲のリリースが控えていると伺いました。
はい。「悪者」「ジオラマの中で」「エンドロール」「四月になること」は、これまでの“くじらっぽさ”とはちょっと違うテイストの曲だと思っていて。次の曲はくじららしい、今までのパブリックイメージを凝縮した曲にしたいですね。
──まだ見せてない引き出しもあるんですか?
そうですね、まだ出してない方向性の曲もいくつかあるので。これまでのパターンにあてはまらない歌詞やメロディが出てくることもあるし、もっといろんな曲を作っていきたいと思ってます。あと、クライアントさんからの指定だったり、「こうしてほしい」という依頼によって、新たに発見できることもある。例えば「桜のような僕の恋人」(Netflixで配信中の映画)の劇中歌を担当させてもらったんですが、「ここをもうちょっと派手に」みたいな依頼をいただくたびに、「どうしたらいいんだろう?」と悩みながらも、作った曲が自分の新しい引き出しになったり。それを次の自分の創作に生かせることもあるし、どんどんマンネリを打破していけたらなと。
──歌詞に関してはどうでしょう? 特に自分で歌う曲は、くじらさん自身の言葉が必要になると思うのですが。
そうですね……。幼い頃から自問自答を繰り返しているというか、いろんなことをグルグル考えるタイプだったんですよ。その中で「これは自分だけの発想だ」なんて思うこともありましたが、実はそんなことなくて。だんだん「自分って、まったくもって特別な才能がない人間なんだな」と自覚するようになった。でもだからこそ、みんなに「そうそう」と思ってもらえる曲が作れるような気がしていて。僕がふと思ったり、ちょっと悩んだりしたことって、多くの人も感じたことがあるだろうなと。「最近、こう思ってるんだけど、みんなはどう?」みたいな感覚で歌詞を書いて、「自分もそう思ってた」という人が多ければ、再生数やチャートに反映されるのかなと。
──多くの人の共感を得て、ヒットにつながる。ポップスの理想の在り方ですよね。夏にはニューアルバム「生活を愛せるようになるまで」のリリースも予告されています。
すべて自分で歌うアルバムにしたくて、鋭意制作中です。タイトルに関しては……生きていて、死以外のゴールってなんだろう?と考えたときに、自分の生活だったり、自分が生きてきた道を心から肯定できたり、愛らしい気持ちになることじゃないかなと。今まではことあるごとに「消えてしまいたい」と思うような希死念慮の塊だったんですけど、あるとき「まだまだやりたいことがある」と気付いたんですよね。「ねむるまち」「寝れない夜にカーテンをあけて」をリリースした頃は「結局、最後は死んでしまうんだ」というダウナーな気持ちが強かったけど、今はそうじゃなくて、もう少し生きるほうに意識が向いていて。夏にリリースするアルバムも、そういう思いをまとめた作品になると思います。
──くじらさんにとってもターニングポイントになりそうですね。
今はアルバムを見据えて飛んだり跳ねたりしてる最中で、「この方向性で合ってたらいいな」という感じです(笑)。楽しみ半分、怯え半分なんですけど、あとから振り返ったときに「あのアルバムが大きな転換期だったな」と思えたらいいなと。そのためにも悔いの残らない作品を作りたいです。
──楽しみです。最後に、もう1つ聞かせてください。「普通に仕事はできないだろう」と思っていたくじらさんが、音楽の道を選んだのはどうしてだったと思いますか?
「どうすれば就職しないで生きていけるだろう?」と考えたんですよ(笑)。ほかにも株とかFXとかいろんな方法を考えて勉強もしてみたんですけど、「これで生活できるようになったとして、自分たる人間を確立して、誇りを持って生きていけるだろうか?」と思って。そのときに一番やりたいと思ったのが音楽だったんです。戦略を立てやすいというのもあったんですけど、根底にあるのは好きという気持ちですね。
──好きだったら曲作りも苦にならない、と。
歌詞を書いて、曲を作って、それをパソコンに落として、ああでもない、こうでもないと編曲して。それで完成した曲がカッコよかった瞬間って、すごく気持ちいいんですよ。その感覚は日に日に強くなっていて。「この曲を知っているのは自分しかない」という気持ちは、すぐに「早くみんなに聴いてもらいたい」に変わるし、その過程がすごく楽しくて、全然飽きないんです。歌詞や曲については24時間考えられるし、自分に合った職業を見つけられたと思います。
プロフィール
くじら
2019年4月1日に活動を開始したボカロP、シンガーソングライター。作詞作曲および編曲すべてを自身でこなすボカロPとしての活動のみならず、yama、Ado、DISH//、SixTONES、花譜といったアーティストへの楽曲提供で話題を集める。2019年7月にボカロアルバム「ねむるまち」をリリース。2021年10月発売のシングル「悪者」からは自身がボーカルを務める音源を発表し始め、2022年4月には新曲「四月になること」をリリースした。夏には全曲セルフボーカルの楽曲で構成されたアルバム「生活を愛せるようになるまで」を発表予定。