大友良英|「いだてん」劇伴、CM楽曲、わらじまつり改革 最新プロジェクトに一貫する“パーツとしての音楽”の美学

“微妙な祭り”の改革

──ほかにも取り組まれていることは?

今、福島の「わらじまつり」っていう夏祭りの改革をやっていて……話すと長くなるんだけど、これがまた面白いんです。「いだてん」以外で一番力を入れているのがこれです。「わらじまつり」って俺が小学生の頃にできた夏祭りなんだけど、微妙な祭りというか……。

──微妙な祭り(笑)。

あ、言い方悪いですね。いや楽しい祭りなんですよ。でもまあ皆が変えたいと思っているのは事実で、なのでその改革をやってるんです。今から50年前、当時の福島市には夏祭りがなくて、商店街の人が観光客を呼ぶためになんとかしようということで作ったのが最初で。そもそも福島には12mの巨大なわらじをお神輿のように担いで市内にある信夫山に登る「暁参り」という江戸時代から続く冬の祭りがあって、それを夏に持ってきたんです。そのときに、戦前から70年代まで本当にラジオやテレビ、映画音楽から流行歌までたくさんの作曲をしてきた福島出身の作曲家、古関裕而に依頼して「わらじ音頭」を作り、当時大流行していた舟木一夫に歌ってもらったんです。それで街中をパレードして。

──「わらじ音頭」ですか。

でも80年代になると舟木一夫の歌謡盆踊りが古臭く聴こえたのか、浅草のサンバを取り入れたり、90年代になるとヒップホップを取り入れたり。だから今はヒップホップなんだけど……。なんかでもこれだけ聞くとかなり微妙でしょ。

──変遷があるんですね(笑)。

でも福島の人たちが街中で楽しむ分にはなんの問題もなかったし、みんな最高に楽しそうに踊っていて、それはそれでよかったんです。いい祭りだったと思います。でも2011年の震災後、“東北の祭り特集”みたいな企画で福島代表として「わらじまつり」が各地に呼ばれるようになって。

──震災を機に始まった「東北六魂祭」(現在は「東北絆まつり」)などですね。

そうそう。ほかは青森ねぶた祭とか由緒ある祭りがたくさん出ていて、本当にどれもものすごい祭りで。そんな中、わらじまつりはスピーカーからヒップホップのビートが流れてきて、若者たちが踊るという、ちょっと異形の祭りというか、あまりにもほかの伝統の祭りと違いすぎて。

──(笑)。

いやね、それでも楽しそうだし、話を聞く分にはいいんじゃないのとは思ったんですよ。でも、昨年絆祭りを実際に観に行って、そしたらやっぱり「これはまずいぞ」と。だって見ている人がざわつくんですよ、福島が来た途端に。「あれ、何?」って感じで。で、見ているだけの俺もなんとなく恥ずかしくなって下向いちゃって。「恥ずかしい」と感じるってことは俺、福島にアイデンティティがあるんだって気付きまして。そんなわけで、改革を頼みに来た祭りの実行委員会の人たちの気持ちもよくわかったんで、それで去年の夏くらいから「わらじまつり」の改革をやっているんです。今年の6月の「絆祭り」に初めて改革したもので出るんだけど。

音楽をパーツとして機能させる

──改革って、具体的に何をやるのですか?

何より、自分たちの祭りとして誇りを持てるようにするためにはどうすればいいかから考え始めました。実際に過去にあった祭りをいろいろ調べたりしながら、改革と言っても新しくするんじゃなくて、逆に古い祭りにしようと思って。正確に言うと、“昔からあったようなもの”を、今作ればいいんじゃないかと。例えば音楽はスピーカーから流すんじゃなくて、実際に太鼓や笛を生で鳴らしてやるとか。でも本当に古い形を復刻したところで、今の人がそのままできるわけじゃないですから、逆に古いリズムをもとに今じゃなければ作れないアンサンブルを組んで盆踊りを復活させていけばいいんじゃないかとか。誰が聴いても伝統だって思えるものを堂々と作ろうって。受け継ぐ伝統がないなら、伝統を自分たちで作ればいいんじゃないかと。

──“昔からあったようなもの”を新しく作る、と。

そうそう。例えば鬼太鼓座とか鼓童みたいなフォーマット。 あの“ふんどし姿で太鼓を叩く”みたいなイメージって、実は70年代以降にお酒のCMがきっかけに定着したスタイルだし、ビートの形もアンサンブルも、古典ではなくて新しいものでしょ。ロックより新しい。でもみんな伝統的なものだと思っているのはなんでかなって。

──なるほど。

ほかにも、昔からあると思われている祭りでも、実は今の姿になったのは戦後だったり、80年代だったり、案外新しかったりするんです。だから堂々と臆さずに、福島の古い形をリサーチしながら、今の人たちがやれるようなフォーマットを作ればいい、そんな風に考えたんです。

──テーマが先にあって、それをうまく崩したり、再構築したり。大友さんはそういったプロジェクトがとても多いですね。

多分それは今現在に対する批評でもあると思うんです。祭りを新しくしていく中に、この先僕らはこうあればいいという思想も込められるし。例えば“わらじは本来、男性が担ぎ手の中心なんだけど、「今作り直すなら、女性も担げるようにすればいいんじゃないの」とか。あるいは「福島市の人だけじゃなくて、インドネシアから来てコンビニでバイトしているような人も参加できるようにしよう」とか。みんなが未来はこうあったほうがいいなと思えるものをそこに込めていくことで現実を少しでも変えていくものになればいいなって。

──なるほど。音楽を起点にして。

うん。でもそのときに大切なのは、音楽だけを作るんじゃなくて、音楽をパーツとして機能させる現場を作るというか。劇伴もまさにそうだけど、音楽が主役ってよりは伴奏なんだけど、でもそれがないと成り立たないというか、すごく重要な役割を担うプロジェクトの中で何かをやっていくことが自分にとっては居心地がいい。音楽があることで、何かがうまく機能していくような場みたいなもの。その機能のさせ方をプロデュースするのが、自分の役目なのかなって。祭りでも劇伴でもそこは一緒だなって。その時に大切なのは「なぜそれをやるのか」「それは音楽としてどういう意味を持つか」「そもそも何のためにやっているのか」……という根本的な部分からちゃんと考えたい感じかな。それさえちゃんとしていれば、すごくオーソドックスなスタイルでも変わったスタイルでもどっちでもいい。重要なのは、それがどう機能するかということなんです。

大友良英