祝・結成20周年! 伝説のバンドの魅力を語り尽くすトライセラ吉田×椿屋中田対談
中田 それにしてもトライセラの「JAM」は本当に太いですね。
吉田 太い!? 「精が強い」とか「太い」とか、そういう言葉が多いな今日は(笑)。
一同 (爆笑)
吉田 実はこの「JAM」はモノラルミックスなんですよ、意外と気づかれないんだけど。
中田 あ、そうなんですか! 気づかなかった。
吉田 それについても、吉井さんとのちょっと面白い話があって。「JAM」のプリプロをやっているとき、ある日スタジオに行く前に朝シャワーを浴びてたら、ふと「あ、これモノミックスにしたらいいんじゃないか?」って思いついたんですよ。それで、スタジオ行ってエンジニアさんに「ちょっとモノで聴いてみたいんだけど」と言って。
──最近、THE BEATLESのモノラルボックスも出たし、タイムリーですよね。
吉田 そうなんです。あと、吉井さんってものすごいたくさんアナログ盤を持ってるんですよ。一番新しいアルバム「VOLT」に「ノーパン」って曲があるんだけど、その中に「♪モノラルで聴くピアノトリオ」という歌詞があって。それに、吉井さんが小さい頃に聴いてた、ステレオじゃなくてモノラルの音がすごくいいって話を以前から聞かされていたんです。だったら「JAM」をモノラルにして、中田くんや中田くんよりもっと下の世代にもTHE YELLOW MONKEYの「JAM」がスタンダードになってもらえるような、良い橋渡しになるんじゃないかとひらめいたんですよ。その後で吉井さんとサシで飲んでたときに、「そういえば『JAM』なんですけど、モノで出そうと思ってるんですよ」と言ったら「えっ! ホント!?」ってすごいびっくりしてて。もちろん自分たちを通してという形にはなるけど、世代をつなぐのにモノはすごくいい、THE BEATLESみたいにスタンダードなものとして残せたらと話したら、「うわぁ、すげぇ鳥肌立った! ぜひよろしくお願いします」って言ってくれたんですよ。でも、意外と誰にも気づかれなくて(笑)。吉井さんも「いや俺大丈夫だよ、俺がライナーノーツに書くから」と言ってくれたのに、書いてないし(笑)。
一同 (爆笑)
吉田 そのときはすごく喜んでくれましたけどね。できあがった音源を渡して聴いてもらったときにも、「とてもうれしい」というメールをくれたし。
──このトリビュートアルバムと同じタイミングで、過去のライブをまとめた「メカラ ウロコ・LIVE DVD BOX」がリリースされました。改めて観てみると、それこそ洋楽みたいな、別世界を観ているようで。たぶん吉田さんも80年代にそういう洋楽の原体験があると思うんですけど、海外のロックバンドのライブを観ているようで、「あ、こんなにすごかったっけ!?」という事実に改めて気づかされた気がします。
吉田 今の自分の目で見ると、もっと細かいところも見えるんでしょうね。
中田 スタジアムバンドってコピーが付いていてもすごく自然なバンドでしたよね、THE YELLOW MONKEYって。
吉田 こういうゴリゴリのロックという意味では、THE YELLOW MONKEY以降はそういうバンドが出てきてない気がするな。
中田 ものすごいオーソドックスで王道だったと思うんですけど、めちゃめちゃ異端だったんですよね。そこがやっぱりすごいと思うし。
──そのスタイルでヒットチャートの上位に入っていって、どんどん支持も集めて、アリーナクラスのライブもばんばんやっていたのが、彼らの痛快だったところだと思うんです。
吉田 なんかこう、すべて引き受けてくれる感じのアーティストになるのはなかなか難しいですよね。
中田 すごく夢がありますよね。そりゃあみんな夢中になると思いますよ。今はいろんなジャンルのロックがあるけど、これからはそういう夢を見せてくれるバンドがもっと出てくるといいですよね。
1970年愛知県名古屋市生まれ。TRICERATOPSとして、1997年5月にインディーズからミニアルバム「TRICERATOPS」を発表。同年7月にシングル「Raspberry」でメジャーデビューを果たす。その後着実に人気を伸ばし、1999年5月発売のシングル「GOING TO THE MOON」がテレビCMに起用される。その後も数々の名曲を発表。2004年発表のアルバム「LICKS&ROCKS」の頃からは、より「踊れるロック」を追求しはじめ、ロックバンドとしての新たな可能性を探り続けている。2008年、avex/tearbridge recordsへ移籍。10月にダンスビートに満ちた通算9枚目となるアルバム「MADE IN LOVE」を発売。外資系CDショップ1位を獲得。12月16日には藤井フミヤとのコラボレーションシングル「爆音Time ~NO MUSIC, NO LIFE.~」をタワーレコード限定で発売した。
1981年熊本県生まれ。2000年、仙台で椿屋四重奏を結成。2003年8月にミニアルバム「椿屋四重奏」をインディーズからリリースする。和を意識したメロディアスなロックを確信的に鳴らすそのスタイルが話題を集め、2005年6月に発表したシングル「紫陽花」はスマッシュヒットを記録。2007年にワーナーミュージック・ジャパンに移籍し、5月にメジャー1stシングル「LOVER」をリリース。その後2008年2月に前作より約2年半ぶりとなるフルアルバム「TOKYO CITY RHAPSODY」を発表。精力的なライブ活動で着実に支持を広げる。また2009年春にはソロプロジェクト「SONG COMPOSITE」として全国ツアーを開催。8月には椿屋四重奏としてメジャー2ndアルバム「CARNIVAL」をリリース。翌9月からこのアルバムを引っさげ、全国31カ所32公演のロングツアー「TOUR '09 CARNIVAL」を展開中。

1989年12月に吉井和哉(Vo)、菊地英昭(G)、広瀬洋一(B)、菊地英二(Dr)の4人で本格始動。グラマラスなビジュアル&サウンドと歌謡曲にも通じるキャッチーなメロディを武器に、渋谷La.mamaを拠点に精力的なライブ活動を行う。1991年にはインディーズから初のアルバム「Bunched Birth」をリリース。翌1992年5月にはシングル「Romantist Taste」でメジャーデビューを果たす。その後も着実に知名度を高め、1995年4月には日本武道館で初のワンマンライブを実現。「太陽が燃えている」「JAM」「SPARK」といったヒットシングルを連発し、5thアルバム「FOUR SEASONS」は初のチャート1位を獲得する。その後も「FUJI ROCK FESTIVAL '97」への出演や海外公演、野外スタジアムツアーなどを実施。1998年から1999年には、計112本を1年がかりでまわるロングツアーも敢行し、トップバンドの名を欲しいままにする。しかし、2000年11月に活動休止を突如発表。翌2001年1月の大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)&東京ドームでのライブをもって、長期間の充電に突入する。多くのファンから復活を熱望されていたが、2004年7月に正式に解散を発表。現在もなお、伝説のロックバンドとして多くのロックファン、ミュージシャンからリスペクトされている。