tofubeats「REFLECTION」インタビュー|突発性難聴、上京、コロナ禍、結婚……さまざまな変化と向き合い、自分自身を観察した日々の記録 (2/4)

tofubeatsが音楽を通してやりたいこと

──これも「トーフビーツの難聴日記」でも触れられていることですが、トーフさんにとって作品作りは“自分を知る”行為でもあるわけですよね。今回の「鏡・反射」というテーマはそこに深く向き合うものでもあると思うのですが、そうした作品作りの態度というのはトーフさんにとって昔から一貫してあるものですか?

近いことはずっと思っていたと思います。「FANTASY CLUB」(2017年発売のメジャー3rdアルバム)よりも前の頃ですけど、先輩DJのokadadaさんが教えてくれた宇多丸さんの話があるんです。宇多丸さんが昔、「ラップは“韻を踏まなきゃいけない”というルールがあることによって、普段、自分が発さない単語が出てくる」と言っていたらしいんですよね。例えば普段、「ヘリコプター」と韻を踏まなきゃいけないなんて考えてしゃべらないですよね。でも、そういうことを考えるのがラップで。そうやってルールに乗せて遊ぶことで、明らかに自分の言葉だけど、普段の自分とは違う言葉が出てくる。その話をokadadaさんがしてくれたときに、「俺がやりたいのは、まさにそれだ」と完全に言語化された感覚があったんです。僕の場合は「人に聴かせる音楽」というルールがあって、思っていることを音楽にしていくことによって、言葉じゃない情報として自分の思いが立ち上がってくる。それは自分でも知らなかった自分なんだけど、確実に自分が作ったものなんです。そうやって「自分」を立ち上げていくことが、僕が音楽でやりたいことなんですよね。だからこそ自分が作る割合が減ると思い入れも少なくなってしまう。意識的であろうが無意識的であろうが、自分が触ったことによって立ち上がってきたものでないと、自分自身の分身としての役割が薄くなってきてしまうというか。音楽だけでなく、自分が芸術を面白いと思う理由はここなんですよね。絵画もそうじゃないですか。

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──作品を通じて作家自身の思いが立ち上がってくる。例えば、本作にも収録された「SOMEBODY TORE MY P」は、国吉康雄の油彩画「誰かが私のポスターを破った」から着想を得ていることが「トーフビーツの難聴日記」でも書かれていますが、あの絵画作品からも、トーフさんは作家が立ち上がってくる感覚を得たということですよね。

そうですね。あのアンニュイでアンビバレントな感じ……それは国吉という画家の人生自体もそうだし、絵もそうだし、描かれた時期もそうだし、それこそドキュメンタリー感というか、時代感や人間の感じが作品に出ているんですよね。「TBEP」(2020年発売のミニアルバム)のときの音源は国吉の本なんかをそこまで読み込んでいない状態、あくまで絵の印象と少しの情報だけをインプットして作ったんです。けどもうちょっと本を読み込んだうえでミックスを変えてみると面白いかなと思って、改めてアルバムに入れてみました。絵画や音楽は実際の経済活動や生活から距離のある、イミテーション的なものではあるんですけど、それでも確実に、自分を立ち上げてくれる効果がある。自分はそういうことをやっていると思っているし、自分が魅力を感じるアーティストも、そういうことをやろうとしている人なんだと思いますね。

──自己を立ち上げるものとしての音楽と、人に聴かせる音楽であることに、矛盾を感じたことはありますか?

その矛盾については昔から考えるし、人に指摘されたこともあるんですけど、結局、その人がその人自身であることをわかっていくように作られた作品に触れると、僕は元気になるし、すごく気持ちがいいんです。「この音楽にはこの人自身が乗っているな」と思える曲が僕はすごく好きなんですよね。なので、僕もそういうものを人に聴いてもらうのがいいのかなと思うし、そういうものにしか興味がない。それが今のところ世の中に認めてもらえていることに感謝しなきゃいけないなと思います。

──この「REFLECTION」というアルバムを作り上げたことで見えてきた自分自身というのもありますか?

