音楽ナタリー PowerPush - TOWA TEI

ソロ20年の軌跡を見つめて

今年ソロデビュー20周年を迎えたTOWA TEIが、7月にリリースしたベストリミックス集「94-14 REMIX」に続いて、このたびベストアルバム「94-14」とベストカバー集「94-14 COVERS」を発表した。世界的成功を収めたDeee-Liteの一員からソロへシフトしていったテイ。今回のインタビューではソロ活動スタート当時の心境から、現在のクラブミュージックに対する興味、プライベートな家庭の話題まで、20年を振り返って思うことを存分に語ってもらった。

取材・文 / 宇野維正

世界を飛び回るDeee-Liteメンバーからソロへ

──ソロデビューから20周年ということになるわけですが、その前のDeee-Lite時代からずっとリアルタイムでテイさんの音楽を聴いてきた世代の自分からすると、「もうあの『Future Listening!』から20年になるのか!」と驚きを禁じ得ないです。

「Future Listening!」ジャケット

もともとバンド(Deee-Lite)でデビューしたのが25、6歳のときですから、アイドルとかと比べたらスタートが遅いんですよね(笑)。「Future Listening!」のときでちょうど30歳ですから。当時は「20代の終わり」ということをすごく意識したことを思い出しますね。バンドを始めた当初はソロになることなんてまったく考えてなかったんですけど、その頃には「ソロを出すなら20代のうちに出しておきたいな」ってことを考えるようになっていた。そこからダラダラとやっていたら(笑)、こうして20年目を迎えることになって。そういう何年目とかいうのはあまり意識したことがなかったし、バンドの20周年も特に何もやらなかったけど、今回はさすがにソロ20年ということで「何かやったほうがいいよ」と細野(晴臣)さんに言っていただいたこともあって、こうしてベスト3部作をリリースすることになったわけです。中でも、カバーは最近あまりやってなくて、やりたかった曲がいくつかあったので、「94-14 COVERS」だけは新録を何曲か入れて。

──20年前の段階では、まだDeee-Liteから完全に脱退していたわけではなかったと記憶しているんですけど。

ロングフェードアウトという感じでしたね。そもそも、Deee-Liteに関しては1枚目のアルバムと2枚目のアルバムでは立ち位置もかなり変化していたので。1stは僕がほとんど打ち込みをしてたけど、2ndはもう1人のDJと半々という感じで、結局最後のアルバムとなった3rdでは、僕は1曲しかやってないですからね。

──あれだけの世界的成功を収めたバンドの一員として活躍して、ワールドツアーまでやって、その後のソロということで。当時はどのようなビジョンでソロのキャリアを始めようと思っていたのですか? Deee-Lite同様にワールドワイドな活動をしようとしていたのか、あえて日本国内を中心に活動をしていこうとしていたのか。

それが、何も考えてなかったんですよね(笑)。ソロ活動を始めてしばらくしてから、一時期、吉本興業に在籍していたじゃないですか。

──はい。そういう時期もありましたね。

あとから人づてに聞いた話なんですけど、当時僕の担当だった吉本のマネージャーが「テイさん、海外からのオファーがいっぱいあるのに、まず行かないんだよね」とボヤいていたと(笑)。きっとマネージャーとしては、僕と一緒に世界中を旅して、おいしいものを食べたりすることをイメージしていたんだと思いますけど、当時は本当に海外での仕事にはあまり興味がなかったんですよね。でも、それに関しては僕はまったく後悔してなくて。30代の頃はけっこう、子育てが人生の中心にあって。

──ほお! 意外な一面ですね。

当時はあまり言ってなかったかもしれないですけど、私生活ではわりと主夫に専念していた(笑)。まあ、嫁も主婦だったんですけど。31歳のときに子供が生まれて、そこからちょっとずつ大きくなっていく姿を見逃したくなかった。海外でツアーとかをすると、どうしても滞在が長くなりますからね。毎日ホテルの部屋で叩き起こされて、荷物をパッキングして、空港にギリギリに駆け付けて、別の国の空港でトランジットして、税関で止められてって、そういう生活はDeee-Lite時代に散々やりましたからね。そういう日々が、本当に嫌で嫌でしょうがなかったから。当時はまだSNSやLINEもないし、どの国も日本食はまずかったし(笑)。今だったらちょっとは違うんでしょうけど、当時は本当にストレスで。いつも、早く、山のようにレコードのあるニューヨークの家に戻って、嫁さんの作るおいしいゴハンを食べたいって思ってましたね。

