閑叟が歴史の教科書に載らない理由は……
──個人的にKダブシャインさんのヴァースにある「翻訳正確」というラインは、閑叟の聡明さを端的に表現していると思いました。
Kダブシャイン 新しい技術や文化を取り入れるときに重要なのは翻訳の正確さだと思う。表層的な部分だけではなく、なぜそういったものが生まれたのかという背景や哲学までも理解して、初めて模倣できるんですよ。
KEN THE 390 閑叟はインプットの質が高かったんだと思うな。当時の佐賀藩は長崎の警備を隔年で担当してて、当番年には1年に3回以上、藩主自ら長崎に行ってるんですよ。そこで海外の動向や世界の新しい技術を正しく把握してたんでしょうね。
Kダブシャイン 当時の長崎は今で言う東京みたいなところだからね。外国との交流が一番あるからいろんな文化が入ってきてて、「なんだこれ?」ってものもまかり通ってた。きっと彼はそこで見て、肌で感じたものをどんどん吸収してたんだよ。
KEN THE 390 でも新しいことには同時にリスクもあるじゃないですか? 閑叟は日本で初めて鉄を溶かす反射炉を作って大砲や蒸気船を製造したけど、それって当時からすると相当斬新なアイデアだと思う。普通そこに自分の持ってる資源は投資できないですよ。
- 多布施公儀石火矢鋳立所図
- 当時日本唯一の海外との窓口であった長崎の警備を担当していた佐賀藩は、欧米列強と日本の軍事力の差に危機感を抱いて軍備の近代化に取り組み、長崎で入手した蘭学書を基に1850年に反射炉を建設。日本で初めて鉄製大砲の鋳造に成功した。この図に描かれているのはペリー来航後、幕府の要望を受けて新たに整備された反射炉。
- 鍋島直正品川台場巡視之図
- 1853年、浦賀にはアメリカからペリー、長崎にはロシアからプチャーチンが来航しそれぞれ日本の開国を要求した。浦賀でアメリカに対して譲歩を重ねることになった一方、長崎にはすでに砲台が完成していたため、万全の警備体制のもと毅然とした談判をすることができた。これを受けて幕府は品川への砲台建設を急遽決め、佐賀藩に鉄製大砲50門を注文。この図には1856年に鍋島直正が実地検査のため品川台場を訪れたときの様子が描かれている。
Kダブシャイン それはたぶん危機感がすごかったからじゃないかな? 長崎からオランダの情報が逐一入ってきて、しかも中国がアヘン戦争に負けた話とかも聞いていただろうし。
──資料によると、佐賀藩は長崎で入手した蘭書を頼りに反射炉を作り上げたそうです。
KEN THE 390 先見の明に加えて、すさまじい行動力もあったんだ。長崎でオランダのでっかい船を実際に見て衝撃を受けたんでしょうね(笑)。
Kダブシャイン そうか、九州の人たちは黒船よりも先に蒸気船とかを見てるんだよね。
──佐賀藩は日本で最初に鉄製の大砲を持ってて、最強の軍事力を誇っていたのに、幕末の物語にあまり出てこないのは改めて不思議です。普通にNHKの大河ドラマ案件だと思うのですが。
DEJI さっきKダブさんが言ってたけど、それはやはり閑叟が聡明すぎたからだと思います。閑叟と佐賀藩は最強の軍事力を持っていたけど、それを国内の同胞には使いたくなかったんですよ。あくまでも異国から攻めてくるものに対して国防の観点から対抗手段として武力を蓄えていたんです。
KEN THE 390 鳥羽・伏見の戦いで大坂城にいた徳川慶喜がひそかに江戸に帰ったのを見て、もう幕府側に流れがないと思って倒幕派に参加したらしいです。内戦は国力を低下させるだけだから、閑叟はとにかく早く戦いを終わらせようとした。
KOHEI JAPAN その後の戊辰戦争でも佐賀藩は近代装備を持っていたから大活躍してるんだよね。
Kダブシャイン なるほど。閑叟と佐賀藩は最強の武器を持っていたけど、薩長みたいに積極的に動かなかったんだ。だから歴史の教科書にあまり出てこないんだね。倒幕はよく革命と言われるんだけど、実際はただの権力闘争だったとも見れるかもね。徳川から薩長に実権が移っただけっていう。
KEN THE 390 勝った人たちの歴史観で僕らは生きてる……。
KOHEI JAPAN 幕末以降、歴代総理大臣の出身地を見ていくと圧倒的に薩長の出身者が多い。だから思想的にも当時の薩長の考え方が受け継がれてる。
Kダブシャイン 帝国陸軍は長州で、海軍は薩摩。司馬遼太郎の「坂の上の雲」で活躍した人は薩摩の人が多いでしょ?
