ファンタジーを創るバンド、クジラ夜の街インタビュー|メジャーデビュー直前のメンバー4人を深掘り、すき家CMソングになった“プレデビュー曲”を語る

クジラ夜の街が5月にメジャーデビューする。

同じ高校の同期生4人で2017年に結成されたバンド・クジラ夜の街。軽音楽部の強豪校出身の彼らは演奏技術の高さもさることながら、「ファンタジーを創るバンド」をキャッチコピーに掲げた独自の世界観で10代のリスナーを中心に人気を集めている。

音楽ナタリーではメンバーの宮崎一晴(Vo, G)、山本薫(G)、佐伯隼也(B)、秦愛翔(Dr)にインタビュー。バンド結成の経緯や4人の関係性をはじめ、メジャーデビューを前に“プレデビュー曲”として発表したすき家のCMソング「踊ろう命ある限り」や、宮崎が高校時代に書き留めていたワンフレーズの歌詞から作り上げたという最新曲「ハナガサクラゲ」の制作背景などについて話を聞いた。

取材・文 / 蜂須賀ちなみ撮影 / 斎藤大嗣

クジラ夜の街は“運命”の居場所

宮崎一晴(Vo, G) もう5年バンドをやっているんですけど、インタビューしてもらうのは初めてなんですよ。今日はよろしくお願いします。

──よろしくお願いいたします。4人はもともと高校の同期生だったんですよね。

宮崎 そうですね。東京都立武蔵丘高等学校の軽音楽部で出会ったんですけど、その学校は軽音楽部が有名なところで、「オリジナル曲しかやらない」という方針があるんです。僕はもともと高校生になったらバンドをやりたいと思っていたので、「軽音楽部 / 有名」で検索したり、いろいろと調べている中で、武蔵丘高校のことを知ったんですよ。中学生の頃から楽器経験があった薫と秦も、強豪校らしいという噂を知ったうえで入ったらしいんですけど、佐伯だけは全然知らなかったみたいで。

宮崎一晴(Vo, G)

宮崎一晴(Vo, G)

佐伯隼也(B) はい。びっくりしました。

宮崎 入部するとまず、くじ引きをして、2カ月間お試しで活動する“オリエンテーションバンド”を組むんですよ。課題曲と自由曲を1曲ずつ与えられて、最後の日に発表会をするんですけど、そのときの演奏を踏まえて各パート1人ずつ優秀な人が選ばれて、その選ばれた人たちが正式にバンドを組むことになるんです。僕ら4人はそれがきっかけで結成されたバンドです。

──ということは、その学年の中でも特にうまかった人たちの集まりなんですね。

宮崎 薫さんと秦くんはうまかったから、部の中でも特に目立っていたんですよね。ベースは経験者がいなかったから誰が選ばれるのか最後までわからなかったんですけど、佐伯さんが選ばれて。

佐伯 運がよかったです。

宮崎 バンドって気の合う友達同士で組むことが多いけど、僕らは友達になるよりも先にメンバーになったので、ちょっと特殊な関係性だと思います。でもこの4人は自然と集まることも多かったんですよ。

秦愛翔(Dr) 引き寄せられるようにね。軽音楽部がいつも活動していた空き教室で、俺と薫が課題曲を合わせていたら、そこに佐伯と一晴が入ってきて……ということがあったんですよ。4人で合わせていたら、周りに人がどんどん集まってきたから「あれ? もしかしたら俺たち、いけるんじゃないか?」と思った覚えがあって。

宮崎 なんか付き合う直前のカップルみたいだったよね(笑)。「一緒にバンド組めたらいいよね」とお互い思っているのに、口には出さないという。そのあと4人とも選ばれて、実際にバンドを組めたときは自分たちでもドラマチックだなと思いました。

──楽器やバンドに興味を持ったきっかけについても聞かせてください。

山本薫(G) 僕は小学4年生の頃に、母親が聴いていたRADWIMPSにハマりまして。父が音楽に関係する仕事をしていたのもあって、家でスペースシャワーTVがずっと流れていたんです。だからRADWIMPS以外にもバンド系の音楽はずっと聴いていたし、相対性理論も好きでしたね。ギターを始めたのは中学2年生の頃だったんですけど、家にあった親のギターを弾いてみたらハマっちゃったという感じでした。

山本薫(G)

山本薫(G)

──秦さんも中学生の頃にドラムを始めたんですよね。

 はい。中学に入学したときの部活体験で、仲のいい友達とノリで吹奏楽部に行ってみたんです。「女の子しかいないって聞くけど、どんな感じなんだろう?」って。そしたらめちゃくちゃかわいい先輩がいて……(笑)。

宮崎山本佐伯 あははは!