教授の誘いがリスタート地点

──そうした個人主義的な感覚というのは、テイさんの音楽から一貫して感じてきたものなので、なんとなく想像はつきます。

「Last Century Modern」ジャケット

そう。ソロになる前からそうだったんですよ。最初は手伝ってただけで、そのままなんとなくバンドのメンバーになって、気が付いたらステージの上に立っていて。当時は、「まあ、デビューはできるだろうな」とか「クラブチャートでは1位を獲れるかもしれない」とか、そのくらいのことは考えてましたけど、あれだけ世界中で売れることになるとは思ってもみなかった。もともとは裏方をやりたかった人間だったので、最初から無理があったんですよ。その後、ワールドツアー中のブラジルでのライブでケガをしたのをきっかけに、ちょっとずつ離れていく口実ができて。そうすると、だんだん取り分も減っていって、「ほかのメンバーは家とか買ってるぞ」って感じで(笑)、どうしようかと思っていたところに、教授(坂本龍一)から「新しくレーベルをやるから、出してみる?」って声をかけてもらって。だから、今思い返してみても、そこが完全にリスタート地点だったんですよね。その前に、全米ツアー2回とかワールドツアーとかやってきたんで、そういう方向での欲は最初からなかった。まあ、それによって、吉本の人が思っていたらしい「世界のテイ・トウワがウチに来たぞ!」っていう意識とのギャップが生まれたわけですけど(笑)。

──考えてみれば、そこからスタートしたというのは本当にユニークかつ、海外進出とかを目指している他のアーティストからすると、とても贅沢なキャリアですよね。

まあ、人それぞれですからね。たまに、「いいよねえ、テイくんは。好きなことだけやって暮らしていて」とかって言われますけど、僕は生まれてから一度も給料とかもらってないですからね。たまたま僕の場合、印税とかも国内だけじゃなくて海外からも入ってきますけど、それだって、自分の音楽がテレビやラジオでかからなくなったらゼロですからね。

──そうですね。

まあ、だから自分はラッキーだったとは思いますけど、その一方でもうちょっとCDが売れてもよかったんじゃないかという思いもあります。特に、世の中の「売れてる」音楽を聴いたりすると(笑)。

──そのチャンスはいっぱいあったのに、そこからずっと逃げてきたようにも見えるのですが(笑)。

でも、今回こうして、20年前に作った音楽と、最近作った音楽が同じ作品の中で並んでみても、自分の中でそんなに違和感はないし。今作の作業を通して、自分はその場しのぎで音楽を作ってきたんじゃないなってことは感じたかな。だからこそ、今でも世界中で使ってもらえているんだろうし。

TOWA TEI THINKS PRETTY THINGS
2014年9月8日(月)~9月28日(日)東京都 (marunouchi) HOUSE
OPEN 11:00~16:00(日、祝:11:00~23:00)
※入場無料
TOWA TEI 20TH ANNIV & 50th BIRTH Party
2014年9月12日(金)東京都 (marunouchi) HOUSE
OPEN・START 21:00 / END 24:00
<出演者>
TOWA TEI / SHINICHI OSAWA / INO hidefumi / DJ HICO / DJ RUBY / Dorian(ライブ)
※入場無料
ソロデビュー20周年を記念したスペシャル対談集
「TOWA TEI対談集『ハタチ』」
[書籍] 2014年9月8日発売 / 1728円 / honeyee.com
TOWA TEI(テイトウワ)

1990年にDeee-Liteのメンバーとして、アルバム「World Clique」で全米デビュー。その後活動の拠点を日本に置き、1994年にソロアルバム「Future Listening!」をリリー スする。2007年には自身の音楽プロダクション「hug inc.」、2010年には電子セレクトショップ「MACH」を設立。2005年からは「FLASH」「BIG FUN」「SUNNY」というアルバム3部作を発表し、その評価をさらに高める。その他、DJやトラックメーカー、プロデューサーとして多彩な活動を展開。2014年にはソロデビュー20周年を迎え、ベストリミックス集「94-14 REMIX」、ベストカバー集「94-14 COVERS」、ベストアルバム「94-14」をリリース。