シンガーソングライター笹川真生が約2年半ぶりのフルアルバム「STRANGE POP」をリリースした。
本作には君島大空がギター演奏で参加した「コンタクティ」や、花譜がゲストボーカルを担当した「ないてわめいてきらめいて feat. 花譜」など計14曲を収録。一時は「もう自分の作品は作らなくていい」と思うほどに投げやりになっていたという笹川だが、自身を縛っていた「笹川真生だったらこうする」というイメージを取っ払い、取り繕わずに制作に臨んだ結果、バンドサウンドが主軸だった2ndアルバム「サニーサイドへようこそ」とは音色が異なる実験的な意欲作が完成した。
アルバムの制作背景にはいったいどんな思いがあったのか? どのような経緯で君島や花譜を制作に迎えたのか? 3rdアルバムを作り終えた今、どんな心境なのか? 作品の発売に合わせて笹川に話を聞いた。
取材・文 / 倉嶌孝彦
理由もなく自分に“笹川真生”を課していた
──アルバムの詳細が発表された際、曲目のリストに「ささやき-いのり-えいしょう-ねんじろ!」とあるのを発見しまして。笹川さんのスタッフさんとは理芽さんとの取材の際に関わりがあり(参照:理芽「NEW ROMANCER2」特集|“半身”笹川真生と語る、音楽への執着)、思わず「『ウィザードリィ』(1980年代にリリースされた海外発のダンジョンゲーム)の一節をこういう形で見ることになるとは思いませんでした」とメールしたところ、ありがたいことに今回の取材の機会をいただきました。
ありがとうございます。「ウィザードリィ」は幼い頃にプレイしていて、この「ささやき-いのり-えいしょう-ねんじろ!」というフレーズがすごく印象に残っていたんです。曲にするなら今なのかなと、ふと思いつきました。
──昨年「Wizardry Variants Daphne」という外伝的なタイトルがリリースされているのでその影響かとも思いましたが、どちらかと言うと笹川さんの「ウィザードリィ」での原体験が曲になっているのではと想像しました。歌詞に出てくる「いしのなかにいる」は、初期のタイトル特有の要素ですし。
そうですね。直近のタイトルをプレイしているわけではないので、なんとなく頭の中で思い起こされたフレーズを曲にしました。ただ、たまたまゲームの広告とかを見かけて記憶が呼び起こされたのかもしれないし、もしかしたら深層心理的なところで関係はしているかもしれません。
──「ささやき-いのり-えいしょう-ねんじろ!」という曲がドカドカしたサウンドのアッパーな楽曲なのも驚きました。笹川さんの楽曲はどことなく繊細さやはかなさを感じさせるものが多いので。
例えばこの資料(机の上に置かれているアルバム資料を指差しながら)に書かれている「繊細で美しく、危うさを秘めた歌詞の世界が~」みたいな言葉は、格好つけているだけなんですよ。もちろんこれは私が考えた文章ではなくて、私が作った音楽をもとにスタッフの方に書いてもらったものだから完全なる誤りというわけでもないけど、私は繊細でもなければ美しくもないし、危うくもないと自分では思っています。もっと気さくだし。
──周りが思っているよりも。
はい。2ndアルバムまでは「笹川真生だったらこうするよね」というアレンジや言葉選びをすることを、どこかで理由もなく自分に課していた気がしていて。それを取っ払った結果、今回のような作品になりました。
取り繕わずに自動書記で作り上げた14曲
──身も蓋もない言い方をすると「笹川真生だったらこうする」というイメージを作り上げたのも、それを自分に課していたのも笹川さん自身だったとも言えます。今後もそのイメージを守り続ける選択もあった中で、なぜ取っ払ったのでしょうか?
少し話がさかのぼりますが、実は1stアルバムを発表したあとに「もう自分の作品は作らなくていいや」と心から思っていた時期があって、2ndアルバムも作るつもりはなかったんですよ。ただ、その頃仲がよかった友達が亡くなってしまって、「俺、こんなことをしてる場合じゃないな」と思って作ったのが「サニーサイドへようこそ」でした。そしたらひと区切りついたような感覚になって、身勝手な話ですが「もう自分の作品は作らなくていいや」と、改めて本気で思ったんです。
──実際にはその2年後の今、新たなアルバムが完成したわけですよね。
リスナーのみんなが「笹川真生の曲が聴きたい」と言ってくれたので。そこそこ依頼があるので曲は書き続けていますけど、「笹川真生が歌う曲が聴きたい」と言われる。なんなら「楽曲提供はやめろ」と言う人までいて。そんなに言うなら自分の作品を作ってもいいのかもしれないと、ぼんやりと思っていました。でもその時点では提供曲の仕事を優先していて、自分の作品作りはしていなかったんです。そんな中、昨年の10月に中島敦の「山月記」じゃないですけど、急に発狂してしまいまして。精神的にいつ死んでもおかしくないような状態になったとき、やることが曲作りしかなかった。
──精神的に追い詰められている中、曲を作ることで何かが昇華されるような感覚があったのでしょうか?