KOHEI JAPAN こうやって現在にまでつながっているから歴史は面白いんです(笑)。
ヒップホップを正確に翻訳
──皆さんは今回「The SAGA Continues...」に参加して、閑叟に対してどんなことを思いましたか?
KOHEI JAPAN ヒップホップの観点からすると、彼は何もないところから新しいことを始めちゃってるんですよね。全然比較にならないだろうけど俺らが「日本語でラップしちゃおう」みたいな感覚で、彼はほんのちょっとの情報で「反射炉作るべ」ってなったわけよ(笑)。やっぱその行動力はすごいと思う。
DEJI KOHEIさんのヴァースに「閑叟公曰く『自分の不束は日本の御不束となる』」というラインがありますよね。やっぱりオリジネイターって当事者意識がすごいんですよ(笑)。
KEN THE 390 僕らの世代はすでに日本にヒップホップがあったからね。でも上の人たちは翻訳する作業が必要だったんですよ。「日本語でラップできるの?」というところから始めてる。
Kダブシャイン 日本のヒップホップのオリジネイターと言うと、いとうせいこうさんや高木完さん、もっと言えばEAST ENDやMICROPHONE PAGER、さらにはRHYMESTERも入れちゃってもいいと思うんだよね。そのうえでこんなこと言うと失礼かもしれないけど、当時の日本のヒップホップシーンには翻訳が足りてないと感じてて。
KOHEI JAPAN 間違いない。
Kダブシャイン 俺は当時アメリカにいて現地でヒップホップを体験していたからさ。例えばライミング1つ取ってみても、もっと構造的に韻を踏む方法があると思ってた。最新のメカニズムを日本語のラップにも落とし込めるって。それをしないとヒップホップはちゃんと日本で翻訳されないと思ったんですよ。閑叟のように(笑)。
KOHEI JAPAN (笑)。俺らは日本で暗中模索しまくってたから、当時の音源は恥ずかしいですよ。最初は兄貴(RHYMESTERのMummy-D)とかと作ったりしてたけど、何を目指せばカッコよくなるのかすらわからなかった。わからないながらもコツコツ作っていって、やっと形になってきたかなってあたりでキングギドラがすごくアメリカナイズされたヒップホップを日本に持ってきて。衝撃を受けましたね。みんなそれをお手本にしてた部分はあった。あの頃ヒップホップやってる連中は本当に少なくて、イベントをやってもお客がほとんど出演者みたいな状態だったから、俺とKダブも自然とつながっていったんですよ。
KEN THE 390に衝撃的事実が発覚
──最後に「The SAGA Continues...」に参加した感想を教えてください。
KEN THE 390 僕はこの企画がすごくチャレンジングで新しいと思ったんです。アイドルみたいな人を起用して「いかにも」なポップなラップにするんじゃなくて、ガチのラッパーを起用して僕らの音楽性にリスペクトを払いつつ、一緒にいい作品を作ってくれた。こういうのって実はない。この姿勢こそまさに閑叟のスピリット。「The SAGA Continues...」に参加できてすごくうれしかったですね。
DEJI 僕は佐賀県出身だし、ミュージックビデオにも登場する佐賀城本丸歴史館は自分が卒業した小学校の跡地にできたものなんです。やっぱりそういうゆかりのある企画に参加できたことはすごくうれしい。十数年ヒップホップをやってきて、こんな形で地元の友達の前に出ていけるなんて思ってなかったし。
KOHEI JAPAN みんなすごくうまかったと思う。音だけで映像が浮かぶし。あとKダブのフックがすばらしい。こういうポッセカットではまとめる作業が実はすごく難しいんですよ。そこは聴きどころですね。
