Sano ibukiが2枚組のアルバム「BUBBLE」を11月27日にリリースした。
今作は2019年発表のデビューアルバム「STORY TELLER」と同様に、Sanoが書き下ろした空想の物語を元に作られた。物語は“夢”に憧れて旅を始める2人の少年による、異なる時空で繰り広げられる冒険譚。DISC 1には「BUBBLE side-DUSK」、DISC 2には「BUBBLE side-DAWN」というサブタイトルが付けられ、前者は9曲、後者は11曲収録されている。
音楽ナタリーではSanoにインタビューを行い、2人の主人公とSano自身のつながりやアーティストとしての現在地について話を聞いた。
取材・文 / 永堀アツオ撮影 / 梁瀬玉実
ダブル主人公のお話を書いてみたい
──3枚目のフルアルバム「BUBBLE」は書き下ろしの物語を元に制作された、前後編の2部作からなる大作です。物語を元にアルバムを作られたのは、2019年1月発表の1stアルバム「STORY TELLER」以来になりますが、まず発想の大元からお伺いできますか?
「STORY TELLER」を作り終わって、その前日譚となる1st EP「SYMBOL」(2020年5月発表)を制作しているときに、もう1回大きいお話を書きたいなとなんとなく思い始めたんです。なので、2ndフルアルバム「BREATH」(2021年7月発売)を作る前から、それとは別軸で「BUBBLE」の物語を考えていましたね。
──どんなことを書きたいと思っていましたか?
最初はなんとなくダブル主人公のお話を書いてみたいなと思ってたんです。「STORY TELLER」ができあがって、「SYMBOL」を書いている頃は、デビューしたけど、コロナ禍でなかなか活動できないという不思議な時間でした。そこで「自分ってなんだっけ?」と考える瞬間があって。そのときに感じた「本当の自分とはなんなのか?」ということを2人の主人公を立てて書いてみたいと思ったんです。でも、そこから2ndフルアルバム「BREATH」の制作に移ったので、「BUBBLE」については一旦置いていたんですけど。
──前作「BREATH」は「現代っぽいリアルなお話を書く」というアルバムで、私小説的な手触りがありました。
けっこう心を削るようなアルバムでした。「STORY TELLER」や「SYMBOL」は自分というものをひた隠して作っていた作品でしたが、「BREATH」の制作はそれまでとは違う感覚で取り組んでいたので。
──「STORY TELLER」と「SYMBOL」は、物語の主人公で語り手であるストーリーテラーとSano ibukiの間のフィルターを厚めにしていましたよね。
そうですね。「BREATH」の制作はその分厚いフィルターをどんどん薄くする作業がどうしても必要になったので、精神的に追い詰められるものがあって。そこで“音楽家として目指しているゴール地点”と“人間として目指してるゴール地点”がどんどん乖離していくような感覚があったんですよね。僕自身は精神的に追い詰められたり、苦しくなることって、曲を作るうえでは当たり前だろうと思っているところがあって。むしろ僕は自分の傷にフォーカスを当ててずっと曲を書いてきたので、精神的な苦しみみたいなものがないと曲を作れないと思う。だから、どうしても幸せや安心感がある道とは全然違うルートを走ってるんですけど、少しずつ年齢を重ねていく中で、横を見れば結婚する友達がいたりして。自分とは全然違う道を走ってる人たちが少しずつ見つけている“当たり前の日々の中にひそむ安心感”みたいなものに憧れを抱いているところがあるんです。
──それは音楽家ではなく、人間として憧れを抱くということですね。
はい。その二極化しちゃってる自分を「BUBBLE」ではダブル主人公のようにしていて。この2人に、僕が夢として抱いている憧れと、人間として抱いている憧れを課してアルバムを作ったら、今の自分とリンクするようなものになるんじゃないかなと思ったのが、最初の構想でした。
──音楽家であるSano ibukiと、人間であるSano ibukiの2人がダブル主人公ということですか?
あくまでも物語の主人公として描いているので、僕とまったく同じ人物かと言ったらそうじゃないんですけど、自分を重ねているのは間違いないですね。そこは1stアルバム「STORY TELLER」とは大きく違うところです。それに関しては、いろんな主題歌をやらせてもらったのが大きかったなと思います。主題歌をやらせてもらったことで、自分と作品の共通点を探す能力が以前よりも身に付いていた部分もあって。自分が作った空想の物語にも自分を重ねさせながら曲を書けるようになりました。
──「STORY TELER」のときは、“Emerald City”という架空の街の地図まで作っていましたよね。
実は今回も作ってるんですよ(笑)。地図や年表を書いたり、主人公の年齢や見た目も考えたりしていて。ただ、お話作りを夢中で楽しくやりつつ、曲を作るときは物語を直接的に曲に落とし込むというよりは、あくまでもその物語の主題歌を書くとしたら、みたいな感覚でした。例えば「天国病」は「自分というものが汚く見えて仕方がない」ということをテーマにした曲で。自分が汚くて仕方なくて、ずっと手を洗っちゃうという自分の経験から書いてるんです。
──脚本と主題歌をどっちも担当しているという感覚なんですかね?
そうですね。自分の中に2人の人物がいるような感覚といいますか……空想の物語を作ってるときは主人公がいて、曲を作るときはその物語を持ち込んで自分の中に潜って書いてるみたいな。不思議な感じがしました。
“春休み”から抜けていく感覚があった
──DISC 1には前編「BUBBLE side-DUSK」、DISC 2には後編「BUBBLE side-DAWN」というタイトルが付いていて、前者は9曲、後者は11曲収録されています。前編、後編それぞれに2人の主人公を立てた作品となっていますが、前編「DUSK」のほうはどんな主人公をイメージしたんですか?
