音楽ナタリー Power Push - ReN
どん底の挫折からシンガーの道へ
2014年にシンガーソングライターとしての活動を開始し、2015年には野外フェス「FUJI ROCK FESTIVAL '15」への出演、年間100本のライブを行う企画「百戦蓮磨2015」の成功など怒濤の勢いを見せているReN。そして2016年6月1日には自身初となるアルバム「Lights」をリリースする。今回音楽ナタリーではシンガーソングライターとして活動を始めたきっかけや、アルバムのコンセプトについてインタビュー。彼は音楽活動を始める以前の、モータースポーツの選手として活動していた時期のエピソードも明かしてくれた。
取材・文 / 高橋拓也 撮影(メイン&インタビュー写真) / 西槇太一
音楽と車が好きな少年期
──小学生の頃から音楽に慣れ親しんでいたとのことでしたが、きっかけはなんだったんでしょう。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」って映画が大好きで。あの映画の中ではいろんな年代の音楽が流れるんですよね。それがきっかけで、音楽に対する興味が生まれたんです。だから洋楽が特に好きでした。
──楽器を弾き始めたのはいつ頃?
ギターは小学校2年生頃からでした。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主人公がチャック・ベリーの「Johnny B. Goode」を弾いてるシーンがあるんですけど、あれがすごくカッコよくて、自分もやってみたいって思って習い始めました。でもそのまま音楽を続けていたわけではなく、当時は車の世界にも魅力を感じていて。すでに小学校の低学年のとき、車のエンブレムを全部覚えて「あれはホンダ、あれはBMW……」というふうに、路上を走る車を大きな声で、指差して叫んでました(笑)。
──さらに車への関心が強くなったきっかけは?
たまたま整備士の松井さんという人に出会って、「君はそんなに車が好きか? じゃあうちに遊びに来るか?」と言われて。普通同年代の子供だったらディズニーランドとかに行きたがるでしょうけど、松井さんが汗と油でドロドロになりながら、車の下から「おおーReNくん!」と挨拶してくれる姿がすっげえカッコよくて。それから六角レンチを回す音とか、ガソリンの匂いも好きで。それで通い始めて、小学校6年生の頃にはカートの整備とかも少しずつ任されるようになったんです。
──それはすごいですね。
実は親にも言わずに、学校をさぼって自動車の整備工場に行ってたんです(笑)。
──ご両親にはバレなかったですか?
何度かバレました(笑)。
──中学校の頃にも、その整備工場へ通うわけですか?
中学だけでなく、高校に入ってからもよく行きましたね。高校生になると車の整備やチューンアップの仕事はほとんど任されていたんです。それに白いツナギが真っ黒になっていくのが、すっげえうれしくて! ほとんど家に帰らず作業してました。
──そこからレーサーを目指そうとしたのはなぜ?
ある日松井さんがカート場に連れてってくれたんですけど、レーサーたちの姿にすごい興奮して。それで「松井さん! チャンピオンになりたい!」っていきなり言っちゃったんですよね。そしたら松井さんが「今は小さい車屋で働いてるけど、俺も環八沿いとかにあるような、でっかいお店を経営するのを夢見ていて……。車が好きで、諦め切れなくて」って夢を話してくれたんです。僕のチャンピオンになりたいっていう夢にも賛同してくれて、たくさん手伝ってくれたんです。
──夢を語り合ったんですね。
それで後日、廃棄場に捨てられていたカートを譲ってもらったんです。それを松井さんや、APEX RACING SERVICEの鈴木(立一)さんがチューンアップしてくれて。僕も「一緒に整備するんだぞ!」って言われながら作業しました。尽力してくれた松井さんたちのためにもがんばって、そのカートを使って御殿場サーキットでの大会で年間チャンピオンになったんです。そこからレースに夢中になって、高校を中退したんです。
──レーサーの世界へと進むことに関して、ご両親はなんとおっしゃってましたか?