Kダブシャイン ……褒められると黙っちゃうよ(笑)。俺はやっぱり今回の曲は佐賀の、特に若い人に届けたい。最初から、いわゆる観光ガイドみたいなラップにならないようにしようと意識したかな。若者たちが佐賀県出身であることに胸を張れるような内容にしなきゃいけないって。九州の他県の若者がこれを聴いて「佐賀ヤバいじゃん」ってなってくれればもっと最高ですね。あと新しいことにチャレンジするなんて、佐賀県はおしゃれだよね。
KOHEI JAPAN ちなみに、ここまでみんな偉そうに話したけど、実は歴史の専門家にリリックがちゃんと史実に則ってるかチェックされてるんだよ。
Kダブシャイン 大河ドラマでも時代考証は大事だからね(笑)。
KEN THE 390 そういえば、今回「The SAGA Continues...」のことを親に言ったら、父方の祖母のおばさんが閑叟さんの側室だったと言い伝えられているということを聞いて。うちは両親がもともと熊本県出身なんで佐賀県とも近いんです。家系図的にはかなり遠くて僕と血縁関係はないけど、実は祖母も閑叟のお屋敷に行ったことがあるって言ってました。こんなことってあるんだなって本当にびっくりしましたね(笑)。
- 左から
KEN THE 390(ケンザサンキューマル) - フリースタイルバトルで実績を重ねたのち、2006年にアルバム「プロローグ」をリリース。現在までにアルバム8枚、ミニアルバム4枚を発表している。2012年12月に主宰レーベル・DREAM BOYを設立。活発なアーティスト活動を続けながら、レーベル運営からイベントプロデュースに至るまで、多岐にわたって活躍している。現在はテレビ朝日系で放送中のMCバトル番組「フリースタイルダンジョン」に審査員としてもレギュラー出演中。早稲田大学を卒業しており、同校のソウルミュージック研究会「GALAXY」のOBである。
- Kダブシャイン(ケーダブシャイン)
- 日本のヒップホップシーンにおける重鎮ラッパー。現在の日本語ラップにおける韻の踏み方の確立に大きく貢献し、その洗練された文学的な韻表現と社会的な詩の世界はさまざまなメディアで高い評価を獲得している。またコメンテイターとしても数々のメディアに登場。“社会派ラッパー”としての地位を確立し、「社会において教育が大事」という持論を持つ。2016年12月には、日本の現状を独自の視点で切り込んだアルバム「新日本人」をリリースし話題に。東京都渋谷区出身であり、維新後に鍋島家が「松濤園」という茶園を開いた地であることにちなむ松濤地区とも深い縁がある。
- DEJI(デジ)
- 佐賀県出身のラッパー。2000年に上京すると共にマイクを握り始める。2004年に「ULTIMATE MC BATTLE」の第2回東京大会で優勝し、翌2005年に開催された「ULTIMATE MC BATTLE」第1回グランドチャンピオン大会にてベスト8入りを果たすなど、MCバトルの実績も豊富。2006年に1stソロアルバム「SENBE-BUTON」をリリース。2017年2月22日には6枚目のソロアルバム「草莽の人」をリリースしている。早稲田大学ソウルミュージック研究会「GALAXY」のOBである。
- KOHEI JAPAN(コーヘイジャパン)
- ジャパニーズヒップホップの創世記とも言える1991年よりマイクを持ち、自身の母体ともなるユニット・Mellow Yellowを結成。RHYMESTER、EAST END等と共にFunky Grammar Unitに属し、シーンの興隆を担う。その後ソロアーティストとしても活動を開始。家族愛をうたったリリックは新聞などのメディアに取り上げられ話題となった。早稲田大学卒ではないが同校のソウルミュージック研究会「GALAXY」のOBで、在部当時は部長も務める。歴史への造詣が深く、佐賀県においては、肥前名護屋城歴史ツーリズム協会のPVに音楽提供をした実績がある。