ナタリー PowerPush - THIS IS FOR YOU - THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM
祝・結成20周年! 伝説のバンドの魅力を語り尽くすトライセラ吉田×椿屋中田対談
伝説のバンドTHE YELLOW MONKEYの結成20周年を祝して、トリビュートアルバム「THIS IS FOR YOU~THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM」と、かつて行われていたスペシャルライブ「メカラ ウロコ」の4公演を全曲収録した9枚組ライブDVDボックス「メカラ ウロコ・LIVE DVD BOX」が同時発売された。トリビュートアルバムには、イエモンを愛するアーティストたちや彼らから影響を受けた若手アーティスト、同じ時代を一緒に駆け抜けた同世代のバンド、イエモンがリスペクトしてやまない重鎮など、ジャンル/世代を超えたアーティストたちが一堂に会した興味深い仕上がりとなっている。
今回ナタリーではこのアルバム&DVD発売を記念して、トリビュートアルバムにも参加しているTRICERATOPSの吉田佳史(Dr)と、椿屋四重奏の中田裕二(Vo,G)による対談を実施。今年の夏、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2009」で初めて会ったという2人は、THE YELLOW MONKEY/吉井和哉というキーワードを軸に、それぞれの視点でイエモンの魅力についてたっぷり語ってくれた。
取材・文/西廣智一 インタビュー撮影/中西求
イエモンとトライセラは同じ土俵に立ってるイメージ
──この特集をするにあたって誰に話を訊こうかと考えたとき、THE YELLOW MONKEYのファンだという中田さんと、吉井和哉さんのツアーにドラマーとして参加した吉田さんがいいんじゃないかということになりまして。
吉田佳史 アルバムに参加してるのはそうそうたる方々ばかりですよね。なんで僕なんだって思ったんですよ。中田くんは僕よりぜんぜん詳しいですからね(笑)。だって大好物でしょ?
中田裕二 はい、まぁそうですね(笑)。
吉田 中田くんって今いくつだっけ?
中田 28歳です。
吉田 やっぱり。吉井さんも言ってたんですけど、25歳くらいから30代前半までの世代の人がドンピシャらしくて。俺は今年39歳で、世代的にはちょっと上なんですよ。THE YELLOW MONKEYが活躍してた頃はもうプロミュージシャン的な活動をしてたので、中田くんくらいの世代とは少し捉え方が違うと思うんですよ。
──イエモン活動後期にTRICERATOPSがメジャーデビューしたんですものね。
中田 あ、そうなんですか! なんか俺、同時期だと思ってました。
吉田 俺らそんなに重鎮じゃないよ!(笑) そういうイメージがあるんだ?
中田 僕らからすると同じシーンの中で活躍しているバンドというか、同じ土俵に立ってるイメージがあったんです。
吉田 あぁそうか。なるほどね。
吉井さんはソロでやっていてもどこかでバンドを求めるんだろうな
──吉田さんはもともと、吉井さんと面識があったんですか?
吉田 きっかけは、2年前に「オールナイトニッポン」の40周年記念イベントが武道館であって、そのイベントから吉井さんにオファーがあったんです。さらに、そのイベントの中でセッションをしたらどうかって案があったみたいで。それまで全く面識がなかったので、その話をいただいたときは「なんでだろう」って3人で話したんですが、非常に光栄なことなので「じゃあぜひ」と返事したんです。イベントでは、最初にトライセラだけで3曲演奏して、その後吉井さんに入ってもらって。トライセラの「僕らの一歩」とイエモンの「JAM」を、僕らの演奏をバックに(和田)唱と一緒に歌ってくれたんです。
──それまで会ったことはなかったんですか?
吉田 リハーサルのために、イベントの数日前に会ったのが最初で、次がイベント本番。とても不思議な感じがあったけど、すごく良かったんですよ。そこから、吉井さんが年末にやってる武道館公演を毎年観にいくようになり。そのとき楽屋におじゃまして「おひさしぶりです、1年ぶりですね」なんて挨拶するぐらいしか会ってなかったんですけど、今年の始めにいきなり「サポートドラムをやってもらえませんか」って話が来たんです。
中田 その間に飲みに行ったりとかしました?
