シンガーソングライターの竹渕慶が7月7日に1stアルバム「OVERTONES」をCDで発表。8月7日に新デジタル音源流通サービス・SOUNDALLYから同作を配信リリースした。
かつてGoose houseのメンバーとして活躍し、グループ在籍中の2014年にミニアルバム「KEI's 8」でソロデビューを経験した竹渕。今作には2018年にグループを巣立ってから約3年、ともに音楽と映像を作り続けてきた音楽プロデューサー / 映像クリエイターのYAMOと制作したシングル曲「In This Blanket」「Torch」「24 Hours」や書き下ろしの新曲など計11曲が収録されている。
竹渕が音楽ナタリーに単独で登場するのは2014年のソロデビュー時以来約7年ぶり。その間彼女はどんな時間を過ごし、現在はどのように音楽と向き合っているのか。アルバム曲の制作経緯や、YAMOとの楽曲制作、自身が歌を通して伝えたいことなどについて語ってもらった。
取材・文 / 高岡洋詞撮影 / 朝岡英輔
こんなに強い人でも傷付くことがあるんだ
──お一人で音楽ナタリーにご登場いただくのは約7年ぶりになりますが(参照:竹渕慶「KEI's 8」インタビュー)、その間どのようにお過ごしでしたか?
Goose houseを抜けたのが2018年11月なんですが、それまではとにかくグループの一員としてがんばっていました。「光るなら」(2014年11月に発表されたGoose houseの2ndシングル曲)でたくさんの人に興味を持ってもらえるようになりましたし、本当にいろんな活動をさせていただいて。やりがいもあったし、楽しかったです。でも、1人だからこそ歌えるメッセージがあるし、どうしてもトライしてみたいという気持ちが強くて。たくさん考えたのち、グループを離れることを決断しました。
──その後ソロ作品として発表した最初の楽曲が「In This Blanket」(2019年7月発表)ですよね。今回初めて聴かせていただいたんですが、歌詞も全編英語だし、洋楽っぽいサウンドも「KEI's 8」とは大きく違うので、当時ファンの方はびっくりされたんじゃないかと。
そうですね。「KEI's 8」にはGoose houseでずっとJ-POPを歌っていた影響がすごく大きく反映されていたと思います。当時は海外よりも日本の、そのとき近くにいるファンのみんなに届けるために日本語で歌うことが自然に思えたし、ちょうど自分が大学を卒業する年だったこともあって、歌詞も進路に迷っている人たちの背中を押すというテーマが中心になっていました。
──「In This Blanket」はそんな「KEI's 8」から5年も経ったあとの楽曲ですから、当然モードも変わっていますよね。
せっかく英語が話せるんだから、それを生かしたいという気持ちも積み重なっていました。それに、そもそも一番のルーツとして自分の中に流れてる音楽がバラードなので、ちょっと翳りのある音楽にずっと惹かれ続けてきたというのもありますね。
──具体的にはどんなきっかけで「In This Blanket」を書かれたんですか?
あるときアメリカ人の友達としゃべっていて。その子は他人に弱みを絶対に見せない、誰から見てもすごく強い人だったんですけど、自分の前で初めて「仕事が本当につらい」と弱音を吐いたんです。それがすごく衝撃的で、「こんなに強い人でも傷付くことがあるんだ」と思って。家に帰ってからもそのことがずっと頭を離れなくて、ベッドに入ってから、1行目の歌詞とメロディが出てきたんです。たぶんその子と英語で話してたからだと思うんですけど、自然と英語のフレーズが浮かんできたので、そのまま「あ、今書こう」と一気に書き上げました。
──1番では「泣いてもいいよ」と弱音を受け入れて、2番では自分が泣く側になっているという、1曲の中で立場を入れ替える構成が面白いなと思いました。
自分の中にある過去の感情や思い出を探りながら、そこに想像を入れて曲を書きました。で、聴いてくれる人自身を重ねてもらえるような曲にしたいなと思って、1番と2番とで視点を変えようと。そうしたら “You”と“I”のどちらかには自分を重ねてもらえるんじゃないかなと思ったんです。この曲以外にも、1曲の中で視点が変わるのはわりと多いかもしれないですね。
──言われてみれば、リード曲「Trust You That You Trust Me」もそうですね。
あと「Tokyo」もそうかもしれないですね。1曲の中で視点が変わると、人によってはちょっとわかりにくいと感じることもあると思うんです。特にJ-POPではそうなのかなとGoose houseの活動を通して学びました。でもソロになってからは、どうしても視点を変えたくなってしまって。そのほうが自分が伝えたいことがちゃんと伝わるというか、聴く人の感情が動く気がするんです。
