THE YELLOW MONKEYメジャーデビュー30周年記念特集|30曲レビューと年表でたどるTHE YELLOW MONKEYの変遷、世界の変化

1992年5月21日にシングル「Romantist Taste」でメジャーデビューを果たしたTHE YELLOW MONKEY。2004年の解散から2016年の再集結まで活動を止めていた期間はあったものの、その独自の音楽性とキャラクターにより、実に30年にわたり“ロックスター”としてシーンに君臨し続けている。

そんな彼らがメジャーデビューからの30年間にわたって発表してきた楽曲は、バンドがキャリアを重ね、時代も激しく移り変わる中でどのように変遷してきたのか。今回の特集ではTHE YELLOW MONKEYと彼らを取り巻く世界情勢の出来事を追った年表、そして現在配信中のベストソング集「30Years 30Hits」に収録された全30曲のレビューをクロスさせ、バンドとその周囲の30年にわたる軌跡を振り返る。

レビュー / 宮本英夫

THE YELLOW MONKEY年表
時事年表

1989

結成当時のTHE YELLOW MONKEY。

12月28日に東京・La.mamaで開催されたイベント「ロンドン・ブーツ・ナイト」にて、吉井和哉(Vo)、廣瀬洋一(B)、菊地英二(Dr)、菊地英昭(G)のラインナップにて初のライブを行う。

1月昭和天皇が崩御。年号が平成に改元

2月「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称:イカ天)の放送がスタート

4月消費税導入 / 横浜アリーナが開業

6月中国・北京で天安門事件が発生

11月ドイツ・ベルリンの壁が崩壊

1990

11月に1stツアーを開催。

8月イラクのクウェート侵攻により湾岸危機が勃発

1991

7月21日に初のアルバム「BUNCHED BIRTH」をリリース。全国12会場を巡るレコ発ツアーを開催する。

12月に日本コロムビア内のレーベル・TRIADと契約。

5月大相撲横綱・千代の富士が引退

12月ソビエト連邦が崩壊

1992

メジャーデビュー当時のTHE YELLOW MONKEY。

5月21日にメジャーデビューシングル「Romantist Taste」、6月21日にメジャー1stアルバム「THE NIGHT SNAILS AND PLASTIC BOOGIE(夜行性のかたつむり達とプラスチックのブギー)」をリリース。

7月バルセロナオリンピック開幕。岩崎恭子選手が14歳で金メダルを獲得

9月宇宙飛行士の毛利衛が日本人で初めてスペースシャトルに搭乗

1993

「EXPERIENCE MOVIE(未公開のエクスペリエンス・ムービー)」発売当時のTHE YELLOW MONKEY。

3月1日に2ndアルバム「EXPERIENCE MOVIE(未公開のエクスペリエンス・ムービー)」をリリース。

6月に東京・日本青年館にて、全国ツアーファイナル公演として初のホールワンマンライブ「life Time・SCREEN~追憶の銀幕~」を開催。

3月福岡ドーム(現:福岡PayPayドーム)が完成

6月皇太子徳仁親王、雅子妃が成婚

SUCK OF LIFE(アルバム「EXPERIENCE MOVIE(未公開のエクスペリエンス・ムービー)」に収録)

活動初期から現在まで欠かさず演奏され続け、吉井和哉(Vo)と菊地英昭(G)が絡むライブパフォーマンスが常に熱狂を巻き起こす絶対的定番曲。グラムロック期のデヴィッド・ボウイへの憧憬を率直に表現する強力なギターリフと踊れるリズム、吉井の若々しく毒々しい演劇的歌唱は、バンドがいまだアンダーグラウンドに片足を残していたこの時期にしかない特別な味わいだ。洋楽ロックの翻訳文体としての日本のロックへの純粋な愛情と屈折とが愛おしい。

1994

「悲しきASIAN BOY」発売当時のTHE YELLOW MONKEY。

2月21日に3rdシングル「悲しきASIAN BOY」、3月1日に3rdアルバム「jaguar hard pain 1944-1994」をリリース。「1944年に戦死した男・ジャガーが現代に蘇り恋人マリーを探し、1年をかけて出会う」というストーリーを、アルバムと3本のライブツアーを通じて表現した。

