大河ドラマの劇伴作りの面白さ
──NHKの大河ドラマや連続テレビ小説は歴史があるから、決まりごとも多かったと思います。
そのぶん参考例が多いから、これまでの例に対して崩していくとかフォローするとか、そういうやり方で臨めるのが面白いけどね。例えば今回で言えば、「オープニングテーマなしってダメですか?」って聞いたらそれは絶対ダメだって。それと「オープニングテーマが1分くらいじゃダメですか?」って聞いたんだけど、それもダメらしくて(笑)。それで結局2分20秒にしたんだけど、それでも今までの大河ドラマで一番の短さなんだそうで。そういう縛りも含めて、歴史が詰まっている。極端なことを言えば1話を45分に収めなければいけないっていう当たり前の縛りがあるわけじゃない。語りの人がいるっていうのも大河ドラマや朝ドラの独特のスタイルだから、それありきでやっていく感じ。
──ある程度縛りがあるほうが、カウンターや“崩し”も楽しめそうですし。
そう、縛りがあることは必ずしも悪いことじゃない。縛りがそもそも何のためにあるのかから考えることで見えてくるものもあるし。それにいたずらのしがいがあるしね。「これなら文句ないでしょ?」って。で、相手に「そう来たか!」と思ってもらえるのも好きだったりするんですが(笑)。縛りって歴史だったりするわけだから、歴史を相手にするってことでもあるし。これまでの大河ドラマの音楽をまったく無視するわけじゃなくて、その定型を一応把握しつつ、何が今必要かをちゃんと考える中で見えてくるものでありますから。だから今回も最初に「みんなが思っている大河ドラマっぽいものって何?」ってところからいろいろ考えて、それを使ったり、外してみたりしていく。
──例えば「大河ドラマっぽさ」というと、オーケストラが荘厳な音楽が鳴っているイメージです。
オーケストラにティンパニーを入れるだけでもなんか大河っぽくなる(笑)。だけど今回はそんなシーンもなくて。
──そんなに仰々しくないですもんね。
うん、合戦のシーンとかないからね(笑)。でもね、ティンパニーも使っているんですよ。あと大河ドラマでは、もう1つ押さえなければならないポイントがあるんです。実話を元にしているというか、基本的には実在の人物の話を元にしている。例えば「西郷どん」の主人公の西郷隆盛とか、すでにいっぱいドラマや小説が作られているでしょ。だから参照する例がたくさんあるうえで何かを作らなくてはいけない。でも今回はほぼなくて。
──確かに金栗四三や田畑政治は、いわゆる歴史の教科書に出てくるような人物ではありません。
だから参照例もなくて、史実をいろんな角度からほじくり出してきて1からドラマを作っている。ものすごく大変な作業だと思うけど、側から見ているとそれがすごく面白くて。実際に起こったいろいろな史実をどうドラマとして見せていくのか。それは宮藤さんや井上さんたちの腕の見せ所で。どの部分を切り取るのかで変わってくるじゃない。
──はい。
それで言うと今回は、現時点では史実に意外に忠実なんです。びっくりするくらい、ほぼ元ネタがあったりするんです。しかも決して茶化していないのに、こんなに面白く見えるってのも驚きでした。例えば明治時代に、外国に行ったことがない人が外国と接するってだけで、もう面白いことがたくさん起こる。今の僕らはいろいろなことを知っているけど、当時は何も知らないわけですから。そういうのを宮藤さんたちががいちいちツッコミを入れながら本を書いたんじゃないかなって思うくらい面白い。いろいろなツッコミどころに対して、「なぜそうなったのか」というのをしっかり探りながら丁寧に作られている。そこから見えてくる日本の近代化の歴史でもあるわけで、教科書に出てくる出来事の羅列の歴史からは決して見えてこないことが、たくさん出てくるんです。大げさに言えば、僕らはどこから来たのかって話でもあるなって。だから本当に宮藤さん、すごいと思った。天才的。近現代文学の大傑作と言っても過言じゃないくらいのものすごい群像劇だと思いますよ。
「あまちゃん」以上の宮藤官九郎のすごさ
──しかし宮藤さん大友さんがプロジェクトを共にするのは、「あまちゃん」ファンのみならずうれしい話です。しかも「あまちゃん」から続く、さすがのチームワークを感じます。
でも、宮藤さんと直接会ったりはまずしないんですよ。メールのやりとりも一度だけだもん。第1話に音楽を付けたものが完成したときに、「すごくいい」って感想をいただいて。それだけだったけど、安心しましたね。うれしいメールでした。
──マインド的な部分でも、共有されているものは多いのかもしれませんね。
本当に、宮藤さんの本からは「あまちゃん」のとき以上にすごさを見せつけられてます。あまりストーリーは言えないけど、すごいですよ。ただ楽しいってだけのものではなく、歴史的な事実を並べるだけでもなくて、ちゃんと「日本の近代ってなんだったんだ」「今の自分たちは、どういうところから来ているんだ」というのを普通の人たちの感覚で重層的に描き出しているというか。そういう深いテーマがたくさん入っていると思う。