いや、そういうことでもないんです。曲を作ることで満たされるものはそこまでなくて。どちらかと言うと、「笹川真生の曲を聴きたい」と言ってくれてるファンのみんなに恩返しをしなければいけないと思ったんですよね。私のことを見つけてくれたファンのみんなに「ありがとう」と「愛してる」を伝えたくて、頭を狂わせながら自動書記のように作ったのが今回のアルバムです。その結果、「笹川真生だったらこうする」というイメージを取っ払った作品になったんだと思います。
──今回のアルバムには笹川さん個人の視点、思いが多分に含まれているように感じました。
2ndアルバムまでの笹川真生の曲は誰が歌っても成立するだろうけど、今回はそうじゃないかもしれないですね。それはやっぱり、取り繕わずに自分が“100”出てるからだと思います。
──そこには、ファンに向けた「ありがとう」も含まれているわけですね。
「誰かのために曲を作るなんてフェイクだ」と言う人もいるかもしれないけど、フェイクじゃない。そういう思いは本当にある。誰かのために作品を作ってその誰かが喜んでくれたら自分もうれしいので、結果としては全部自分のためという感覚もあるのですが。
──これまでの作品と比較して、歌詞のワーディングに関しても変わった感覚がありますか?
ありますね。自分で言うのも変なんですけど、自分の気さくな部分が出ているというか。自然に出てきた言葉を脚色せずに出せた感覚があります。これまでは自分で作り上げた“笹川真生像”に合わせてどうしてもシリアスな感じにしがちだったけど、今回はそれに縛られずにものを言ってる。言葉もまた自動書記なので、「今作はこういう方向性」みたいなことを決めたわけではありませんが。
君島大空に「明日までに弾けない?」
──サウンドもこれまでの“笹川真生像”と一線を画していますよね。
サウンド面でも「これまでの笹川真生だったらしないこと」を目指しました。先ほど触れてもらった「ささやき-いのり-えいしょう-ねんじろ!」は顕著な例で、私のイメージにはない電波ソングを作ってやろうと思って。「笹川真生はピコピコ音を使わない」みたいなイメージがある中、ゲームを参照元にして曲を思いのままに書いたらこうなる、という一例になりました。
──曲中に登場する「デスペナ」というワードは「デスペナルティ」の略ですよね。プレイヤーが死んだときに課せられるペナルティのことを歌っているのに、アップテンポでサウンドはやたら明るく聞こえる。これは1曲目の「コンタクティ」にも共通していると感じました。
意識的に「今作は明るくするぞ」と考えていたわけではなくて、結果としてこうなった部分が強いですが、前作からトーンが変わったことは確かです。でも、ただ単に明るくなったというわけでもなくて、例えば「コンタクティ」は、ポジティブな意味の言葉としては使っていないんです。
──コンタクティは俗に“宇宙人に出会ってしまった人”を意味する言葉ですよね。
そうですね。会いたくて会ったわけではなくて、エンカウントのイメージに近い。「出会っちゃった」という意味合い。なんかちょっと害がありそうな。
──この曲には君島大空さんがギターで参加していますが、それはどういう経緯で?
君島くんに入ってもらったのは、ジェントと呼ばれるギターのサウンドの部分でして。自分に造詣がなくて技術的に弾けなかったので、誰かに頼むしかなかったんです。そんな中、君島くんがメタルの人だったのをふと思い出して「明日までに弾けない?」って聞いてみたら「いいよ」と言ってくれました。納期まで1日のタイミングだったんですが、友達なのでちょっと無理を言ってみたら快く受けてくれて。しかもジェントだけじゃなく、頼んでもないギターソロまで付けてくれました。
──このギターソロは笹川さんのオーダーではなかったんですね。
はい。本当はもっと限定的に君島くんのギターが鳴る予定でした。「なんか今すごいギターの音が通っていったぞ」くらいの。そういう音を君島くんが弾いているところに面白さがあるんじゃないかなと思っていたんですね。ギターソロまで付けてくれてめちゃくちゃ目立つ形にはなりましたが、君島くんが参加してくれたことで格段に面白い曲になりました。
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花譜「私にしたほうがいいと思います」