昨年、イラストの作画の様子を収めた動画を2カ月にわたって投稿した謎のTikTokアカウント「僕の物語に魔法をかけて」。物語のワンシーンを描いたイラストは60枚にもおよび、そのクオリティの高さが話題を呼んだ。そして、のちにその作者が「おもひでぽろぽろ」「紅の豚」「もののけ姫」といったジブリ作品の原画も手がけたアニメーターの清水洋であることが明らかに。膨大な数の作画は、Sano ibukiが昨年11月にリリースした最新アルバム「BUBBLE」のプロットとなった、Sano自身が紡ぎ出した空想の物語を元に描かれていた。動画のディレクションは国際映像制作プロダクションNOMAの太一監督が担当した。
さらに今年1月にはアルバム「BUBBLE」より、Sanoの実写映像と清水が描いたイラストが見事に融合した「三千世界」のミュージックビデオが公開された。作画、音楽ともにすさまじい熱を感じるこの壮大なプロジェクトは、いったいどのように進んでいったのか? 音楽ナタリーではSano、太一、清水の3人に集まってもらい、プロジェクトの全貌を語ってもらった。
取材・文 / ナカニシキュウ撮影 / 山口真由子
これは僕がやるべき仕事だ
太一(NOMA) なんかもう、作っていたのがずいぶん昔の話のような気がしますね。
清水洋 そうですね。だいぶ経った感じがします。
Sano ibuki 「どれぐらい前に作ってたっけ?」って、時間感覚が曖昧な感じになってきますよね。
太一 この映像企画がちゃんと動き出したのは去年の夏頃でしたけど、Sanoさんの構想自体はもう、はるか昔から始まってたんですよね?
Sano そうです。「BUBBLE」のお話は2019年ぐらいには考え始めていたので……。
清水 そんな前から!
Sano 最初に太一さんとお会いして、「今こういう物語を考えていて、それを元にしたアルバムを作ろうと思っていて」みたいな話をなんとなくさせていただいたのが、去年の5月とか6月とかだったのかな。
太一 そうですね、まだ夏前だった。その後、清水さんが参加されることが決まって……とんでもなくお忙しいアニメーターさんなので、本来こんなに手間のかかる仕事を請けられるはずがないと思うんですよ。なぜこの作品にはこんなにどっぷり?
清水 最初に「ストーリーを元に音楽を作るミュージシャンがいるんだけど、その人の曲に合わせて絵を描かないか」とお話をいただいて、それは面白そうだと思って「ぜひやりたい」と答えたんです。その時点ではSanoさんのお名前は聞いていなかったんですけど。
Sano あ、そうだったんですね。
清水 その後、実際にその企画が動き始めた段階でSano ibukiさんというお名前を伺ったんですが、その時点でもまだピンと来ていませんでした(笑)。でも実は5、6年前に「ぼくらの7日間戦争」というアニメーション映画でご一緒していて。
Sano そうなんですよね。清水さんがキャラクターデザインを務めていらっしゃって、僕が主題歌を担当させていただいた作品なんですけど。
太一 実はとっくにセッション済みだったという(笑)。
清水 そのことをSanoさんから聞いて、「えっ?」と思って(笑)。その瞬間に「これは僕がやるべき仕事だ」と確信しました。
Sano うれしい。僕も最初はプロデューサーさんに「清水さんという方が絵を描いてくださることになりました」とだけ聞いていて、詳細を何も教えてもらえなかったんですよ。絵も見せてもらってなくて(笑)。だから「まさかあの清水さんじゃないよな」と思ってたんですけど……。
太一 そのまさかだった(笑)。
Sano すごい巡り合わせだなあと思いましたね。
全員が同じゴールを見ていた
太一 そんなご多忙な清水さんに入っていただくだけでもすごいことなのに、新たに60枚もの絵を描いてもらわなければいけないという企画で。
Sano 僕も最初は誤解していたんです。清水さんにジャケットを1枚描いてもらうくらいの話なのかなと思っていたら、実際は「BUBBLE」の物語を60枚のイラストで表現するというものだった。発案したプロデューサーさんからその企画を聞いたときは、正直どういうものができあがる想定なのか最初はあまり想像できていなかったです(笑)。