いわゆる“夢”をちゃんと持っていて、それゆえに誰かとつながりたいと願っている。だけど、「twilight」や「快晴浪漫」のような希望のある曲が前半にありつつ、ちょっとずつだんだんと何かを失っていっている主人公だと思います。
──夢を追いかける過程で何を失っていっているんでしょうか?
「DUSK」の主人公は、大切なものがなんなのかわからなくなってる気がするんですよね。自分の中での指針を少しずつ見失ってしまっている。「快晴浪漫」で描いてる恋愛的な要素や、「twilight」で描いてる自分の“好き”という気持ちが、いろんなことがきっかけで剥がれていってしまう……これはまたちょっと違う話かもしれないですけど、僕はずっと、“春休み”を生きてる感じがあったんですよ。
──春休みですか。
しかも、高校3年生から大学1年生の間の春休みです。みんな大人になっていっちゃう時期。置いていかれないように必死になりながらも、休みだから、何かができるわけではない。曲を書きながら、ずっと、あの春休みを生きてる感じがしていて。ただ、子供のままでもいられないけど大人にもなれない絶妙な期間の中で生きて、ずっと曲を書いていたことによって、その春休みから最近抜けてきてる感じがあった。特に「BUBBLE」の曲を書いてるときは、どんどん自分の中で大事にしていた青春みたいなものから少しずつ抜けてきている気がして。そういう失う感覚が重ねられていると思います。
──その子供と大人の間にいるような感覚は、Sanoさんがある種、曲を書くうえですごく大事にしてきた部分ですよね。なくてはならないものというか。
そうですね。自分は叫びだったり、刹那みたいなものを基調として歌ってきて。でも、そこがどんどん見えなくなってきて、リアルじゃなくなっていく。そういう感覚が「DUSK」を書いてるときにありましたね。
──どうして損なわれていったんでしょうか? 年齢的なものなのか、音楽家として経験を積んだことによるものなのか。
両方あると思います。あと、2ndフルアルバム「BREATH」を作ったあたりから、配信シングル「プラチナ」を出すまでに、1年ぐらい何も書けなかった時期があって。僕は新しい作品を作るとなると、人間として当たり前にしなきゃいけないことができなくなることがあるんですよ。例えば、眠ることとか、食べることとか。朝も忘れて、夜も忘れて……例えば曲が書けて、カーテンを開けたときに今が夕方なのか朝焼けなのかわかんない。そんな生活を繰り返していると、「果たしてこの道の先に何があるんだろう?」とどうしても考えてしまう。それを考え始めると、どうしても春休み感が抜けてきちゃうんですよね。
──夢から覚めて、現実が迫ってきたんですね。
はい。自分は何かできるんじゃないかと思っていた。何かを届けたいという一心で、例えばすごくきれいな景色を見たときに、この風景を見て感動した心をそのまま感情として言葉にしたい。それが音になって、音楽になって誰かに届けばいいと思っていた。そういう衝動みたいなものが、どうしても薄れているような気がして苦しんでしまう。そういうところで、春休みから抜けていくみたいな感覚があったし、「DUSK」の楽曲を書いていく中で、どんどん暗雲が立ち込める感じは自分に重ねている部分もあったと思います。
──何も書けなかったところから、当時どうやって「プラチナ」にたどり着いたんですか?「BREATH」は2021年7月リリースで、「プラチナ」は2022年5月配信リリースなので、ちょうど1年間ですよね。
「プラチナ」という曲自体は「BREATH」のボーナストラックに弾き語り楽曲として収録しているんですけど、1年後に配信シングルとして出した「プラチナ」はかなりアレンジしていて、歌詞も全然違うんですよ。1年間、本当に歌詞が書けなくなって、メロディも出てこなくなったときに、自分にできることもうないんじゃないかってちょっと思って。本当に何にもできなかったので、逆に友達に会ったり、新しい人に出会ったり、音楽の仕事以外のお手伝いをしていたときに、簡単に幸せってもらえたりするんだと思ったんです。
──表現活動とは別の日々の暮らしの中で。
そう。それまでは自分が本当に必要な人間なのか、わからなくなっちゃっていて。特にコロナ禍は、画面越しの言葉でしか人の気持ちが見えない期間だったから。でも、曲が書けなかった期間に家族や友人から「あなたが必要ですよ」という言葉をもらうたびに、「ああ、生きられる場所って音楽以外にも存在してるんだな」ということを実感した。そういう中で、そこまでして音楽にすがるのはなんでなんだろう?って突き詰めたときに、自分にとって錆びない思い出や、その春休みという感覚、自分の中の傷をどうしても残したいからなんだなと気付いて「プラチナ」の歌詞を新しく書きました。
──「プラチナ」はDISC 1の最後に収録されています。「プラチナ」の歌詞にも「最後くらい夕陽と共に去りたいな」というワードが出てきますが、どうして前編に「DUSK」(=夕陽)というタイトルを付けたんでしょうか?
最初は「BUBBLE」というタイトルしか考えてなかったんですよ。でも、前編と後編にして、DISC 1とDISC 2で分けようという話をスタッフさんからもらって、何か対になる言葉はないかなと探して。この主人公はさっき言ったみたいにどんどん失っていく、どんどん欠けていくということを考えたときに、“沈んでいく”意味合いがいいなと思って「DUSK」という言葉を選びました。言われてみると、確かに「プラチナ」と重なる部分がありますね。夕陽は常に頭の中にあった景色の1つなのかもしれない。
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自分の中で大きな何かが終わった