私の声を私のものにしてくれる人
──そんな変化もありながら、約3年かけて制作してきたアルバムが「OVERTONES」なんですね。「In This Blanket」を含め、シングル曲も収録されています。
アルバムを作ることを目標にシングルを出してきたわけではないんですけど、自然とまとまりました。グループを抜けてYAMOさんと一緒に曲を書き始めてから、「Torch」(2019年12月発表)や「24 Hours」(2020年8月発表)みたいに、ファンのみんなにもコーラスや作詞に参加してもらったりして一緒に作った曲が増えて(参照:竹渕慶、ファン1000人超との共作曲や“ChilledCowの女の子”なりきり曲含む新作リリース)。「みんなで作ってきた曲がこんなにあるから、アルバムにしてみんなの手元に残そうか」という感覚ですね。
──それで竹渕さんのファンの呼称である「OVERTONES」がタイトルになっていると。
はい。でも、内輪だけのものにするつもりはなくて。“OVERTONES”はもともと倍音という意味の言葉なんですが、私のファンであろうとなかろうと、曲を聴いてくれたすべての人が私の音楽と共鳴して、倍音のように広がっていってほしいという願いも込めているんです。
──声の倍音って個性を特徴付けるものというか、その人ならではの響きを作るものですよね。その言葉でファンの方たちを指したり、アルバムのタイトルにしているのはいいなと思いました。「私の声を私のものにしてくれているのはみんななんだよ」というメッセージになっているような。
まさにそうです。2019年に初めてツアーをしたときにYAMOさんと相談して決めたツアータイトルが主音という意味の「KEYNOTE」だったんですが、そのツアーでは、物理的にもたくさんの声をライブ中にもらっていて、そうすることで自分の声ができていったという感触があって。「OVERTONES」はそのときの追加公演のタイトルでした。で、私は7月に30歳になったんですが、このアルバムタイトルを決めるとき、20代最後に完成させたアルバムだし「TWENTIES」がいいんじゃないかとか、ほかにもいろんなアイデアがあったんです。でもやっぱり「OVERTONES」が一番しっくりきたので、タイトルにしようと決めました。
絶対的なパートナーYAMOとの出会い
──ソロ活動を本格的に始めてからの竹渕さんには、YAMOさんの存在がすごく大きいですよね。今作も全曲YAMOさんがアレンジされていますし、半数以上の作曲にも関わっていらっしゃいます。そもそもお二人はどういった経緯で一緒に制作されるようになったのでしょうか?
(YAMO) 僕から説明しますと、僕がGoose houseの編曲などでお世話になっていた時期があって。慶ちゃんとはそのときに知り合いました。で、その前にさかのぼるんですが、もともと僕は日本の音楽業界で仕事をしながら、海外にも音楽を発信したいなとずっと思っていたんです。でも目線を海外のスタンダードにして日本の音楽業界で仕事をしようとすると、周りとの軋轢が生じて嫌われたりすることも多くて(笑)。日本にいながら海外にも音楽を届けようというアティテュードで音楽を作れる人って、当時僕のまわりにはあんまりいなかったんですよ。それで慶ちゃんと知り合ってからは、ずっと「俺たちが組んだら最強なんだけどな……」と思っていたんですけど、ソロになるっていうから「僕が力になれることあるかな?」と話して、あれよあれよと言う間にここまできた次第です。
──なるほど。ただシンガーソングライターって、基本的には自作自演が前提ですよね。竹渕さんはYAMOさんが作った曲を歌うのに抵抗はありませんでしたか?
まったくなかったですね。グループ時代、ほかの方の曲に歌詞を書くことも、その逆もありましたし、そもそもGoose houseはカバー集団だったので。「KEI's 8」のときはなぜか「シンガーソングライターはすべて自分で書くものだから」という意識が強かったんですけど、それも歳を重ねる中で変わっていったことの1つだと思います。海外のアーティストの場合、たくさんの人と一緒にコライトしていても、ちゃんとその人の曲になっていることも多いですよね。そういうことに気付き始めて、自分が勝手に作っていた固定観念がだんだん取り払われてきたころに、ちょうどYAMOさんと出会ったんです。あと、YAMOさんの書く曲は私とは方向性が全然違って、絶対に自分では書けないものを書いてくれる。そこに信頼がありますね。
──YAMOさんが手がけた曲は洋楽っぽいアレンジのものが多いですが、竹渕さんご自身は以前から洋楽になじみがあったんでしょうか?
