「ねむるまち feat. yama」のヒットをきっかけに、yama「春を告げる」、Ado「花火」、DISH//「君の家しか知らない街で」、SixTONES「フィギュア」、花譜「春陽」などを提供するなど気鋭のクリエイターとして注目を浴びるくじらが、新曲「四月になること」を4月13日にリリースした。くじらが自ら歌唱を担当した「四月になること」は、春という季節にまつわる不安と希望を描いた楽曲となっている。
昨年から自身で歌唱を担当する楽曲を発表し始め、作家としてのみならずシンガーソングライターとしての活動を充実化させているくじら。音楽ナタリー初登場のこの特集では、音楽に興味を持ったきっかけ、制作のスタイル、アーティストとしての方向性や将来像などについて語ってもらった。
取材・文 / 森朋之
ボカロとバンドはそう遠いものではない
──まず、くじらさんが音楽に興味を持ったきっかけから教えていただけますか?
小学校の高学年のときに出会ったボーカロイドの音楽ですね。「初音ミクの消失」から入って、「千本桜」「メルト」「炉心融解」など、いろんな曲に出会って。しばらくすると「自分はこういう系統の曲が好きなんだな」となんとなくわかってきました。当時はまだ作家を軸に音楽を聴いてなくて、「カゲロウプロジェクト」のじん(自然の敵P)さんが最初に好きになったボカロPさんでした。
──DECO*27さん、wowakaさん、ハチさんなども聴いてました?
もちろん。日向電工さん、ryo(supercell)さんの曲も好きだし、ありとあらゆる曲を聴いてボカロP、歌い手、二次創作などを含めて、あの世界にどっぷりハマってました。その後、中学生のときに軽音楽部に入ってからはバンドの音楽も聴くようになって。KANA-BOON、THE ORAL CIGARETTES、KEYTALKなどが一気にドン!と出てきた時期で、その前の世代のアジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)やバンプ(BUMP OF CHICKEN)も併せて聴くようになりました。アニメも好きなので、そのつながりでUNISON SQUARE GARDENも聴いていたし、「どれもカッコいい」という感じでしたね。
──ボカロ系とバンドの音楽が接近していた時期でもありますね。
当時のボカロPの中にはバンド出身の方、もともと音楽をやっていた方もかなりいて、新たな表現としてボーカロイドが発見されたんですよね。カゲロウプロジェクトもギターロックが中心だったし、ボカロとバンドはそう遠いものではないなと思ってました。もちろんそれぞれによさがあるんだけど、本質は同じなのかなと。
ラッキーパンチ的に1曲バズっただけでは、先がない
──自分で曲を作るようになったのはいつ頃ですか?
中3から高1にかけての時期ですね。オリジナル曲でバンドのコンテストに出ようということになって、ベースボーカルだった僕が曲を作ることになって。ギターが弾ければ弾き語りをメンバーに聴かせられたんだけど、そうじゃなかったので無料のDAWでデモを作り始めました。曲の作り方なんて全然知らなかったから、ネットで曲の作り方を検索して「なるほど、コード進行というものがあるのか」というところから始まったんです(笑)。僕はもともと「Minecraft」みたいな黙々と積み重ねる作業が好きで、曲を作るのは性に合ってたんですよ。曲作りはゴールが明確にあるというか、1曲作るごとに達成感があるし、その中でいろんなことが試せる。飽きる要素が少ない気がします。
──オリジナル曲をバンドで演奏したときの手応えは?
どうだったかな? みんな楽器を始めたばかりだったし、とにかく必死だったのはよく覚えています(笑)。でも初めてオリジナル曲を演奏したときは、一歩進んだ感じがしてうれしかったですね。
──ボーカロイドを使って楽曲を作り始めたのも、その頃ですか?
ちょっとあとだったと思います。中学のときは家にあったパソコンを使っていたし、お金もなかったから機材やソフトをそろえられなくて。最初はたぶん、「重音テト」を無料ダウンロードするところからだったかな。高校生になってCubaseとボーカロイド「IA」を買ったような。当時は「いかにお金をかけずにやるか」を考えてましたね(笑)。ただ音楽はすごく好きだったし、「普通に就職して働くのは無理かも」と思っていたので、音楽でごはんを食べたいという気持ちもあって。
──高校の頃からプロとして活動することを視野に入れていた、と。
選択肢の1つという感じですね。作曲なのか、作詞なのか、ベースなのか、音楽に関わる何かで生きていけたらいいなとぼんやり思っていたというか。どうすればいいか自分なりに考えて、少しずつ準備をしていました。
──くじらとして最初に発表された楽曲は、2019年4月に公開された「アルカホリック・ランデヴー」です。くじらとしてデビューをするときに考えていたことはなんですか?