吉田 いや、全然! だから「やってもらえるのかなぁ」って話が事務所伝いに来たときは、びっくりしちゃって。今までレコーディングとかはお話をいただければ参加することはあったんですけど、トライセラを始めてからは他のアーティストさんのライブでドラムを叩くことはなかったんです。だから最初は、大規模なツアーをがっつりとやれるのかなと心配になって。でもやってみないことには何がどうなるかわからないし、トライセラにとっても得るものがあるはずだと思ったので参加することにしたんです。
──イエモン時代や吉井さんがソロになった早い時期には会っていたと思っていたので、意外でした。
中田 僕も以前から付き合いがあるんだろうなと、なんとなく思ってました。
吉田 ツアーのリハーサルに入る前、吉井さんと1回食事したんですよ。そこで「なんで僕なんですかね?」って訊いたら、「オールナイトニッポンのイベントで一緒にやったのがすごくしっくりきたから」と教えてくれて。
──実際、吉井さんもライブのMCで吉田さんのことを絶賛してましたよね。あれを観て、吉田さんのドラムが気に入ってツアーメンバーとして誘ったんだろうなと思ったんです。
吉田 どうなんでしょうね? すごくいいムードだって言っていただけましたが。これは俺が思ったことなんですけど、吉井さんはTHE YELLOW MONKEYというすごいバンドのボーカルであり、シンガーソングライターであり、フロントマンだったわけですよね。だからソロでやっていても、どこかでバンドを求める部分はあるだろうなと思ってたんです。それは、実際にリハーサルを重ねていって、他のメンバーと一緒に吉井さんのライブを作り上げていく中で「あ、これはもしかしたら、すごくいいバンドっぽくなってるんじゃないかな?」という思いが自分の中に生まれたからなんですけど。ツアーが始まってからはもっとバンドらしくなって、ほぼ毎晩メンバー同士で飲んで、たわいない話やしょうもない話をずっとしてました。僕もDVD(11月発売の吉井のDVD「the motion picture TOUR2009 宇宙一周旅行」)を観たんですけど、代々木体育館とZepp Sendaiではまた勢いが違うなと。吉井さんが「バンド感がすごくあるんだよね!」と言ってたので、きっとそれを一番喜んでくれてるんじゃないかなと思うんですよ。
──ソロだと何でも1人で背負ってしまいがちだし、だからこそツアーのときはバンドの一員として楽しみたいという気持ちもあるんでしょうね。
吉田 俺はツアーに参加するのは今回が初めてだったので、吉井さんについて知らないこともいっぱいあるんですけれど、ライブやツアーはものすごく好きみたいです。「家に帰りたくない」とかって言ってるくらいだし。
DISC 1
- WELCOME TO MY DOGHOUSE / SCOOBIE DO
- LOVE LOVE SHOW / 奥田民生
- SUCK OF LIFE / 毛皮のマリーズ
- SPARK / 秦基博
- JAM / TRICERATOPS
- 空の青と本当の気持ち / 星羅
- SEA / 山田孝之
- BURN / 椿屋四重奏
- カナリヤ / tacica
- 4000粒の恋の唄 / あがた森魚
- PUFF PUFF (instrumental) / MORGAN FISHER
DISC 2
- FOUR SEASONS / フジファブリック
- パール / 黒猫チェルシー
- TVのシンガー / 9mm Parabellum Bullet
- 楽園 / KREVA
- SHOCK HEARTS / metalmouse
- 球根 / THE BACK HORN
- 追憶のマーメイド / ムック
- 離れるな / 金子ノブアキ
- SO YOUNG / シュリスペイロフ
- メロメ (instrumental) / MORGAN FISHER
- バラ色の日々 / Nothing's Carved In Stone
- プライマル。 / フラワーカンパニーズ
収録内容
- メカラ ウロコ・7
(1996年12月28日 日本武道館) - メカラ ウロコ・9
(1998年12月28日 日本武道館) - メカラ ウロコ・10
(1999年12月28日 日本武道館) - メカラ ウロコ・8
(2001年1月8日 東京ドーム)
特典
- BONUS DISC
- メカラ ウロコ・15パンフレット縮刷版付
収録内容
- オリジナルの音源のデジタル・リマスター盤 Blu-spec CD™仕様。
- 渡英前にレコーディングされた未発表デモ・トラックス音源。
- 日本でのデモ・レコーディング、ロンドン・レコーディングの秘蔵映像を収録したDVD。
THE YELLOW MONKEY
(いえろーもんきー)
1989年12月に吉井和哉(Vo)、菊地英昭(G)、広瀬洋一(B)、菊地英二(Dr)の4人で本格始動。グラマラスなビジュアル&サウンドと歌謡曲にも通じるキャッチーなメロディを武器に、渋谷La.mamaを拠点に精力的なライブ活動を行う。1991年にはインディーズから初のアルバム「Bunched Birth」をリリース。翌1992年5月にはシングル「Romantist Taste」でメジャーデビューを果たす。その後も着実に知名度を高め、1995年4月には日本武道館で初のワンマンライブを実現。「太陽が燃えている」「JAM」「SPARK」といったヒットシングルを連発し、5thアルバム「FOUR SEASONS」は初のチャート1位を獲得する。その後も「FUJI ROCK FESTIVAL '97」への出演や海外公演、野外スタジアムツアーなどを実施。1998年から1999年には、計112本を1年がかりでまわるロングツアーも敢行し、トップバンドの名を欲しいままにする。しかし、2000年11月に活動休止を突如発表。翌2001年1月の大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)&東京ドームでのライブをもって、長期間の充電に突入する。多くのファンから復活を熱望されていたが、2004年7月に正式に解散を発表。現在もなお、伝説のロックバンドとして多くのロックファン、ミュージシャンからリスペクトされている。