悲しきASIAN BOY(シングル「悲しきASIAN BOY」、アルバム「jaguar hard pain」に収録)

実験的なコンセプトアルバム「jaguar hard pain」の中核を成す曲で、その後のライブで常に重要な位置に置かれ続けている人気曲。ギターリフとリズム隊が奏でるビートが一体となって作る強靭なグルーヴ、明るく開放感あふれる歌謡曲的なサビのメロディは、のちの大ヒット曲に通じるひな形のような趣がある。歌詞は「jaguar hard pain」のシリアスなコンセプトを汲みつつ、アジアのロックバンドとしてのプライドを前面に強く打ち出した意味でも重要な1曲。

「熱帯夜」発売当時のTHE YELLOW MONKEY。

7月21日に4thシングル「熱帯夜」をリリース。

10月音楽番組「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」放送開始

12月PlayStation発売

熱帯夜(シングル「熱帯夜」、アルバム「smile」に収録)

アーティスティックなロック芸術の初期衝動のままに走り抜けたメジャーデビュー後の3枚のアルバムを経て、ヒットチャートの上位を狙うポピュラーなロックバンドへの転身を図った記念すべき第一歩。リリース当時はヒットに至らなかったが、一発で耳をとらえるキャッチーなギターリフ、マイナー調の哀愁あるメロディとコーラス、妖しくセクシャルなイメージを振りまく恋愛を描いた歌詞の魅力的な組み合わせは、バンドの得意技としてこのあと定着してゆく。

1995

「Love Communication」発売当時のTHE YELLOW MONKEY。

1月21日に5thシングル「Love Communication」をリリース。オリコン週間シングルチャートで初のトップ30入りを果たす。2月1日に4thアルバム「smile」をリリースし、3月1日にはこのアルバムから「嘆くなり我が夜のFantasy」をシングルカットしてリリース。4月11日に初の東京・日本武道館でのライブを開催した。

1月阪神・淡路大震災が発生

3月地下鉄サリン事件が発生

Love Communication(シングル「Love Communication」、アルバム「smile」に収録)

「ライブの動員は好調だがCDが売れない」と言われていた彼らの記念すべき初ヒット。グラマラスで古典的なブギーロックを骨格に、90年代らしい軽快なダンスビートと鮮やかなコードチェンジをまとわせ、サビまで一気に聴かせる心地よさは見事のひと言。クセの強い吉井の歌も素直にメロディのよさを引き立てるようになり、恋の歓びを高らかに歌う歌詞とあいまって、聴くだけでなく「一緒に歌って楽しい」ロックバンドへの方向性が確立した。

嘆くなり我が夜のFantasy(アルバム「smile」、シングル「嘆くなり我が夜のFantasy」に収録)

活動初期からライブで披露していた楽曲のリメイクで、シンプルなギターリフがリードし、マイナーコードのパートからメジャーコードのサビへと一気に開ける構成は彼らのヒット曲の定石。だが聴き終えたときもの悲しい印象が強く残るのは、ダークファンタジーめいた歌詞の禍々しさと、売れてなお消えることのない吉井の中に潜む闇属性のせいか。闇と光を抱えたままバンドは突き進み、初の武道館公演を経てこのあと黄金期へと突入する。

「太陽が燃えている」発売当時のTHE YELLOW MONKEY。

11月1日に初のロンドンレコーディングで制作した5thアルバム「FOUR SEASONS」をリリース。「太陽が燃えている」「Tactics」「追憶のマーメイド」といったシングル曲を収録したこのアルバムでバンド初のオリコン週間アルバムチャート1位を獲得する。

10月テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」放送開始

追憶のマーメイド(シングル「追憶のマーメイド」、アルバム「FOUR SEASONS」に収録)

