THE YELLOW MONKEYメジャーデビュー30周年記念特集|30曲レビューと年表でたどるTHE YELLOW MONKEYの変遷、世界の変化

THE YELLOW MONKEY年表
時事年表

1997

「SICKS」発売当時のTHE YELLOW MONKEY。

2回目のロンドンレコーディングで制作した6thアルバム「SICKS」を1月22日にリリース。2月より初のアリーナツアー「FIX THE SICKS」を開催した。

花吹雪(アルバム「SICKS」に収録)

アルバムの中の1曲にもかかわらずファン投票では常に上位に入る隠れた名曲。吉井の持つ歌謡曲やポップスのセンスを前面に打ち出した哀愁あるメランコリックな曲調だが、傍らで刺々しく鳴り続けるギター、うねるオルガン、チェンバロのようなエレガントな音色などを各所に配し、ロックバンドが奏でる一風変わったポップスとして独特の雰囲気を醸し出す。闇と病みをないまぜにした、美しくも不穏な恋物語をつづった映像的な歌詞も非常に魅力的。

4月19日に12thシングル「LOVE LOVE SHOW」、7月24日に13thシングル「BURN」をリリース。7月26日にはこの年に初開催された「FUJI ROCK FESTIVAL '97」に出演した。8月からはスタジアム会場を含む全国ツアー「TOUR'97~紫の炎~」を開催。

3月大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)、ナゴヤドーム(現:バンテリンドームナゴヤ)が完成

4月消費税率が5%に

11月サッカー日本代表がワールドカップ本大会初出場を決める。通称「ジョホールバルの歓喜」

LOVE LOVE SHOW(シングル「LOVE LOVE SHOW」、アルバム「PUNCH DRUNKARD」に収録)

ノンタイアップながら前シングル「楽園」と並ぶセールスを記録した大ヒット曲。トップバンドへと上り詰めた自信のおかげか、吉井の得意とする言葉遊びやダブルミーニングが陽の方向に振り切れ、歌詞に合わせた馬のいななきの効果音など、コミカルに感じられるギミックも盛り込んだ新境地。明るい8ビートに乗って、演奏も吉井の歌もややラフに感じられるほど伸びやかで勢いがあり、当時のバンドの絶好調ぶりが音に閉じ込められている。

BURN(シングル「BURN」、アルバム「PUNCH DRUNKARD」に収録)

ドラマ「職員室」主題歌で、CDセールスは現時点でバンド史上最大を誇る。ラテン風のピアノが印象的なミドルテンポのグルーヴィな楽曲で、菊地英二と廣瀬のリズム隊が作る独特のうねりが聴き手の心と体を踊らせる。ソングライター・吉井和哉の才能はさらに全面開花し、女性目線でつづられた歌詞は、エロティックな比喩を使いつつも悲恋の哀感をみずみずしく描き切って余すところがない。ボーカルも感情的で思い入れたっぷりだ。

1998

2月4日に14thシングル「球根」、3月4日に7thアルバム「PUNCH DRUNKARD」をリリース。4月からは全113本、約1年にわたるロングツアー「PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/99」を開催した。ツアー中の10月21日には17thシングル「MY WINDING ROAD」をリリース。

2月長野オリンピック開幕

球根(シングル「球根」、アルバム「PUNCH DRUNKARD」に収録)

初のオリコン週間シングルチャート1位を獲ったロックバラードの金字塔で、グランジ / オルタナの香り高い不穏なギターとつぶやくような歌から、サビへ向けて激しくバンドサウンドが弾けるドラマチックな展開がインパクト大。歌詞は「JAM」にも通じるもので、バブル崩壊や社会的事件を背景にした不安や痛みをすくい上げるメッセージが掲げられており、「希望の水を僕はまく」と高らかに歌う声は何度聴いても心が震える。

MY WINDING ROAD(シングル「MY WINDING ROAD」に収録)

エレクトロビートが弾けるディスコロックとして新境地を拓いた1曲。マイナーな哀愁あるメロディ→開放感あふれるポップなサビというヒットシングルの法則はこれまで通りだが、ストイックに16ビートを刻むドラムとスラップを駆使したベース、装飾音的なギターやシンセサイザーの多用など、売れてなお音楽的挑戦を続ける姿勢がカッコいい。リリース当時は冒険だったはずだが、ファンは現状に甘んじることなく前進を続けるバンドの姿勢に強く共感した。