 しかもそのあとにドラムを叩かせてもらったらめっちゃ楽しかったから、かわいい先輩がいて楽しいことができるなんて、ちょっと得かもしれないと思って。それで友達と一緒に吹奏楽部に入ったのがドラムを始めたきっかけでした。しかも僕は自分が目立つように譜面を書き換えるようなクソガキだったんですよ(笑)。1年生が初めて全校生徒の前で演奏したときも、自分のやりたいように楽譜を書き換えたんです。演奏が終わってみんなが撤収したあと、ステージに置き忘れたドラムのフロアタムを取りに戻ったら、知らない同期生も含めて観ていた人たちが僕1人に向けてバーッと大きな拍手をしてくれて。それに快感を覚えて、プロになろうと思いました。僕は「ドラムで新しいことがしたい」と思っているんですけど、クジラ夜の街はいろいろなジャンルの音楽をやるバンドなので、自分のやりたいことをどんどん試せるんですよね。この場所は自分にとって“運命”なのかなと思ってます。

秦愛翔(Dr)

秦愛翔(Dr)

宮崎 運命ね(笑)。

 なんだよ!

宮崎 インタビューだから強い言葉を使ってるのかなと思って(笑)。

 じゃあ“運がよかった”くらいにしておいてください(笑)。自分にとってちょうどいい場所でした。

ヤバいやつに出会ってしまったかもしれない

──佐伯さんは、高校に入るまではバンドに詳しくなかったそうですね。

佐伯 はい。映画「君の名は。」がきっかけで「RADWIMPSというバンドがいるんだ」と知るような感じでした。それで高校では軽音楽部に入ろうと決めたきっかけは、中学を卒業する1カ月くらい前に観た、学校のギター部の演奏ですね。軽音に入ろうと思ったものの、どの楽器を始めたらいいのかわからなかったんですけど、家に偶然ベースがあって。

佐伯隼也(B)

佐伯隼也(B)

宮崎 確かお兄さんのベースだったんだよね?

佐伯 そう。だから僕の場合、家にたまたまベースがあって、進学した高校がたまたま強豪校で、しかも自分の学年にたまたまベースの経験者がいなかったという強運でここまで来てます(笑)。

──宮崎さんのルーツミュージックは?

宮崎 最初に音楽がすごいなと思ったのは、Sound Horizonの「終端の王と異世界の騎士 ~The Endia & The Knights~」を聴いたときです。僕には歳の離れたいとこがいるんですけど、子供の頃はRPGで一緒に遊んでもらっていたから、ファンタジックな音楽に触れる機会が多くて。「終端の王と異世界の騎士」以外だと、宇多田ヒカルさんが歌っていた「キングダム ハーツ」のテーマソング(「光」)もカッコいいなと思いましたし、そうしてゲーム音楽にハマっていきましたね。小学4年生の頃に吹奏楽団に入ってトロンボーンを始めたんですけど、それこそ秦くんがドラムの楽譜を書き換えていたのと同じように、僕もオリジナルの基礎練を作っていたんですよ。そこからだんだん「誰かが書いた楽譜の通りに演奏するんじゃなくて、自分の曲を作りたい」と思うようになって、高校ではバンドをやろうと決めたんです。だから曲を作るために軽音楽部に入ったと言ってもいいくらいで。バンドで曲を作るのがずっと夢だったんです。

──この4人で初めて曲を作れたときは、うれしかったのでは?

