音楽ナタリー Power Push - 手嶌葵

デビュー10周年、“素の手嶌葵”がつづられた9曲

日本語の美しさをどうやって歌に乗せるか

──もう1曲の「白い街と青いコート」は、寂しげなメロディで。旅立ちの風景、大切な人との別れがつづられます。歌うにあたって、何か意識したことはありましたか?

この曲も「想秋ノート」と同じで、最初からすっと身体になじんでくれた。なので苦労はほぼなかったです。加藤さんが「葵ちゃんの好きなタイプの男を書いたわ」とおっしゃってたので、その背中を想像しながら歌ったくらいかな(笑)。この曲に描かれているのは確かに、悲しい情景かもしれない。でもその先にほのかな希望を感じさせてくれるところが、歌っていてグッときます。

──ちなみにそれって、どんな背中なんですか?

手嶌葵

うーん……「ムーミン」に出てくるスナフキンかな(笑)。小さい頃から憧れの人なんです。

──4曲目の「海を見つめる日」と6曲目の「ワインとアンティパスト」は手嶌さん自身が作詞を手掛けています。前回のアルバムから始まった試みですが、書く作業には慣れてきました?

相変わらず悩んでばかりで(笑)。どちらも先にメロディをいただいて、そこに言葉を乗せたんですが、ものすごく時間がかかってしまいました。ただ、拙いなりにがんばって歌詞を書くと、そのときどきの感情が映し出されるようで。それは自分でも新鮮でしたね。例えば「海を見つめる日」は、ちょっと気分が弱っていたときに書いたらしくて。大切な人に「悲しい顔をしないで」と語りつつ、実は私自身に言い聞かせている感じがしますし。逆に「ワインとアンティパスト」は、歌詞を考えたときの楽しい雰囲気が、そのまま反映されている。読み返すとよくわかるんですよね。

──面白いですね。確かに幸せな食卓の風景を描いた「ワインとアンティパスト」は、曲の随所に効果音が入っていて、聴いていて気分が浮き立ちます。

本当に? あれは私が実際にワインの栓を開けたり、お料理をした音を使ってるんです(笑)。スタッフさんと話してるうちに、せっかくなら食欲をかき立てる音もいっぱい入れちゃおう、という話になって。みんなでワイワイ言いながら録音しました。それと、以前スタジオジブリの「コクリコ坂から」で、「朝ごはんの歌」という挿入歌を歌わせてもらったことがあるんですね。私のコンサートではほとんど唯一、観客の皆さんに手拍子をしていただける楽しいレパートリーで。「朝ごはんの歌」があるなら「夕ごはんの歌」もあっていいよねと(笑)。そういう裏テーマもありました。

──歌そのものについてはどうでしょう。息の抜き差しやブレスの入れ方、細かいニュアンスの出し方など、ボーカリストとしての表現力もより深まっていると感じたのですが。

ありがとうございます。ただ、テクニックについてはなかなか冷静に判断できないところがあって。もちろん自分の中で課題は山積みですし、もっとうまくなれるよう練習しなきゃと思うんですが……いざレコーディングになって私にできるのは、せっかく作っていただいた素敵な曲たちの魅力を生かせるよう、それこそ自分に言い聞かせるようにひと言ひと言をしっかり歌うこと。今はまだ、それだけ精一杯やっている感じです。特に私の場合、日本語の歌になると緊張を強いられるので……。

──そうなんですか?

はい。「The Rose」や「Moon River」など英語の楽曲のほうが、気分的には楽ですね。なんでだろう……もしかしたら英語のほうが、私にとっては音楽に乗せやすいのかな。日本語ってもともと母音が多くて、1つひとつの言葉が立っているでしょう。それを音楽的にうまくつなげつつ、でも意味はきちんと伝わるように歌わなきゃいけない。それで緊張しちゃうんだと思います。逆に言うと、日本語の美しさをどうやって歌に乗せるかが、自分にとっては常に大切な課題なんです。それは今回のアルバムでも意識しました。

“素の手嶌葵”がストレートに反映された9曲

──10月14日公開の西川美和監督の映画「永い言い訳」では、劇中の挿入歌としてゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの歌曲「Ombra mai fù」(オンブラ・マイ・フ)を歌唱されていますね。9月21日にはサウンドトラックも発売されました。伸びやかでとても美しいアリアですが、歌った感想はいかがですか?

