Waive特集 田澤孝介(Waive)×葉月(lynch.)対談|互いの道を歩む同志の大放談 (2/4)

“焼け野原の時代”に解散したWaive、生まれたlynch.

葉月 話は変わりますけど、lynch.の結成とWaiveの最初の解散タイミング(2005年12月)って、時期が近いんですよね。僕らは2004年12月27日が初ライブだったんで。

田澤 入れ替わってるんだね。あの頃のヴィジュアル系シーンのことって、どう捉えてます?

葉月 2004年当時はすでに夢も希望もない時代じゃなかったですかね。僕はそういうイメージでした。僕はLUNA SEAと黒夢がきっかけでバンドを始めたんですけど、その時点で両方とも解散していて、目指せるような先輩もほとんどいない状態で、ヴィジュアル系自体のブームもとっくに終わっていた。焼け野原状態でしたよね。でも、だから自分も辞めるって感じでもないし、好きだから当然続けるんですけど、正直「この先どうなっていくんだろう」とは思ってました。

田澤 なるほどね。

葉月 だから、今になってLUNA SEAも黒夢も復活して、皆さん50代半ばになっても第一線で活躍してらして。当時はそんな未来、想像できなかったですよ。それと同時に、LUNA SEAや黒夢とは規模は全然違いますけど、うちの玲央さんはlynch.の中で唯一、過去のバンド(kein)でワンマンライブをやっていた人で。それまで僕はワンマンなんて名古屋で1回しかやったことがなくて、しかも動員が70人だったので、lynch.を始めた頃は「これでやっと売れるかも」とも思ったんです。

左から葉月(lynch.)、田澤孝介(Waive)。

左から葉月(lynch.)、田澤孝介(Waive)。

田澤 すごっ! それが20年続いているわけだからね。僕らは2005年12月1日解散なんで、終わりに向かっていく最中だったな。

葉月 解散したあと、どうしようと思っていたんですか?

田澤 正直何も考えてなかった。当時、とにかくバンドを辞めたいってのが一番やったから。そのときは「自分が辞めてもWaiveは続けてくれ」っていう脱退表明をしたんやけど「杉本と田澤で始めたバンドだし、田澤が辞めるなら解散しよう」ということになって。で、解散後にストロボというユニットを組んだけど、そのときも「確固たる信念を持ったボーカリスト」ってよりは「楽曲を歌い表現するシンガー」って発想でいて「これがやりたい」という明確なものがなかったから。

葉月 20年前となると、田澤さんが20代後半くらい?

田澤 そう、27歳。俺はもともとX(X JAPAN)やhideさんが好きでバンドを始めたけど、V系自体が好きでどっぷり聴きまくっていたというわけではなかったから、自分がおるシーンに対してどうのというのもなかったからね。

葉月 Waiveってもともと、ヴィジュアル系の中でも特殊な立ち位置でしたもんね。

田澤 俺ら自身も「えっ、自分らってV系なん?」と思ってたから。周りの方はそのくくりの中で語ってくださっていたけど、単におるシーンがそこというだけで。

田澤孝介(Waive)

田澤孝介(Waive)

葉月 そもそもメイクもほとんどしてなかったし。それで売れてたから、すげえなと思ってました。とはいえ、lynch.もあの当時は特殊といえば特殊だったかもしれない。

田澤 そうなん?

葉月 僕たちがルーツの1つにしているニューメタル自体、2005年頃にはすでに下火でしたし、R&Bとかヒップホップが主流になり始めて、バンドなんて聴かれてない時代だったじゃないですか。そういう中でスタートしたので、しばらくは人気もなかったんですよ。

田澤 さっきも言ったけど、それを20年続けてこられたこと自体がすごいよ。

あのときWaiveが再演してなかったら?

葉月 田澤さんは今よりも自分がもっとスターになっているイメージって、思い描いてました? 僕は21でlynch.を始めたんですけど、24のときにはドームでやっている予定だったんですよ。

田澤 そうなんや!

葉月 でも、現実は3年経ってもまだ東名阪ワンマンツアーぐらいしかできてなくて。代官山UNITでライブしながら、心のどこかで「LUNA SEAは今くらいの年でドームなんだよな」と思ってましたから。「俺の人生、LUNA SEAにはなれなかったんだな」って。

田澤 あきらめんの早っ!

葉月 でも、だからと言って辞めるのも違うなと思いながら、それ以降も続けてましたけど。

葉月(lynch.)

葉月(lynch.)

田澤 そのエナジー、すげえな。志が高いというか。俺は音楽を始めるとき、オカンに「25までにメシ食えへんかったら音楽辞めや」って言われたけど、ギリギリ25までにメシ食えたから「続けられる!」みたいな感じだったのよ。ただ、そのあとで1回食えなくなったときが一番つらかったかな。

葉月 それはいつぐらいですか?

田澤 ストロボが1年半ぐらいで終わって、そのあとも音楽を続けてて。レコード会社から「ソロシンガーとしてやりますか」みたいな話があってんけど、次第に「聞いてた話とちゃうな」と思ったり、シンガーでやりたいって話したのに「あと2カ月で20曲書いてこい」と暗に作家になれと言われたり。一応ソロ活動とか友達とユニットを組んでいろいろやったりしていたけど、音楽だけでは食えなくて日雇いとかいろいろしたよ。

葉月 その状況が変わったのって、いつ頃だったんですか?