一聴してほかの曲とアレンジの感触が違うその理由は、日本コロムビア在籍時に唯一外部プロデューサーを迎えて共同制作された曲だから。タイアップによるヒットを狙って戦略的に作られたらしいが、ロックバンドらしさよりも哀愁漂うメロディのよさと吉井の歌の色気にフォーカスしたバランスは、90年代半ばのヒットチャートへの挑戦として正当なもので、結果的にセールスもバンドの認知度もグッとアップ。新たなファンを獲得する原動力になった。

太陽が燃えている(シングル「太陽が燃えている」、アルバム「FOUR SEASONS」に収録)

日本人の琴線に触れる歌謡曲的な口ずさみやすいメロディにシンプルなギターとリズムを配し、平成のグループサウンズ的なロックチューンに仕立てる技を完全にモノにした1曲。チャートで初のトップ10にランクインするヒットに。アンダーグラウンドの尻尾を切り捨ててつかんだ明快な歌謡ロックの音像は、当時のチャート常連だったMr.Childrenなどのバンド勢や、ビーイング系や小室サウンドとも並走しうる堂々たるもの。この時期の彼らは1曲ごとに大きな飛躍を遂げてゆく。

Tactics(アルバム「FOUR SEASONS」、シングル「JAM / Tactics」に収録)

初のアニメタイアップ(「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」エンディング曲)で、「JAM」とのダブルA面シングルとしても知られるヒットチューン。洗練されたダンサブルなリズムとストイックにバッキングに徹するギターを背景に、ファンキーにうねるオルガンを前面にフィーチャーした音作りという、それまでの彼らにはなかったアダルトでグルーヴィな味わいが新鮮だ。チャート狙いのシングル路線とは一線を画す、バンドの音楽的深みがよく出た1曲。

1996

「JAM」発売当時のTHE YELLOW MONKEY。

1月12日より全国ツアー「TOUR '96 FOR SEASON」の追加公演を開催。このライブで初披露した新曲「JAM」を2月29日に9thシングルとしてリリースし、80万枚を超えるヒットを記録した。

2月「ポケットモンスター 赤・緑」発売

JAM(シングル「JAM / Tactics」に収録)

バンドの代名詞として30年間の歴史の頂点に位置する絶対的な名曲。当時のレコード会社と所属事務所の反対を押し切ってリリースされ、予想外の大ヒットとなった逸話はよく知られているが、何より彼らが「思想を持つロックバンド」であることを世に示した事実は非常に重い。天災やテロなど不穏な事件が頻発した当時の世情を受け、吉井の極めてパーソナルな心情をつづったアンセミックなロックバラードとして、この曲は今も生命力を失っていない。

7月10日に10thシングル「SPARK」を発表。11月25日にファンハウス(現・アリオラジャパン)移籍第1弾作品となる11thシングル「楽園」をリリース。

SPARK(シングル「SPARK」に収録)

日本コロムビア時代の最後のシングル。問題作「JAM」を経て、スピード感あふれるマイナーコードの哀愁あるメロディからポップに開けるサビという得意のパターンでまたも大ヒットを飛ばす。この時期のTHE YELLOW MONKEYはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いの好調さ。ほかのシングルにはダンサブルなリズムパターンが多いが、この曲はストレートな8ビートでぐんぐん飛ばす、バンド一丸となった突進力が楽しめる。ボーカルエコーの繊細な使い方も面白い。

楽園(シングル「楽園」、アルバム「SICKS」に収録)

ドラマ「新・木曜の怪談」主題歌になった移籍第1弾シングルは、明るく歪むサイケデリックな音像の中で、ドラッギーな情景描写が映えるミドル&アップテンポのグルーヴィな楽曲。イントロでは珍しくシンセサイザーが個性を主張し、間奏では吉井のフェイクが揺れながら落下していくように聞こえる、凝ったサウンドメイクも聴きどころ。菊地英昭のギターソロも気迫みなぎる名演だ。ヒットチャートも意識しつつ、マニアなロックファンをも納得させる会心作。

バンドの結成記念日である12月28日に日本武道館で「メカラ ウロコ・7」を開催。

11月携帯ゲーム機・たまごっち発売