手嶌葵

今回、ずっとCMタイアップでお世話になっている伊藤秀紀さんが「永い言い訳」の音楽を手掛けておられて。それで西川監督に、私を推薦してくださったんです。オファーをいただいてとてもうれしかったんですが、お話が正式に決まったあとで、実は歌うのがオペラの曲だということが判明いたしまして(笑)。遊びで真似したころはあっても、声楽の基礎をちゃんと学んだわけじゃないし。実際に歌ってみると旋律の高低差がとんでもないうえ、すごく長くて複雑なフレーズをひと息で歌い切らなければいけなくて……なかなか息が続かずに、レコーディング中はずっと泣きそうでした。

──でも監督は、手嶌さんの歌唱について「冬の夜の澄み切った空気のよう」で「初めの数秒を聴いて、この映画はこの声に救ってもらえる、と確信しました」と、最大級の賛辞コメントを寄せていましたよ。私も、映画を観て同じような感想を持ちました。

だとしたら、少しだけホッとします。試写を観せていただいても、自分の声が流れるところは冷静に判断ができなかったので(笑)。あんなに難しいフレーズを涼しげな表情で歌い切ってしまうオペラ歌手の方々は、やっぱりすごいなって。改めて尊敬します。

──劇中とても重要なシーンで手嶌さんの歌声が流れますが、それに対する責任感やプレッシャーのようなものは?

いえ、監督から事前に脚本はいただいていましたが、どのシーンで歌を使っていただけるかは、最後まで決まっていなかったんです。なので、試写を拝見してびっくりしました。「永い言い訳」は観る人にそう簡単に救いを与えてくれないというか、登場人物にも観客にも厳しい映画かもしれません。でも私自身は深く惹かれるところがたくさんあって。そういう作品の一部になれたことが光栄でしたし、うれしかったですね。

──では最後に1つ。デビュー10周年を踏まえ、今後はどういう歌い手になっていきたいと感じていますか?

今回のアルバムでは、私が大好きな本というテーマで、信頼する作詞家、作曲家の方に曲を作っていただき、しかも心から尊敬する加藤登紀子さんも参加してくださって……自分はいろんな方々に支えられて歩んでこられたんだなって改めて実感しました。こういう素敵な人々と、これからも一緒に何か作っていきたい。それにはもっとがんばらなきゃと思いました。そして日本語の歌の素晴らしさを、世界に伝えるような活動ができればと思うようになりました。

──なるほど。何かきっかけがあったとか?

手嶌葵

今年の7月、10周年のアニバーサリーコンサートの一環として、台湾と上海で1回ずつライブをやらせていただいたんです。どちらの会場でも、日本語の曲もしっかり受け止め、理解してくださっているのが肌で感じられて……言葉の壁を超えられる音楽はやっぱり素敵だなって思ったんです。考えてみれば、歌い始めたときからそうだった。私は幸運にも、スタジオジブリの作品と一緒にデビューすることができて……世界中の人たちに自分の歌と声を聴いていただけた。そうやって国内だけじゃなくて海外にも日本語の美しさを伝える活動は、自分なりに続けていればいいなと。

──先程の「日本語を丁寧に伝える」というテーマとも、そのまま重なる目標ですね。

そうですね。そう思います。今回のアルバムは“素の手嶌葵”というか、私が心に持っている寂しさや悲しさがかなりストレートに反映されています。でも同じくらい、人に対する愛情も入ってると思うんですね。デビューから10年経って、やっと素直に気持ちを出せるようになってきたのかもしれない。そういう複雑で美しい色合いを持った9曲なので、ぜひ聴いていただけるとうれしいです!