田澤 2009年にRayflowerが始まってから、ぼちぼち食いつないでいけるようにはなったけど、バイトは辞められなかったかな。で、結局そこで人生を変えてくれたのがWaiveだったわけ。自分が辞めることがきっかけでWaiveが解散しているから、最初の再演(2010年)は懺悔の気持ちでステージに立っていたんだけど、これをきっかけに初めてのソロワンマンを企画してみたら、Waiveで知った人たちがたくさん観に来てくれて。そのときにまとまったギャラをいただいたんだけど、「これをどう使っていけば、1人でやっていけるだろう」みたいなことをちゃんと考え始めて、仕事として音楽を転がしていく方法を見つけた。だから、「Waiveがあのとき再演してなかったらどうなってたんやろう?」って思うよ。

葉月 なるほど。

田澤 シーンの移り変わりとかそういう場面に触れる場所にはずっといなかったけど、結局Waiveがあったからここまで音楽活動が続いているのかもね。

紆余曲折を経てlynch.が手にした武器

田澤 葉月は「最近のシーンの流れがこうだから、自分たちはこうしなきゃ」とか、周りのことを意識したことってある?

葉月 いっぱいありますよ。まず、2007年前後、DIR EN GREYやMUCCの影響を受けたヘビーなヴィジュアル系バンドがたくさん出てきたんですけど、そういう人たちとの違いを出さなきゃいけないと思いながら曲を作っていた時期があって。なんか悪口みたいになっちゃいますけど、イントロからAメロBメロまでずっと激しいのに、急にキラキラしてきれいな、保険みたいなサビが来る曲が多くて、その媚びてる感じが嫌だったんですよ。あとは、PTP(Pay money To my Pain)以降、coldrainやSiM、Crossfaithといったラウド系バンドがドーンと出てきたときは、「俺たちもこっち側に行かなきゃ」と思った。当時、自分たちがやっている音楽性に対してのフロアの盛り上がり方にモヤモヤしていたのもあって、そういうラウド系バンドのライブみたいにぐちゃぐちゃになるフロアに憧れていたんですね。それで、2011年ぐらいに一度メイクを落として、「俺たちはもうヴィジュアル系じゃないぜ」ムーブをかましてそっち系のバンドと対バンをたくさんするようになって。

田澤 長く続けていると、1回はそういう道をたどるよね。

葉月 メイクをしていないほうが、音楽だけで勝負している“ホンモノ”みたいな風潮ってありますものね。別にヴィジュアル系だって“ホンモノ”なんですけどね。で、すっぴんでジーパンでTシャツという姿でいざやってみたものの、ラウド側の人には受け入れてもらえなかったんすよ。

田澤 で、ヴィジュアル系が好きな人たちからは愛想尽かされると。わあ、最悪の展開やん。

葉月 それを2、3年続けて。

田澤 長っ!(笑) でも、それを信じてたってことやんな。

田澤孝介(Waive)

田澤孝介(Waive)

葉月 そうですね。メイクを落としたての頃は、逆にほかのヴィジュアル系の人たちとの違いを見せられたんですけど、いざ違う畑に乗り込んでいったときに、そっちの側では別にすっぴんでライブをやることなんて普通なので、単に自分たちの武器を捨てて臨んでいたわけで。

田澤 そっか。それもあとから気付くわけだ。

葉月 「これ、もしかして愚かなことしてんのかな?」って、2年目ぐらいで思い始めて。その頃には動員も減り始めて、CDも売れなくなってきて、レコード会社からは「次、売れなかったらクビだからね」と言われ。それで、2013年ぐらいにまたメイクをして、衣装も黒いレザーにして、再びlynch.らしさを意識し始めたんです。ヘビーなサウンドにはより磨きがかかっていたと思うんで、そこに「見た目でも魅せるぞ」っていう過去の雰囲気を武器としてまた取り入れてみたら、そこからまた勢いがついたんですよ。

田澤 おもろ! 歴史ありやな。

葉月 で、さらに面白いのが、そのスタイルでまたラウド系のイベントに出てみたら、評価が上がって。

田澤 最初のままでよかったんやな。でも、1回メイクを落としてやらんと、わからんこともあるし。失敗ってするもんなんやな。

葉月 昔はヴィジュアル系って色眼鏡で見られている感じがすごくあったんですよ。ヴィジュアル系は一般のロックフェスにあまり出られないとか、出たとしても「わあ、化粧してる。気持ち悪い」みたいにバカにされるイメージを勝手に持っていたんですけど、実際には全然そんなことはなくて。逆に「lynch.ってバンド、見た目がしっかりしていてカッケー」とか言われることが増えましたから。「そんな見方してくれるの? じゃあ遠慮なくやろう」と思って、今に至るわけです。

葉月(lynch.)

葉月(lynch.)

田澤 それも長くやってるからこそ味わえる感じやな。そういう経験とか人生の厚みって、ライブにも出るやんか。lynch.のライブを観てると、それが伝わってくるのよ。実は、そこも怖いところだったの。厚みのある人たちに対して、Waiveは止まっていた人たちじゃない。って考えると、逹瑯が言う「Waiveは分が悪い」って言葉も納得だったんだよ。