太一 最初に「清水さん、60枚いいですか?」と聞いたら「え、60枚ですか?」って驚いてましたよね(笑)。
清水 そうなんですよ。60枚ということは、スケジュールから逆算すると1日最低5枚は描かないといけない。ギリギリ描ける数ではあるけど、途中で風邪でも引いたら終わるなと思ってました(笑)。
太一 しかも5枚と言っても、清書で5枚ですからね。1枚ごとにラフや下描きを何枚も描いてもらったんですよ。それも清水さんの場合、「誤解なく意図が伝わるように」と下描きがどんどん緻密になっていくんです。最終的には「これが完成でいいんじゃないの?」というくらいのクオリティになっていました。
清水 僕自身が迷いながらだったんで、ある程度細かいところまで描いたものを見てもらったほうが確実だと思ったんですよ。ラフに描いてOKをもらったものを、清書するときになって「やっぱり違う」と言われても困るんで。
Sano そのときのラフや下描き、清書を今日ここにまとめて持って来ていただきましたけど、これを見るだけでもすごい数を描いていただいたことがわかりますよね。
清水 見てもらうとわかるんですけど、最初のほうの絵はけっこう淡泊なんですよ。それが徐々に「情報量が多いほうが面白いんじゃないか」という話になってきて、要素が増えてきて。大変だったのはやっぱり後半のほうですね。登場人物も増えてくるし。
Sano 描き込みも色数もどんどん増えていきましたよね。当初は「モノクロで」って話だったはずなのに、最終的にはほぼカラー原画になっていくっていう(笑)。
太一 下描きから清書に至るまでの紆余曲折も、カットによってはけっこうすごくて。例えばバケモノを倒すカットなんかは、下描きにOKが出るまでに全然違うパターンのラフを経ていたりするんですよ。アングルも切り口もまったく違う。
清水 途中まで描いたけど清書にまでたどり着かなかった絵もいくつかありました。
太一 僕らに見せてくれていた前の状態の下描きも持ってきてくれているので、初めて見る絵もちょいちょいありますね。
Sano 確かに。あと、ラフを見せてもらって「これいいじゃん!」という話になっても、知らないうちに違う切り口のカットにブラッシュアップされてたりもしましたよね。「え、あれがこれになったんですか?」みたいな。さらに「こういう案もあるけど、どう?」とか。
太一 おかしいよね。だってSanoさんがいいと言ったら本来はそれで決定なはずなのに、そこで満足しないっていう(笑)。
Sano 「もっとイケる、もっとイケる」って。
太一 「BUBBLE」の精神がみんなに宿ってるから(笑)。さらに、作画の様子をTikTokで公開する「僕の物語に魔法をかけて」コンテンツが走り始めてからは、そこに寄せられるファンの熱い思いも乗ってくるんですよ。1枚のアルバムができあがる過程で、Sanoさんや音楽チームだけでなく、作家、監督、アニメーター、ファンの声までもが作品に反映されていく循環ができあがっていましたね。
Sano 制作が進めば進むほど、みんなが「いいね」と思う方向性がどんどん固まっていった気がします。いろんな意見があちこちから入ってきて収拾がつかなくなる感じは一切なくて、全員が同じゴールを見ていた。
清水 やっぱり普段の仕事とはだいぶ勝手が違うんで、緊張はしましたけどね。特にTikTokの撮影はペンで清書していくので、失敗が許されないんですよ。間違えたら最初から描き直さないといけない。カメラアングルの関係で姿勢も変えられないし……そういう苦労はありましたけど、できあがったものに対して皆さんが反応してくれるのがすごくうれしくて。アニメーションを作る現場では反応を直接もらう機会というのがなかなかないですから、今までにない経験ができてすごく楽しくやれました。
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すべての音に色がある