音楽ナタリー PowerPush - SHEENA & THE ROKKETS

ロックンロールを愛し続けた家族の35年間

もしコステロとの共演がなかったら歴史は違ってた

──初ライブの反響はどうでした?

入りが悪いわけでもないけど満員ってわけでもなく。サンハウスはテイチクレコードという大きなバックがあったし、東京でも日比谷公会堂とか渋谷公会堂でやってたけど、だからっちゅうて「鮎川の新バンドだ!」みたいな反応は皆無やった。でもライブが終わったらエルボンレコードっていう演歌専門レーベルの社長が僕らを気に入ってくれて、「君たちは2人でなんでもやれる!」って言ってシングル「涙のハイウェイ」とデビューアルバム「#1」をリリースしてくれたんです。

──ブルースロックだったサンハウスから、シナロケで「日本のエルヴィス・コステロ」になったというのは大きな変化ですよね。

鮎川誠

そしたら幸運なことに、コステロの来日ツアーで全公演オープニングアクトをやることになったんです。新しいムーブメントのど真ん中にいるヘンテコな野郎を、ステージの横から目の前で観れた。コステロは初日の大阪で、歌ってる途中に急にギターを叩きつけて、それを合図にベースもドラムもキーボードも全部ステージをめちゃめちゃにして引っ込んだんです。日本のお客さんはそんなの初めて観るからどう反応していいかわからなくて、「自分が悪いことをしたんじゃないか」ってムードになってて。10分くらいシーンとしてから、サクラかもわからんけど「コステロ!」ってコールが起こって、気を取りなおしたメンバーがまた出てきたんですよ。そしたらコステロが、レコードジャケットでも見た「エルヴィス・コステロ」って書いてあるギター持って現れて、「ああ、最初のは壊し用のやつやったのか」って。

──ははは(笑)。

あれは驚いたし、なるほどねえって思った。6カ所のツアーでたくさん勉強させてもらったよ。楽屋で怒鳴りあったこともあった。「お前ニセモノだろ!」「お前より俺のほうがギターうまいぜ!」「シーナの歌聴いたか?」「日本ナメんな!」とか。パンクはそういうアティチュードがすごい大事だからね。でも最終日には全部終わってから抱き合うっていう(笑)。ドラムのピート・トーマスが俺に「その背広くれない?」って言ったりさ。素晴らしい時間を過ごしましたね。で、そのときのもう1つの幸運は、そのライブを高橋幸宏が久保田麻琴、サンディーと一緒に観に来てくれたこと。

──あー、そこからYMOとの接点ができたんですね。

そう。当時、東京ですごいアンテナ持ってたミュージシャンでコステロの来日を観てないのはモグリやと思うよ。幸宏はサンハウスのときにミカバンドと九州で何度か共演してたし、互いに知ってる同士だったんです。ライブ中にこっちに聞こえるほど大きい声で「あ、鮎川くんだ!」って指差されて、ちょっと調子狂ったんですよ。でも終わってから楽屋に訪ねて来て、すごく激励してくれて。「僕らはYMOっていうのを作ったばっかりだけど、細野(晴臣)さんもきっと君たちのことを好きだから紹介したい」って話になって、アルファレコードへの移籍を勧めてくれたんです。もしコステロとやるようなビッグチャンスがなかったら、幸宏は僕らを見つけてくれんやったろうし、その後の歴史は違ったものになってたかもしれない。

誤解めいたイメージなんてどうでもよかった

──アルバム「真空パック」など、アルファ時代にテクノポップの要素を取り入れたスタイリッシュなポップスをやるようになったのはYMOの影響が大きかったんですか?

次のアルバムをアルファレコードで出そうって話になったときに細野さんが、まず一番得意なのを10曲ぐらい演奏して録って、それを素材に僕に料理させてほしいって。それで「ユー・メイ・ドリーム」「レイジー・クレイジー・ブルース」とかいくつかのアレンジにYMOのエッセンスを入れてくれたわけ。当時そのイメージでテクノポップって言われてたけど、耳を澄まして「真空パック」を聴いてもらうと「STIFF LIPS」とか、シンセサウンドが入ってるけど「せーの」でレコーディングした曲が多いんだよね。

──そうですね。

曲によってはコンピュータで制御されたものもあるよ。それは「一発録りだけじゃなくて、レコードでしかできないことを試してみようよ」っちゅう細野さんの提案なんですね。僕たちはそれを面白がってやった。そしたら「ユー・メイ・ドリーム」がCMで流れるようになって、一気にみんなに名前を知ってもらえて。まあ、その代わり「ロックバンドが変な音楽作ってるぜ」っていう誤解めいたイメージもついたかもしらんけど。

──ああ、あの頃は昔からのロックファンからあまりよくない反響もあったんですか。

うん、たぶんね。日本人って論争が好きなんですよ。The BeatlesとThe Rolling Stonesはどっちが優れてるか。はっぴいえんどの日本語ロックと内田裕也さんの英語のロックはどっちがいいのか。そんなのちょっと離れて見てみたら、どっちもごきげんなロックじゃないですか。