「勝手にやれ! ただし、親より先に死ぬな! 金は一切出さない!」って言われました。
車も、僕の体もボロボロ
──その後はイギリスのレースにも出場されて。現地での活動はいかがでした?
イギリスのシェフィールドっていう街に行くんですけど、ミハエル・シューマッハというレーサーが代表を務める「トニーカートレーシング」という団体があるんです。そこの「ストロベリーレーシングチーム」に所属して。イギリスに行くまでとにかく日本でがんばりました。
──日本で下積みし、イギリスに向かうことができたと。
そうです。でもあちらでは完全アウェイだったし、毎日カートの練習があって大変で。それに自宅にレース場を持ってる子もわんさかいるんですよ。つまり生まれたときから、レーサーになるための環境が整っているわけです。正直やってられないと思うこともありました(笑)。それからモータースポーツの世界や資金集めについて、嫌というほど現実を突きつけられたのも事実です。
──資金集めはどのように進めていたんでしょうか?
スポンサーの方にお願いするんです。頭を下げてお金を出していただいて……。いい成績を出せばスポンサーの方々が声をかけてくれますが、その方々のためによりよい成績を出さないといけない。さらにスポンサーを増やしていく必要もあって……。頭を下げるのは当たり前のことなんですけど、いただく金額がとても自分が稼げるような額じゃないから、うれしい反面、心のどこかにとまどいもありました。夢の実現のためとはいえ、僕にとっては、なんだか腑に落ちなかったのは正直なところです。
──肉体的にも精神的にも、相当つらい環境だったと。
でも大変だなんて言ってられなかったです。本物のレーサーになるために、イギリスに行ったわけだから。レーサーは強靭な肉体と精神を持って突き進んでいくものですからね。それにマシンに乗ると小学校のときに憧れた夢や感情を思い出して走り続けることができたし、この世界に誘ってくれた人たちに、成績を報告するのが僕の楽しみだった。イギリスにいる間も「雨のときにはタイヤを交換しなきゃダメだぞ!」「パーツは大丈夫か?」って心配してくれましたし、みんなが僕を応援してくれたんです。そんな仲間たちを今でも誇りに思っています。
──大会での成績は?
「全英カート選手権スーパー1」というレースで、当時最年少でなんとかベストルーキー賞を2回受賞しました。不思議と日本人の魂っていうのが他国に行って湧いてきた感覚がありました。
──2014年には大きな事故に遭われたとのことですが、どんな状況だったんでしょうか。
大雨の日にクラッシュしてしまって。スピンして壁に激突するまでがスローモーションのように感じて、その数秒間でいろんなことが頭をよぎったんです。もうこれで終わりかもしれないとも思ったし。それで車も僕の体もボロボロになってしまって。
──ご自身のTwitterアカウントでも当時の状況を書き込んでいましたね。ほとんど体が動かなかったそうで。
そうですね……レースができないという状況が死ぬことよりつらかったです。けがをして活動ができなくなったら、スポンサーは代わりの選手を探すんです。わかってはいても、初めて絶望的な気持ちになりました。何もなくなってしまって。
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収録曲
- Illumination
- Sheffield
- Me&You
- Stars
- 時間切れ
- Friends Forever
- 生きる
- Goodbye
- Lights
- 生きる(Acoustic Live Session)
ReN(レン)
1994年生まれのシンガーソングライター。幼少期からギターに親しみつつ、12歳でモータースポーツ選手としての活動をスタートさせた。2014年に試合中のけがによる選手引退を機に、シンガーソングライターとしての道を歩む。2015年には1年間で100本のライブを行う「百戦蓮磨2015」に挑戦。野外フェス「FUJI ROCK FESTIVAL '15」への出演を挟み、12月の東京・原宿ストロボカフェでの単独公演をもって年間ライブ100本を達成した。2016年4月からはFm yokohamaにて、自身がパーソナリティを務める番組「おれん家へようこそ!」の放送が開始。6月に自身初となるアルバム「Lights」をリリースする。