ナタリー PowerPush - Shimokitazawa SOUND CRUISING 2014
小林幸子&後輩アーティストの“シモキタ”音楽談義
チンドン屋であることに誇りを持ってる
小林 さっきも(つしまみれ&寺嶋由芙との)座談会で話したんですけど、私は「下品」と「下世話」は全然違うと思ってて。「下世話」って言葉が大好き! 「下世話」って楽しくていいよね。私は「絶対下世話でいなきゃいけない」って思うの。だってワクワクするじゃないですか。でも「下品」は下品。よくないです。やっぱり品は必要。
七尾 うんうん。「下品はダメだけど下世話はいいんだ」っていうのはいい言葉ですね。下世話は人間の豊かさですからね。
小林 歌舞伎なんて、敷居が高いとか思われがちだけど、下世話の最たるものですよ。人間同士の確執から出てくる本質を「へっへっへっ」て見せてるのが面白いんですよ。そもそも、歌舞伎の語源は「かぶく」ですからね。
七尾 そう言われて今思ったけど、幸子さんはまさに「傾奇者」ですよね。
小林 そうでしょ? もう、かぶいてかぶいて傾奇者だもん、私(笑)。
七尾 俺もかぶいてこようと思って、この服でニューヨークに行ってきたんです。初めてのアメリカ公演だったんで、少し和風の格好をしようと。グレートカブキとか昭和の日系レスラーがアメリカでひと旗揚げようとしてる感覚ですね(笑)。共演したのはニューヨークの素晴らしいミュージシャンたちだったんですけど、日本でしか生まれ得なかったような「間合い」「こぶし」みたいなものを活かした即興演奏をしたいと思っていたので、そういう気持ちが前に出すぎて服装が珍妙になって、チンドン屋っぽくなっちゃって(笑)。
小林 でもさ、「チンドン屋」って人をけなす言葉みたいにみんな言うけど、あれが下品って誰が決めたの? 子供たちは喜んで後ろをついていくじゃない?
七尾 カッコいいっすよね、チンドン屋は。身ひとつでどこへでも行って。いつか大きな仕事ができるようになっても、ああいう感じを絶対失いたくない。
小林 あれは究極の下世話ですよね。私なんかはたまに紅白の衣装を「チンドン屋みたい」って言われるけど、「チンドン屋の何が悪い?」って(笑)。
七尾 子供の頃におばあちゃんとかからよく言われたな。「タビちゃん、勉強せんかったらチンドン屋なるでえ」みたいに。実際大人になったら、おばあちゃんの言った通りになったからびっくりしました(笑)。
小林 チンドン屋、って言われるのが嫌だと思ってたら、私は歌い続けてないですね。チンドン屋であることに誇り持ってるもん、私(笑)。
七尾 反骨精神がありますよね。
小林 それはきっとすごくあると思う。新潟の小学校に通ってた9歳のときに、父親が素人のものまね番組に面白半分でハガキ出しちゃって、その番組で優勝して、審査委員長の古賀政男先生にスカウトしていただいてデビューすることになったんです。子供1人で四谷3丁目のアパートで暮らし始めたんですけど、最終的には歌手になる!と自分が決めたことに、お母さんに会いたいとか、悲しい、つらい、帰りたいとかっていう感情を10歳で封印しちゃったんですよ。故郷に錦を飾るまで新潟には帰れないって子供心に思ってて、初恋も思春期もほっぽり出して生きるために稼がなきゃって考えてた。そうすると反骨精神が育つんですよ。だから私、どんなにつらいことが起きても全然平気でした。
七尾 なるほどなあ。僕も16歳で高校やめて上京したとき、少し似た気持ちを抱えました。
小林 その代わり、人に優しくされると泣く(笑)。例えばちっちゃい子が、転んで膝がすりむけて血だらけになってるのに泣かないけど、お母さんが走ってきて「大丈夫ー!?」って言った途端にバーッて泣くっていう、なんかそれに近しいところはあるの(笑)。
七尾 ははは(笑)。北風には強いけど、お日さまの陽気にほろりと涙をこぼしてしまうみたいなのがあるわけですね。
本当に「演歌は日本人の心のふるさと」なのか
──今回お2人が共演することになった経緯は?
七尾 「小林幸子さんとやりませんか?」ってメールが来て。まさかあの小林幸子さんだと思わなかったんで、「どんなシンガーソングライターさんですか? 新人さんですか?」って返事して(笑)。そしたら「このリンクを参考にしてください」ってURLが送られてきたんですよ。試しにクリックしたら巨大衣装でメガ化する幸子さんが出てきてビックリ。これはなんかの間違いだろと思って、二度見ならぬ「二度クリック」しました(笑)。なんで下北沢のインディーバンドたちが集まるイベントに出ようと思ったんですか?