──まったくです。

だからそんな反応はどうでもよかった。俺たちにとっての問題は、明日また新しいステージに立てるか、また次のアルバムが作れるか、そしてまだ生き残れるかってことだけだったから。そういう気持ちをキープしたまま35年経って今日に至ってる。今だって、僕らに40周年があるやらないやら、そんなもんはなんの約束もされてないからね。

PTAにいるロック仲間たちに子守りしてもらいながらバンド活動

──3人目のお子さんが生まれたのはそれからまもなくですよね。

シーナが「いつだってビューティフル」っちゅうソロアルバムをリリースする矢先に、赤ちゃんがいることがわかって。バンドは出産のために休止したけれど、俺たちはそこでやめるつもりはなかったし、復帰するのを待っとったね。

鮎川誠

──子育てをしながら両親でロックバンドを続けていくって、かなりハードだったのでは。

大変なこともあるけど、子育てはとても楽しいですね。子供と暮らしてると、気が付かん新しい自分を教えてくれるし、守らないかんと思うとがんばりがいもあるし、逆に子供が僕らの守り神になってくれてるときもあるし。今までがんばれたのは子供たちのおかげですね。

──とはいえ現実的な問題として、ツアーに行くのは大変そうですね。

そりゃ子供を置いて行くわけですから、家政婦協会とかにはお世話になりました。あとはPTAにいる、筋金入りのロックの仲間。同じ学校には金子マリとジョニー吉長のとこのKenKenとあっくん(金子ノブアキ)もいたし、同じクラスに子供が通ってるロックフリークの友達が「シーナさん、今日レコーディングでしょ? 私見てるわよ」って、こっちから頼まんのに来てくれたし。

──それはすごくいい話!

僕らを好きになってくれた若いパンクバンドが「鮎川さん、シーナさん、今日俺たち家いますよ」っちゅうて子供たちと遊んでくれてたこともあったね。山口冨士夫と一緒に「ギャザード」ってアルバムを作ってたときは、シーナが子供たちを連れて福岡に行って、北九州から来てくれたお父さんに福岡空港で会って、お茶を飲んで、子供を預けて次の便で東京に戻るっちゅうようなこともしてた。家族で力合わせてなんとか乗り切るってこと、ホントにいっぱいありました。

──なるほど。

朝8時に子供を学校に送り出すのは俺たちの仕事やったのに、霞町のスタジオで朝方までセッションをしてたらノリすぎて「あー! もう8時半だぜ! どうしようか」なんてこともあったよ。急いで帰ったら子供たちは勝手に学校に行っとった。なんちゅうか、俺らがダメなとこは子供が補ってくれたし、みんなで“ロケットファミリー”としてチームワークを持って助け合ってやってきました。

ニューアルバム「ROKKET RIDE」 / 2014年7月23日発売 / SPEEDSTAR RECORDS
ニューアルバム「ROKKET RIDE」
初回限定盤 [CD+DVD] / 3780円 / VIZL-697
通常盤 [CD] / 3024円 / VICL-64191
CD収録曲
  1. ROKKET RIDE
  2. Ride the Lightning
  3. 太陽のバカンス
  4. Baby Love
  5. ROCK FOX
  6. 電撃BOP
  7. Madness City
  8. I'm So Glad
  9. 夢にしか出てこない街
  10. 素敵な仲間
  11. 風を味方に
  12. ロックンロールの夜
初回限定盤DVD収録内容

初となるレコーディング・ドキュメントが収録される他、2014年5月2日鮎川誠生誕66年祭ライブ「GOLDEN66」から厳選された最新のライブ映像も収録予定。

SHEENA & THE ROKKETS「シーナ&ロケッツ 35th ANNIVERSARY“ROKKET RIDE TOUR @野音”」
2014年9月13日(土)
東京都 日比谷野外大音楽堂
SHEENA & THE ROKKETS(シーナアンドザロケッツ)

元サンハウスの鮎川誠(G, Vo)が妻のシーナ(Vo)とともに結成したバンド。1978年10月にシングル「涙のハイウェイ」でデビュー。その後、YMOのメンバーの協力のもと、1979年10月に2ndアルバム「真空パック」をリリースし、その後も「ユー・メイ・ドリーム」「ピンナップ・ベイビー・ブルース」など数々の名曲を発表する。デビューから30年以上が経った現在も、シーナのパワフルでコケティッシュなボーカルと鮎川誠の熱いギターパフォーマンスは、多くのファンの支持を集めている。現在は鮎川、シーナ、奈良敏博(B)、川嶋一秀(Dr)の4人で活動中。2014年7月に6年ぶりのニューアルバム「ROKKET RIDE」をリリースし、同年9月には21年ぶりの日比谷野外大音楽堂ワンマンライブを予定している。