1999

「SO YOUNG」発売当時のTHE YELLOW MONKEY。

3月3日に18thシングル「SO YOUNG」をリリース。直後に行われた神奈川・横浜アリーナ4DAYSライブをもって「PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/99」を終了させた。12月8日にリリースした19thシングル「バラ色の日々」では初の共同プロデューサーとして朝本浩文を迎えた。

2月iモードのサービスがスタート

3月シングル「だんご3兄弟」リリース。1990年代のシングル売上ランキング1位を記録し大ブームに

9月東海村JCO臨界事故発生

SO YOUNG(シングル「SO YOUNG」に収録)

前代未聞の長期ツアー「PUNCH DRUNKARD TOUR」の興奮とカオスの中で産み落とされた自伝的ナンバー。過ぎ去りゆく青春をバンドの現状に重ねた吉井の歌詞は、あまりにノスタルジックで透明な悲しみにあふれ、バンドが大きな転機に差しかかったことを否応なく示す。ピアノを加えたリズミカルなロックバラードとしての完成度は最高級だが、吉井の孤独にそっと寄り添うようなもの悲しいリードギターをはじめ、演奏全体に漂う儚さがいつまでも耳に残り続ける。

バラ色の日々(シングル「バラ色の日々」、アルバム「8」に収録)

UAの作品などで知られる朝本浩文の参加は、ダンスミュージック的に洗練されたリズムの安定感をもたらした。ドラム、パーカッション、ベースとギターが一体となった強靭なグルーヴの上で、美しくも切ない旋律が映えるキャッチーな曲だが、歌詞は「SO YOUNG」と同様に行き場のない悲しみがあふれ出し、聴き手を無常の世界へと誘う。ラスト近く、メロディには乗らない言葉を放つ吉井の声は、もはや歌詞ではなく心からの叫びに聞こえる。

2000

1月26日に20thシングル「聖なる海とサンシャイン」を、4月5日に21stシングル「SHOCK HEARTS」を発売。4月8日からアリーナツアー「SPRING TOUR」を行う。このツアーが2004年の解散前に行われた最後のツアーとなった。

5月西鉄バスジャック事件が発生

聖なる海とサンシャイン(シングル「聖なる海とサンシャイン」、アルバム「8」に収録)

朝本浩文によるプロデュースは、引き算的な手法で各楽器の存在感を研ぎ澄ませ、それを組み合わせて強いうねりを創り出す見事な職人仕事。このメランコリックなダンスロックチューンも聴きどころはメンバー全員のプレイだが、耳に残るのはやはり吉井の言葉。終わりのイメージを強く滲ませつつ「燃やしてくれサンシャイン」と歌う、そんな私的な思いをヒットチャートに送り込むバンドがかつていただろうか。切実さは今も生々しいままだ。

「パール」発売当時のTHE YELLOW MONKEY。

7月12日には22ndシングル「パール」、7月26日には吉井がトータルプロデュースを務めた8thアルバム「8」をリリース。11月1日に23rdシングル「BRILLIANT WORLD」を発表した。

9月シドニーオリンピック開幕。柔道で田村亮子選手、マラソンで高橋尚子選手が金メダル獲得

パール(シングル「パール」、アルバム「8」に収録)

吉井プロデュースによる初期衝動に立ち戻ったようなパンキッシュなロックチューンで、ストリングスとキーボードを加えた演奏も歌もラフなライブ感にあふれ実にエネルギッシュ。歌詞は吉井にとって個人的な深い悲しみを表現したもののようだが、「不自由と嘆いてる自由がここにある」と、現状を客観視する視点が風通しのいい開放感をもたらす。この曲に限らず、アルバム「8」の楽曲には過去と未来が雑然と交錯する多層的な魅力がある。

BRILLIANT WORLD(シングル「BRILLIANT WORLD」に収録)

編曲や演奏面で吉井和哉色が濃厚な「8」の次の一手としてリリースされたこの曲は、シンプルに歌を支える演奏をバックに、クルーナー然とした朗々たる歌声が映えるアダルトでポップな1曲。これまで以上にソロシンガー的なニュアンスを強く感じさせる曲で、バンドサウンドだがバンド感よりもポップスとしての完成度の高さが際立つ作品だ。直後にバンドは初の東京ドーム公演と活動休止を発表し、終幕へ向けてのカウントダウンが始まる。