加藤登紀子 コメント
加藤登紀子
「ゲド戦記」の試写会の時、初めて歌を聴き、独特の雰囲気を感じて、ファンになってしまいました。
「紅の豚」に出演してからジブリ作品は全て見てきましたが、その中に登場する女性像と手嶌葵さんとが、重なって見えてくるくらい、その存在そのものに、ストーリー性を感じるのです。
コンサートで「紅の豚」のラストテーマ「時には昔の話を」を歌われると聞き、とても深いミステリーを感じさせる歌になっていて、とっても感動したことがあります。
今回、アルバムのために2曲、作詞作曲させていただきました。
何故か、青、というイメージが浮かび、2曲とも「青いコート」がキーワードです。
「白い街と青いコート」は、旅する男と女の物語。白い街はきっとヨーロッパか、西アジア。都会ではない少し錆びれた街。どうしても旅を続けてしまう二人を描いています。
「想愁ノート」は、19歳の失恋から始まった少女の10年を描きました。
もし葵さんが恋するとしたらどんな人だろう、と思い描いたら、ハッキリ人物像が浮かび上がり、楽しく歌に仕上げました。
「どうしてこんなに分かるんだろう、と思いました」と葵さんに言われ、「でしょう?不思議なくらいわかるのよ。」と答えていました。
葵さんが楽しそうに歌って下さっていて、とっても嬉しいです。
手嶌葵という人の、独特の語り力に期待しています。
言葉の持つ音魂を、深く心に響かせるあの声は、まだまだスリリングなストーリーを伝える可能性を秘めている、と思います。
これからステージでのマジックをたくさん経験して、歌う喜びを味わって下さい。
加藤登紀子ほろ酔いコンサート2016
  • 2016年12月3日(土)沖縄県 ミュージックタウン音市場
  • 2016年12月7日(水)神奈川県 横浜関内ホール
  • 2016年12月10日(土)広島県 東広島芸術文化ホール くらら
  • 2016年12月11日(日)佐賀県 佐賀市文化会館 中ホール
  • 2016年12月16日(金)京都府 KBSホール
  • 2016年12月22日(木)愛知県 中日劇場
  • 2016年12月23日(金・祝)愛知県 中日劇場
  • 2016年12月24日(土)大阪府 梅田芸術劇場
  • 2016年12月25日(日)大阪府 梅田芸術劇場
  • 2016年12月27日(火)東京都 よみうりホール(※手嶌葵ゲスト出演)
  • 2016年12月28日(水)東京都 よみうりホール
  • 2016年12月29日(木)東京都 よみうりホール
ニューアルバム「青い図書室」 / 2016年9月21日発売 / Victor Entertainment
「青い図書室」
初回限定盤 [2CD] 3780円 / VIZL-1016
通常盤 [CD] 3240円 / VICL-64584
CD収録曲
  1. 想秋ノート
  2. 白薔薇のララバイ
  3. ナルキスと人魚
  4. 海を見つめる日
  5. 蒼と白~水辺、君への愛の詩~
  6. ワインとアンティパスト
  7. ミス・ライムの推理
  8. Handsome Blue
  9. 白い街と青いコート
初回限定盤付属CD収録曲

[Aoi Teshima 10th Anniversary Concert]
Live at KATSUSHIKA SYMPHONY HILLS on May 28, 2016

  1. 岸を離れる日
  2. 朝ごはんの歌
  3. 1000の国を旅した少年
  4. ちょっとしたもの
  5. 瑠璃色の地球
  6. 風の谷のナウシカ
  7. 明日への手紙
V.A.「永い言い訳 オリジナル・サウンドトラック」 / 2016年9月21日発売 / Victor Entertainment / 2700円 / VICL-64654
「永い言い訳 オリジナル・サウンドトラック」
手嶌葵 10th Anniversary Concert(※終了分は割愛)
  • 2016年10月2日(日)
    大阪府 NHK大阪ホール
  • 2016年11月20日(日)
    愛媛県 土居文化会館(ユーホール)
  • 2016年11月23日(水・祝)
    兵庫県 ライフピアいちじま大ホール
  • 2016年12月10日(土)
    埼玉県 大宮ソニックシティ 小ホール
  • 2016年12月18日(日)
    東京都 中野サンプラザホール
  • 2016年12月24日(土)
    神奈川県 相模女子大学グリーンホール
手嶌葵(テシマアオイ)
手嶌葵

1987年、福岡県生まれの女性ボーカリスト。2003年と2004年に出身地の福岡県で行われた「TEENS' MUSIC FESTIVAL」協賛のイベント「DIVA」に出場し、その個性的な声で観客を魅了した。その頃に彼女が歌ったベット・ミドラーのカバー「The Rose」のデモを耳にした宮崎吾朗とスタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫が、2006年公開の映画「ゲド戦記」の主題歌の歌唱を依頼。さらに手嶌は劇中ヒロイン・テルーの声優も担当し華々しいデビューを飾った。2011年6月にスタジオジブリとの2度目のタッグとなる映画「コクリコ坂から」の主題歌を表題曲としたシングル「さよならの夏~コクリコ坂から~」を、映画公開直前の7月にスタジオジブリがプロデュースしたアルバム「コクリコ坂から歌集」をリリース。2012年にはカバーアルバム「Miss AOI - Bonjour,Paris!」を、2014年7月に10thアルバム「Ren'dez-vous」を発表した。2016年1月に「Ren'dez-vous」収録曲の「明日への手紙」のリアレンジバージョンがフジテレビ系月9ドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」の主題歌に使用され、2月に同曲をシングルリリース。4月にはタイアップ曲やトリビュート参加曲を集めたアルバム「Aoi Works ~best collection 2011-2016~」を発売した。6月にデビュー10周年を迎え、9月にニューアルバム「青い図書室」を発表。10月公開の映画「永い言い訳」では挿入歌として、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル作曲のオペラに登場する楽曲「Ombra mai fù」を歌唱している。