宮崎 うれしかったですね。最初の頃は、この4人で曲を作れるのがとにかく楽しくて。音楽性やコンセプトも特に決めず、制作そのものを楽しむことから始めました。

佐伯 俺も「曲って作れるんだ!」と感動しました。

山本 確かに。僕もバンドでオリジナル曲を作ること自体、そのときが初めてで。

 そうだよね。僕らからすると、人生で初めて出会った作曲者が宮崎くんだったんですよ。今でも覚えているのが、新入生向けの入部説明会で教室に入ったら、イヤホンをしてガレージバンドのアプリを開いて、ずっとスマホをイジっている人がいたんです。正直びっくりしたんですけど、それが宮崎くんでした(笑)。

宮崎 ナメられたくなくて、カッコつけてただけですよ(笑)。

 でもこっちからしたら「うわ、ヤバいやつかもしれない」って感じだったんだよ(笑)。だけどバンドを組んだあとにデモを聴かせてもらったら、今度はいい意味で「ヤバいやつに出会ってしまったかもしれない」と思いました。デモの音源をもらってからは、プロのミュージシャンの曲と同じくらい、ずっと聴いていましたね。

──曲作りはどのように行っているんですか? 

宮崎 基本的には詞先で、アコースティックギターを弾きながらいろいろなメロディを歌ってみて、形にしていくことが多いです。そのあと4人でスタジオに入って、セッションが始まって、「今のいい感じだったね」と言いながらアレンジを作っていく、みたいな。基本的にアナログ派なので、最初からソフトに打ち込むようなことはないですし、バンドでもセッションで作ることにこだわっています。変に考えすぎず、その場で出てきたものが一番いいはずだと思っていますね。

「ファンタジーを創るバンドだから、ファストフードは食べるな!」

──今は「ファンタジーを創るバンド」と謳っていますが、結成当初からそういう方向性だったのでしょうか?

宮崎 いや、高校を卒業して1、2年経った頃にそう名乗り始めました。バンドを続けるにつれて「クジラ夜の街ってどんなバンドなの?」と聞かれる機会が増えたものの、うまく返せずにいたので、これじゃダメだなと思いまして。そこでメンバー会議を開いたんですけど、「そういえばバンド名が幻想的だよね」と気付いたんです。しかも僕たちには「ヨエツアルカイハ1番街の時計塔」という物語のような曲があるし、なんなら「夜間飛行少年」だって捉えようによってはファンタジックなんじゃないかと。しかもさっきも話したように、僕のルーツにはファンタジー系のゲームがあるので、「きっとこれが得意分野だ」ということで、「ファンタジーを創るバンド」と名乗ろうと決めたんです。

 決めた当時、宮崎くんは「ファンタジーを創るバンドだから、ファストフードは食べるな!」と言い出したこともあったんですよ(笑)。

宮崎 「世界観が崩れるからスウェットは着るな」とかね(笑)。だけどそれは違うんじゃないかという話に落ち着いて、やめました(笑)。

クジラ夜の街

クジラ夜の街

──「ヨエツアルカイハ1番街の時計塔」「ラフマジック」など、クジラ夜の街には絵本のようにファンタジックな物語を描いた曲が多く、宮崎さんの書く歌詞は確かにファンタジックですが、現実主義的な側面もあるように思います。「そもそも私たちの生きる現実世界はキラキラしたものではないですよね」という前提の上に成り立っているファンタジーと言いますか。

宮崎 戦争のあとの荒廃した街で、上を見上げたらすごくきれいな星空が広がっていた……というような、最低と最高が交わるような状況に惹かれがちなんです。だから、悲しい歌詞が書けたら明るいメロディと合わせたくなるし、そういうところは歌詞にも表れていると思いますね。暗闇の中でキラキラしたものを見つけたら、人ってやっぱりすがりたくなるじゃないですか。そう考えると、ファンタジーは人を助ける何かになってくれるんじゃないかと思うし、なぜ助けになってくれるのか、そもそも人はなぜキラキラしたものに憧れてしまうのかを、僕はこのバンドで深く追求していきたい。そしてリスナーのみんなにも知ってほしい。まあ、もっとシンプルに、キラキラしているだけのバンドだと思われたくないという気持ちもあるんですけどね。