11月15日、翌年1月に大阪ドームと東京ドームで開催するライブ「メカラ ウロコ・8」を最後に活動を休止することを発表。

2001

「プライマル。」発売当時のTHE YELLOW MONKEY。

1月4日に大阪ドーム、8日に東京ドームで「メカラ ウロコ・8」を開催し活動休止に入る。1月31日には24thシングル「プライマル。」をリリースした。

3月ユニバーサル・スタジオ・ジャパン開業

4月小泉純一郎が内閣総理大臣に就任

9月アメリカ同時多発テロ事件が発生

プライマル。(シングル「プライマル。」に収録)

活動休止前のラストシングルには、メンバーが敬愛するデヴィッド・ボウイやT・レックスなどをプロデュースしたトニー・ヴィスコンティが参加。グラムロック色の濃いリズミックな楽曲にぴったりのホーン隊とコーラスのアレンジが印象的だ。歌詞には活動休止を意識した別れのメッセージがつづられているが、深刻さよりもむしろユーモラスな言葉遊びを強調して、雰囲気は明るい。その後バンドは3年後に解散を発表、永い眠りに入る。

2002

5月日本と韓国でサッカー・FIFAワールドカップが開幕。日本が初のベスト16入りを果たす

9月初の日朝首脳会談が実現

12月auが着うたサービスを開始

2003

3月映画「千と千尋の神隠し」がアカデミー賞長編アニメ映画賞を受賞 / イラク戦争が勃発

2004

7月7日をもってバンドを解散したことを8月に発表。12月に過去の軌跡を追った映像の上映、衣装や楽器の展示などを行うイベント「THE EXHIBITION AND VIDEO FESTIVAL OF THE YELLOW MONKEY メカラ ウロコ・15」を全国10会場で開催し、12月26日に東京ドームで行われた最終日ではメンバー4人が最後の挨拶として「JAM」を演奏した。

8月アテネオリンピックが開幕

10月新潟県中越地震が発生

2005

3月愛知県で愛・地球博が開幕

4月JR福知山線脱線事故が発生 / YouTubeがサービス開始

8月iTunes Music Storeがサービス開始

2006

1月ライブドア事件発生

2月トリノオリンピック開幕。フィギュアスケートで荒川静香選手が金メダル獲得

2007

2月ナタリーがサービス開始

7月新潟県中越沖地震が発生

2008

7月iPhoneが日本で発売

8月北京オリンピック開幕。女子ソフトボール日本代表が金メダル獲得

2009

結成20周年を記念し、12月9日に23組のアーティストが参加したトリビュートアルバム「THIS IS FOR YOU~THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM」がリリースされる。

1月バラク・オバマがアメリカ大統領就任

2月映画「おくりびと」がアカデミー賞最優秀外国語映画賞受賞

6月マイケル・ジャクソンが死去

2010

6月小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還

2011

3月東日本大震災が発生

6月サッカーFIFA女子ワールドカップで日本代表が初優勝

2012

メジャーデビューから20年を迎えた5月21日、過去の全アルバムとミュージックビデオの一斉配信がスタート。10月からデビューシングル「Romantist Taste」の新バージョン、ライブ映像作品の完全版「TRUE MIND "NAKED"」「RED TAPE "NAKED"」が連続でリリースされた。

2月東京スカイツリーが開業

10月山中伸弥教授がノーベル生理学・医学賞受賞

2013

7月31日にファン投票で収録曲を決定したベストアルバム「イエモン-FAN'S BEST SELECTION-」がリリースされる。9月には1998年から1999年にかけて行われたツアー「PUNCH DRUNKARD TOUR」の模様を追ったドキュメンタリー映画「パンドラ ザ・イエロー・モンキー PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE」が公開に。この中では解散後初めてメンバー4人がそろってインタビューを受けている。

4月NHK連続テレビ小説「あまちゃん」放送開始

9月2020年夏季オリンピック開催地が東京に決定

2014

3月「笑っていいとも!」が放送終了

4月消費税が8%に増税

2015

6月Apple Musicが日本国内でのサブスクリプションサービスを開始

9月安全保障関連法が国会で成立