上原ひろみ×石塚真一|真摯に音と向き合う2人のジャズ対談

上原ひろみが9月18日に約10年ぶり2枚目となるソロピアノアルバム「Spectrum」をリリースする。“色彩”をテーマにした今作には、色が重なり合い変化するさまを表現したリード曲「スペクトラム」、喜劇王・チャップリンに捧げる曲「ミスター・C.C.」などの新曲を中心に、The Beatles「Blackbird」のカバーや、「Rhapsody in Blue」をベースにした約23分におよぶ長尺曲などが収められる。

音楽ナタリーでは「Spectrum」の発売を記念し、上原とマンガ家・石塚真一の対談を実施。石塚はジャズを題材にしたマンガ「BLUE GIANT」の作者で、昨年初開催された同作のライブイベント「BLUE GIANT NIGHTS」を通じて上原と親交を深めており、今年行われる「BLUE GIANT NIGHTS 2019」にも上原を迎える。そこでジャズという共通項を持つ2人に、上原の新作や「BLUE GIANT NIGHTS」について語ってもらった。

取材・文 / 大谷隆之 撮影 / 斎藤大嗣

持ってるすべてをこの1曲で出し切っている感

上原ひろみ おひさしぶりですよね?

石塚真一 そうですね。上原さんとは昨年「BLUE GIANT NIGHTS」に出演してもらってから食事に行ったりはしてるけど、ここしばらくはタイミングが合わなかったもんね。そう、今年もよろしくお願いします! 上原さんが2年連続で出てくれることになって、「BLUE GIANT」の作者としては本当に光栄だし、心強いです。

上原 私のほうこそ参加できてうれしいです。去年もすごく楽しかったし。

左から石塚真一、上原ひろみ。

──9月19日にスタートするイベント「BLUE GIANT NIGHTS 2019」についても、のちほどたっぷりお話をうかがいたいと思います。まずは石塚さん、上原さんの新曲「スペクトラム」を聴かれた印象はいかがでしたか?

石塚 ひと言で言うと「相変わらず惜しみなく出すねー!」って感じです。

上原 そうですか(笑)。

石塚 まだ聴いて間もないし、これからアルバム単位でじっくり付き合っていけば違った感想も出てくると思うんですけど。「スペクトラム」というタイトルナンバーを聴いてまず浮かんだのは、これに尽きますね。とにもかくにもアグレッシブ。上原ひろみというピアニストが持ってるすべてを、この1曲で出し切っている感がすごかった。

上原 ありがとうございます。そう感じてもらえたのならよかったです。

──上原さんの新作アルバム「Spectrum」はすべて“色彩”をテーマにした楽曲で構成されています。このコンセプトはどこから思い付いたんですか?

上原 まず、ひさびさにソロのアルバムを作ろうと決めました。2009年に出した「Place to Be」からちょうど10年経って、ピアニストとしての記録を個人的にも残しておきたかったので。じゃあ、この10年間で自分が成長できた部分ってなんだろうと考えたとき、それはピアノの音色が増えたことじゃないかと思ったんですね。

石塚 ああ、なるほど。音色。音のカラーだ。

上原 そう、グラデーションの豊かさっていうのかな。例えばピアニシモ1つとっても、いろんなバリエーションがありますよね。かわいらしいピアニシモ、優しいピアニシモ、コミカルなピアニシモ。絵画に例えるならば、パレット上の色の絶対数がかなり多くなった気がします。そこは今後もっともっと増やしていきたい気持ちが強いので、だったら今回は色彩そのものをテーマにしようと。

石塚 そうか。だから「スペクトラム」がリード曲なんだ。

上原 あの曲ではメインとなる旋律にいろんなコードを重ね合わせることで、色彩が連なりながら変わっていく感じを表現しました。それこそ“スペクトラム(可視光線の分布図)”みたいになめらかなグラデーションで。

石塚 上原さんのライブに行くと、「こんなに小さな音が、どうしてこんなにもくっきりと美しく響くんだろう」と思って毎回感動するんですよ。静かなバラードは特にそうで。ホールでもライブハウスでも関係なく、その場にいるお客さんにあまねく届く、絶妙なサイズの音の粒っていうのかな。僕はプレイヤーじゃないから技術的なことはわからないけど、ああいう繊細な音色のコントロールはずっとピアノに触れている人じゃないとできない気がする。今回のソロではそういった微妙な部分も、楽曲として表現したみたかったとか?

上原 はい。せっかくのソロだし、ピアノという楽器の魅力や可能性を1枚にパッケージしたいという気持ちが強かったですね。ピアニシモに限らず、「こんな色合いの音も出ますよ」とか「こういう弾き方もありますよ」とか。いちピアノ愛好家として、そこは強く意識していたと思います。

自分が止まったらジ・エンド

石塚 単純な質問ですけど、こういうソロ演奏はプレッシャーが大きかったりするんですか? 例えば上原さんがずっと続けているザ・トリオ・プロジェクトと比べたときには。

上原 プレッシャーの大小というよりは、立ち位置の違いですかね。やっぱり仲間がいるとパスを出したり誰かのアシストをする局面も多くなるけれど、ソロの場合は常に自分がゴールまで持っていかないといけないですし。

石塚 うん、そうだよね。

上原 トリオ・プロジェクトでいうと、サイモン・フィリップスとアンソニー・ジャクソンという最高のプレイヤーが一緒に演奏してくれているので、もし私が弾いてる途中でインスピレーションに詰まったとしても、彼らが助け船を出してくれたり、あるいは彼らのフレーズからある要素をさっと借りてきて展開させたり、いろんな打開策がありうるわけですね。でも1人だと、それはない。誰も助けてくれない。

石塚 でも逆に言うと……。

上原 誰にも止められない(笑)。壮大な自由はあります。

石塚真一

石塚 話が飛ぶけど、先日「フリーソロ」という映画を観たんですよ。ロープをまったく使わず、ものすごい断崖絶壁を登っていくロッククライマーのドキュメンタリーなんですけど。数人でお互いに安全確保しながら登るのと違って、小さなミスが落下事故に直結しちゃう。今なんとなくそれを思い出しちゃいました。

上原 あはは、なるほど(笑)。確かにデュオやトリオと違って、自分が止まったら“ジ・エンド”というところは似てるかもしれない。実際に演奏がストップしちゃうことはさすがにないと思うけれど、アドリブのパートでいきなりアイデアが枯渇するリスクは、完全にゼロではないですよね。

石塚 ええー、それは怖い!

上原 でも、逆もあって。例えば、曲の新しいアイデアとかコード進行とかが浮かんだとする。共演者がいる場合は、ライブ前のサウンドチェックとかで「今日、ここをこう変えて演りたいんだけど」みたいな打ち合わせが必要になりますから。

石塚 そうだよね。

上原 でもソロピアノはそうじゃない。一応自分の中で曲ごとのルールは設定していますけど、ひらめいた瞬間、コード進行だってどこにでも行けるし、1曲の中で拍子やテンポを急に変えたって構わない。何をしてもいいけど収拾を付けるのもやっぱり自分だから(笑)。当たり前だけど、自由には責任が伴うという真理はいつも以上に強く感じますね。