──オリンピックを導入にして。
そうそう。オリンピックって「自分たちが国際社会に参加するってどういうこと?」って感じで始まったと思うんだけど、偉い人がどうこうじゃなくて、「あ、足袋屋さんはこういうふうにオリンピックを見ていたんだ」みたいな。そういうことが丁寧に積み重ねられているドラマになっているんですよ。音楽もただそれに合わせるのではなく、大きく包み込むように寄り添いながらも、見ている人とこの難しいテーマを自分のこととして一緒に楽しめるような、文字通り伴奏役になればいいなと思っています。
──まだ作り終えていないので、「制作を終えていかがでしたか」という質問はできないんですね。
そうですね、まだ渦中だから。最後がどうなるかとか、まだわからない。だからストーリーが楽しみって意味ではテレビを観ている人と一緒、俺も。
──出演者もひたすらに豪華ですよね。
本当に、みんな主役級。
──音楽関係の方でも、峯田和伸(銀杏BOYZ)さんなども出演されています。
冒頭の田口トモロヲさんだってそうですよね。ばちかぶりですから(笑)。峯田さんやトモロヲさんは、一緒に映画を作ったりしてた仲です。「色即ぜねれいしょん」「アイデン&ティティ」とか。峯田さんなんて「俺が芝居をすると、半分くらい音楽が大友さんなんですよ」って愚痴をこぼしてました(笑)。
アルバムは作らないと思う
──ちなみに大友さん、最近劇伴以外で音楽的に着目されているテーマはあるんですか?
やっぱり機会があればサウンドインスタレーションはやりたいな。去年、福島の休業中の旅館で、古い家電を集めた「バラ色の人生」っていう作品の展示をやったんだけど、俺からしたらああいうインスタレーション作りのほうがアルバムみたいな感覚なんです。
──サウンドインスタレーションがアルバムですか。
通常音楽で言うアルバムって、ある音楽を45分や60分にまとめて自分の作品として発表することでしょ。 でも俺、今は45分の録音物で何か音楽的な表現をするって欲望はあんまりなくて。むしろ、録音物になり得ないもの……サウンドインスタレーションとか、一般の人とやるオーケストラとか、祭りを作るとか……そういう録音のできないもの、 “ライブ的”なものに志向性が向いているように思います。生の場所で鳴る、2chの録音には収まらないもの。この数年、震災後って言ってもいいかもしれないけれど、もうどんどん興味がそっちに行っちゃっているんです。だから、サントラとかボックスセットみたいに何か特別な企画じゃないとアルバムのようなものは多分作らないと思う。
──大友さんは、かねてから“その場にいないと体験できないもの”に意識的だった気がします。
確かにスタジオ録音盤のアルバムって言ったら、今から10年以上前に作ったOTOMO YOSHIHIDE INVISIBLE SONGS(2007年発売の「SORA」)が最後になるかな。あれを作ったときに思ったんです。「もしかしたらこういうアルバムはこれが最後かな」って。あのアルバムはすごく気に入っているし今でも大好きだけど、ああいう形で音楽をまとめて世に出すことに今は興味があるわけじゃないんだってことに気付かされたアルバムでもあるんです。その後はむしろそこに収まりきらないものに興味がどんどん移っていった。
──盤に収まりきらないもの。
そうそう。サウンドインスタレーションみたいな展示の音響作品なんかは、映像で観ても、その場にいないと本当のところはわからないでしょ。今はそんな現場を作ることに興味があるんです。みんなが同じ経験をするんじゃなく、そにいる人がいろんな経験をできて、見る人の見方によって音楽も違うものになるような。だから盆踊りとかが面白いんです。でも盆踊りもCDを出したけど(参照:大友良英スペシャルビッグバンド「ええじゃないか音頭」 )、それって“盆踊りの音源”であって、そのものじゃない。盆踊りで大事なのは現場じゃない? 音楽は皆が踊る伴奏であって、重要なパートだけど、それが主役じゃない。音楽作品を作るって感覚よりは、踊ってる人や屋台まで含めた祭りの現場全体の中でどう音楽が機能するかを考えるほうが面白くて。だからとてもわかりにくい音楽家になっていると思うし、売りやすい作品もないし(笑)。今は大友良英スペシャルビッグバンドのほかにも大友良英ニュー・ジャズ・クインテットもやっているんで、こちらはアルバムを作ろうとは思うけど、でもスタジオ録音盤ではなくて、ライブ盤じゃないとなあって思っていて、うーん、我ながらややこしいです。
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“微妙な祭り”の改革