はい。お父さんが日本のフォーク、お母さんが洋楽のR&Bが好きだったので、小さい頃から家や車の中でどっちもかかっている状態だったんです。小学生の頃はアメリカに住んでいたこともあって、セリーヌ・ディオンやクリスティーナ・アギレラが好きでよく聴いていました。今となってはあの頃洋楽にたくさん触れたことが大きかったかもしれないです。
──今の音楽性は育った環境に直結しているんですね。
そうですね。本当にいろいろな音楽が自分の中に混在しているから、英語で歌詞を書くと洋楽みたいになるし、日本語で書き始めるとめっちゃJ-POPになるし。言語によって出てくるメロディも変わってきちゃうんですよ。YAMOさんも7年アメリカに住んでいたからか、日本語を話すときと英語を使うときでそれぞれ人格が変わるよねという話をしていて。2人で本音を話すときは英語でしゃべったりします。
字幕がなくてもわかってもらえる
──「24 Hours」と「lofi」(2020年8月発表)はそんなお二人ならではのバイリンガルソングですよね。前者は1番が英語で2番が日本語、後者は1行ごとに英詞を翻訳していくというスタイルで。
「24 Hours」は、2020年3月にYouTubeで24時間生配信をしたときに、視聴者の方とリアルタイムで曲を作るという企画をやって、その中でできたものなんです。だから作詞クレジットに「OVERTONES」の名前が入っていて。生配信中に、1000人以上が同時にスプレッドシートに入ってきて、ダーッと歌詞の元になるワードを書き込んでくれました。結果的にサビ以外だと私が書いたのは1行くらいで、ほとんどがファンの人たちの言葉なんです。海外から配信を観てくれている人もいたので、英語も日本語も混ざり合っている状態で。だから自然と歌詞にはその両方が入っている。それに、配信をした頃はちょうどコロナ禍で世界が変化し始めたときで、みんなが同じ不安の中にいたときにそれぞれ持ち寄った言葉だったんですよね。だから、日本人にも海外の人にも共感してもらえる曲にしたかった。英語で書き始めたから、メロディはちょっと洋楽っぽいですけどね。
──「lofi」はYouTubeに楽曲制作の経緯を面白く紹介した動画が上がっていましたね。
そうなんです。以前ローファイヒップホップを24時間流している「ChilledCow」というYouTubeチャンネルを見つけて、今は「Lofi Girl」という名前に変わっていますけど、そのチャンネルからインスピレーションを受けた曲なんです。マインドセットとしては英語の世界観だったので、英語で歌詞とメロディが出てきたんですけど、これも同じくコロナ禍の中で浮かんだ言葉を書いていったから、やっぱり日本語でも表現したくて。でも、例えば1番の歌詞が日本語で2番が英語だったら、海外の人は「1番ではなんて言ってるんだろう?」と思いながら聴かないといけないと思うんですよね。そうじゃなくて、同時にどっちにもわかってほしいから、1行ごとに直訳していきました。そうすれば字幕がなくても全員にわかってもらえると思ったから。
──面白い。英語と日本語の歌詞を交互に歌う曲ってあまり聴いたことがない気がします。あと、アルバム1曲目の「Trust You That You Trust Me」のサビが典型的ですが、1つの音符に入る音節の数は英語のほうが日本語より多いですよね。そうした言語特性の違いがある中で、作詞をするときに苦労はなかったですか?
英語で書いたメロディにあとから日本語を乗せるのはやりやすいのに対して、その逆がすごく難しいんですよ。「In This Blanket」には日本語バージョンがあるんですけど、アルバムにも入っている「あなたへ」(2020年10月)も英語バージョンを作ろうと思ったら、どうしても英語が乗らないんですよね。きれいにハメるには制約が多くて難しいというか。
──確かに日本語ってメロディに詰め込める音韻の数は少ないけど、言葉の情報量は多いですよね。
動画の字幕を入れるとき、日本語の歌詞を英語に訳すとすごく長くなっちゃうんです。日本語ってすごいなと、歌詞を書き始めてから思うようになりました。自分が英語で歌詞を書く技術が足りないということもあると思うんですが、例えばワンフレーズで何かを言おうとするなら、日本語のほうが断然たくさんのことを伝えられるんですよ。そりゃ洋楽と邦楽とで歌詞のテイストが昔から違うわけだよなと、すごく思います。
次のページ »
お寿司といちごのケーキ