小林 このイベントのプロデューサーさんからスタッフ宛てに熱いオファーをいただいて、スタッフが「面白いです。小林は絶対にやるって言います」ってOKしちゃったの(笑)。私のほうに連絡があったのはOKしてからだったんだけど、私ももちろんOKだよね。うちのスタッフは私が面白がることをわかっているからね。だってお客さんは絶対演歌を聴かない人たちばっかりだもん。そこで、挑戦する! それは面白いですよ(笑)。
──まあ確かに、今20歳くらいの人だったら生まれた頃からあまり演歌を聴く環境がなかった人もいるかもしれませんね。
小林 前に若い子から「小林幸子さんは好きです。でも演歌や歌謡曲で育った世代ではないので、演歌のことは知りません」って言われて、じゃあ今はどういう時代なのかなと思ったんです。でも考えてみたらね、演歌の歴史ってそんなに古くないんですよ。生まれてからまだ100年も経ってない。
七尾 そうですね。当時「流行歌」と呼ばれていたものから派生して……。
小林 「演歌は日本人の心のふるさと」みたいに言われるけど、演奏に使われてるのは昔からあったお三味線や太鼓じゃないんですよ。
七尾 シンセサイザーやエレキギター……さまざまですよね。戦前の「流行歌」にしてもオーケストラが中心だったりします。
小林 そう。「そのオーケストラっていつ、どこから来たの?」ってことでしょ? 長い歴史の中で見ると些細な差なんです。ただ、昔と違って今はどんどんジャンルが細かく区切られているから、「みんなで歌える歌」っていうのがなくなって、ビッグヒット曲がなくなっちゃったというのはあると思いますけど。
──ということは、ほかのいろんなジャンルの人と共演することに関して、小林さんの中では特別なことだと思ってない?
小林 そういうチャンスがあることはすごくありがたいですよね。自分の歌を見つめ直すことができるから。例えば「圏内の歌」(七尾旅人の曲)を聴くと、背中がゾクッとしますもんね。私も何度も被災地に行って、いろんなことを経験してきたけど、あんな心をえぐるような歌は作れないですよ。すごい才能だと思う。やっぱりシンガーソングライターっていいなあって思うよね。
七尾 あっ、ありがとうございます。聴いてくださっていたとは……。うれしいです。
InterFM presents Shimokitazawa SOUND CRUISING 2014
2014年5月31日(土)
東京都 下北沢GARDEN / 下北沢ERA / 下北沢BASEMENT BAR / 下北沢ReG / 下北沢ReG Cafe /下北沢MOSAiC / 下北沢THREE / 下北沢Daisy Bar / LAGUNA / 風知空知 / 富士見丘教会 / altoto / MORE
小林幸子(コバヤシサチコ)
1953年生まれの女性ボーカリスト。1963年、9歳で作曲家古賀政男に師事し、1964年シングル「ウソツキ鴎」でデビュー。同曲が20万枚の大ヒットを記録する。1979年1月リリースの「おもいで酒」が200万枚を超えるセールスを記録し、同年末「NHK紅白歌合戦」に初出場を果たす。以来「もしかして」「雪椿」「越後情話」などヒット曲の数々を引っさげ、現在までに同番組に33回出演し、1980年代末頃からはステージ演出にも注力。NHKホールのステージをフル活用した舞台装置と衣装が年末の風物詩のひとつと目されるようになる。他方、コメディやバラエティ番組、テレビドラマなどにも出演。また映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル」に主題歌を提供するほか声優として登場するなど、その多岐にわたる活動を通じて幅広い年齢層の人気を獲得する。さらに2012年、ニコニコ生放送「小林幸子降臨!『茨の木』夢は捨てずに生放送」「ニコニコ大忘年会2012 in nicofarre」に登場。2013年には歌ってみた動画「ぼくとわたしとニコニコ動画を夏感満載で歌ってみた」を投稿し、イベント「ニコニコ町会議 in 名古屋」「ニコニコ年越し!小林幸子カウントダウンLIVE ~オープニングアクト:ダイオウグソクムシ~」に出演するなど、ニコニコ動画を積極的に活用。ネットユーザーの多大な人気を集めている。
七尾旅人(ナナオタビト)
1979年生まれのシンガーソングライター。1998年のデビュー以来、ファンタジックでメッセージ性の強い歌詞とオリジナリティあふれるメロディで幅広い音楽ファンを魅了している。2007年9月11日には3枚組のミュージカルアルバム「911FANTASIA」をリリース。ライブ活動も精力的に行っており、ライフワークと銘打った弾き語り独演会「歌の事故」や、全共演者との即興対決を行う「百人組手」といった自主企画を不定期に開催。各地のフェスやイベント、Ustream中継などで伝説的なステージを生み出し続ける。2009年に発表された七尾旅人×やけのはらのシングル「Rollin' Rollin'」はパーティシーンを中心にアンセム化し、同曲を収録したアルバム「billion voices」もヒットを記録。2010年からはダウンロード販売システム「DIY STARS」を提案し、自らの新曲を直販する試みに挑んだ。さらにそのDIY STARSを使って、東日本大震災発生直後の2011年3月17日より義援金募集プロジェクト「DIY HEARTS」も設立。2012年にはアルバム「リトルメロディ」をリリースした。2013年からはビートボクサーの櫻井響、聖歌隊のCANTUS、そして子犬や小鳥などを擁する、声だけで新しい音楽を追求するバンド「VOICE! VOICE! VOICE! VOICE! VOICE! VOICE! VOICE!」も始動。2014年にはシングル「TELE〇POTION」が映画「ニシノユキヒコの恋と冒険」の主題歌となった。
2014年5月29日更新