くじらとして活動を始めるにあたって「音楽で生活するって、どういうことだろう?」ということをよく考えました。例えば1つの曲がヒットするとして、その印税だけじゃ食っていけないかもしれない。でも曲をきっかけに皆さんが注目してくれて「あの雰囲気で作ってください」という依頼があったとして、それが連鎖的につながることが大事なのかなと。そうやって認知度が高まって仕事がつながっていくのが“売れる”ということだし、音楽で生活するということじゃないかなと。つまり「ラッキーパンチ的に1曲バズっただけでは、先がない」と思ってたんですよ。
──ヒット曲を起点にして、そこから活動をつなげることを意識していたと。
はい。もちろん最初の曲は大事だと思っていたし、そのためにいろいろな要素を組み合わせてみました。正直に言うと自分はコアな音楽ファンではないんです。どちらかと言えばライトな音楽ファンの耳を持っている。それを自覚しているから、僕が聴いて「いいな」と思えれば、大半の人は気に入ってくれるだろうと計算して。そのためには「自分が作った」というフィルターを抜いて、YouTubeやサブスクのシャッフル機能で流れてきたときに「いいな」と思えるかどうかが大事。それをかなりストイックにやって、何曲か習作を作って、「これだったらいけるんじゃないか」と思えたのが「アルカホリック・ランデヴー」でした。
──しっかり準備をしたうえで制作された楽曲だったんですね。サウンドメイクやミックスに関しては?
エンジニアリングはまったくできないので、最初からプロの方にお願いしています。楽曲制作もまともにできないのに、ミックスまではとても手が回らないし、お任せしたほうが圧倒的にいいものができるはずなので。
──自分にやれないことを見極める力があるのかもしれないですね。
ありがとうございます(笑)。もともとはありとあらゆることを自分でやりたがる性分なんですけど、ある日「それは無理だな」と気付いて。ミュージックビデオもそうですけど、皆さんの力をお借りしながら制作するようにしています。
波長が合ったyamaのオリジナル曲を制作
──2019年7月にはボーカロイドアルバム「ねむるまち」を発表しました。デビューからかなり短いスパンでのアルバム発表ですよね。
実はアルバム「ねむるまち」は本来2019年の秋に出そうと考えていたものなんです。でも2曲目の「狂えない僕らは」を投稿したとき、R Sound Design(「帝国少女」などで知られるボカロP)さんから「夏コミに一緒に出よう」とお声がけいただいて。せっかく夏コミに出るならモノがあったほうがいいと思って、アルバムの制作を前倒しにして、7月にリリースしました。その後、リード曲の「ねむるまち」を改めて発表したいなと思って、当時は1000再生くらいされているだけで十分うれしかったんですが、数少ないファンの方にもっと楽しんでもらいたくてyamaさんに歌唱をお願いしたんです。
──なぜyamaさんに歌をお願いすることに?
僕自身がyamaさんのファンで、yamaさんが歌う「ねむるまち」をすごく聴いてみたかったんです。それで連絡を取ったら快く歌ってくださって。TwitterのDMでやりとりしている中ですごく波長が合うような感じがして、「これからはオリジナル曲を歌っていきたいと思っています。その1曲目をお願いしたいです」という依頼をいただいて。「ねむるまち」を歌っていただいたご恩は計り知れないし、最初のオリジナル曲を作らせてもらえるのは光栄なことなので、心を込めて制作しました。
──それが「春を告げる」だったわけですね。「春を告げる」が2020年を代表するヒット曲になったことで、くじらさん自身も自分の音楽性やクリエイターとしての資質にも確信が持てたのでは?
そこまでの確信はなかったですね。「春を告げる」も「僕はめちゃくちゃいい曲だと思うんだけど、みんなはどう?」という感じだったんですよ。たくさんの方が「いいね」と言ってくれたことで、「だよね」って(笑)。2020年はyamaさんの楽曲制作が中心だったんですが、その後はフィーチャリングとボーカロイドの楽曲を収録したアルバム「寝れない夜にカーテンをあけて」を出して、さらにDISH//さん、SixTONESさん、にしなさんなどに楽曲を提供させてもらうようになりました。いろんな楽曲を求めてもらえるのは、自分にとってもうれしい限りだし、すごいペースで依頼をいただいているので、がんばらねばと思いながら制作しています。そうなることを想定して楽曲を作ってきたので、自分がやってきたことは間違っていなかったのかなと思っています。
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一筆書きのように完成した「四月になること」