それを実感するのは、もう少し先だと思います。今、「First Album」や「POSITIVE」を聴くと、「この頃の自分はこういう感じだったんだ」とようやく思えるんですよ。今回のアルバムはできたばかりだから、とりあえず今はこの4年間の記録としてしっかり置いておけたなという感覚が強いです。

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東京に住み、何を思ったかを記録に残す

──ここまでのお話の中で、本作を象徴するものの1つとして「ドキュメンタリー」という言葉が出てきていると思うのですが、それは音の部分にも表れていますね。今作はトーフさんが活動拠点を東京に移されてから制作が始まったということで、東京でフィールドレコーディングされた音が曲に入っていたりもしていて。

東京に引っ越しする前も5年間くらい、東京と神戸の両方に家がある状態ではあったんです。ただ、いざ東京に出てきたら、自分が東京でやろうと思っていたことや、東京で味わいたかった東京っぽさは、本当に味わうことができないままコロナが来てしまって。自分が東京に求めていたのは仕事や交流だったし、「FANTASY CLUB」で自分の作風が立脚できた手応えがあったからこそ、「東京に行ってもブレないだろう」と揉まれるために出てきたのに、まったくそれができなかったんですよ。なんなら、神戸にいた頃よりも暇になってしまった。東京に来てやりたいこともできない、地元で持っていたインフラも活用できないとなったときに、「じゃあ、ちゃんと東京にいること、東京で起きた事件や自分が東京で何を思ったかを記録しておこう」と思ったんです。自分の思い通りにならなかった逆境自体を作品にして置いておこうと。なので、あるときを境に東京でレコーダーを回すようになったんです。せめて自分が東京に来たことを意味付けたいという気持ちから出てきたことだったと思います。そうやって作っていった作品だからこそ、今回のアルバムはドキュメンタリー的なものになったんですよね。

──今、東京という街にはどんな印象を抱いていますか?

神戸にいるときは「神戸のメンバー」みたいな感覚だったんですよ。「自分はこの街の頭数なんだ」という強烈な自意識があったし、その帰属意識を胸に燃やしてやってきた部分があったんですけど、東京はそういうものがあまりないように感じる。いい意味で紛れられるし、「ここに自分は帰属している」という意識を持っている人があまり多くなんじゃないかなと。もちろん、東京ローカルでそういうことをカッコよくやっている人は多いと思うんですけど、我々みたいな地方から出てきた人間からすると、東京は紛れることができる場所というか。もし誰かがいなくても、「あの人いないな」とかにはならないじゃないですか。それは、東京のよさでもあるなと思いますね。

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──「トーフビーツの難聴日記」の中で今作の音楽に関して、「不可逆性」という言葉でつづられている部分がありますよね。この「不可逆性」というのは、どういうものを示す言葉なのですか?

アルバムを作るとき、これまでは最後の1、2カ月でその作品の制作期間のデータを行ったり来たりするように仕上げていたんです。でも今回はそうじゃなくて、1カ月なら1カ月で区切って、そこから先はそこの期間で作ったデータには手を加えないというメンタリティで臨みたいなと思っていたんです。1回書いたものを直さない。MIDIデータじゃなくてオーディオに書き出してしまって、それを編集していくとか。今話に出たフィールドレコーディングもそうなんですけど、あまり時系列を触らないで作品作りを進めたかった。日記ってそういうものじゃないですか。あまり時系列が前後しないですよね。

──そうですね。

そういう日記と連動した制作手法でアルバムを作りたかった。それをひと言で言うと「不可逆性」だったんです。

──それは、ドキュメンタリーとしての強度を持たせようとしたからこそ、そういう手法を選んだということですよね。

それもあるし、曲が進んでいくときに、今まではA地点から始まったものがまたA地点に戻るという構成で作りがちだったんですけど、今回はA地点から始まったものをB地点で終わらせるということを意識したかったんだと思います。