重要なのは台本と井上さん
──劇伴の制作依頼は、いつ頃に?
えっとね、2017年の春くらい。宮藤官九郎さんたちはたぶんその2年前以上前から話し始めているから、すごい準備期間があるよね。最初に着手したのは「いだてんメインテーマ」で、作ったのは去年の2月。まずデモを作って、「これでいこう」と形になったのが2月ですね。録音は10月だったけど、その間数カ月。この間に江藤直子さんにオーケストラの編曲をしてもらい、芳垣安洋に膨大な人数が参加出来るリズムのアレンジをお願いしています。本当に何人もで作った音楽なんです。「あまちゃん」よりはるかに時間がかかりました。
──そうだったんですね。
しかもテーマ曲ができた時点では、まだ映像が1つもなかったんです。中村勘九郎さんも、本読みとか体作りをしている段階で。だから俺も、内容について想像ができていないような感じでしたね。音楽ができた時点で演出の井上剛さんたちも聴きながら、「これをどう映像に合わせよう」と作業を進めていて。そこが映画や普通のドラマと違うところかもしれなくて、本当に同時進行で一緒に作っているって感じがして、コラボって感じで大変だけど楽しいです。そこは「あまちゃん」と似ていて、長くやるドラマはやっぱり面白いです。
──メインテーマの取っかかりというか、アイデアの源は台本になるんですか?
いっぱいあるんだけど、基本的には台本かな。それと、井上さんがどうしたいかが大事。宮藤さんの本はト書きがほとんどないから、監督たちが行間をどう埋めていくかというのが大事で。そういう意味で台本だけだと方向性が見えないときがあるんです。だから井上さんの空回りする会話を聞いて(笑)、なんとなく音楽の方向性もイメージしていった感じです。
──空回り、ですか(笑)。
後半の主人公の田畑政治は阿部サダヲさんが演じているんだけど、その田畑って、井上さんがモデルなんじゃないかと思うくらいドラマの中で空回りしていて(笑)。すごい早口で何を言っているのかわからないところとか、井上さんにそっくり。だから「後半は井上さんに音楽を付ければいいんじゃないか」と思っているくらい。それは冗談だけど、井上さんがどの方向を向いているのか。それが台本と同じくらい音楽の方向性を決めるのには重要なんです。
アマチュアスポーツなんだから、誰が参加してもいいじゃない?
──たくさんのミュージシャンがスタジオに集まって、大友さんの指揮によって楽曲を完成させていくという点においては、「あまちゃん」劇伴のやり方を踏襲されている印象です。
そうですね。確かに今回のやり方は「あまちゃん」で始まった流れではあると思う。ただ人数感の意味が「あまちゃん」とは違っていて、「いだてん」の場合は「こんだけの人数が集まったらどうなるんだろう」という興味を持ってやりました。なんと言うか、まるで本物のお祭りの現場を仕切っている感じなんです。あの人数でどんな音楽が生まれるのかを考えるだけで面白くて、「いだてん」は特にそうやって作った曲が多いです。「あまちゃん」のときもそういう傾向はあったけど、人数の規模が全然違うのと、向いている方向が違うようには思います。
──そういったタクトの振るい方も独特ですよね。
そうかな。実は最初にNHKに「1万人入るスタジアムにみんなに楽器を持って来てもらって、それを録音するのはどうですかね」って提案したんだけど、さすがにそれは実現しなかった(笑)。「参加することに意義がある」とかつてのオリンピックは言っていたでしょ。もうみんな忘れているみたいだけど。本来アマチュアスポーツって誰が参加してもいいはずで、うまかろうが下手だろうが、楽しくやればいい。音楽もそういうものだと思うから、いろんな人に演奏してもらいたいと考えていたんだけど、プロの劇伴の現場はなかなかそうもいかない。そんな中で、少しでもユートピアみたいな状況を作れたらいいなと思って。
──それは壮大ですね(笑)。大友さんらしい発想だとも思います。ちなみに現時点でサントラは前編のみのリリースになりますが、劇伴の録音自体はすべて終わっているのですか?
いやいやいや、この取材の時点では20話くらいまでの録音は終わっているんだけど、それ以降のものはこれから作る感じ。後半の録音は4月。おそらく夏くらいまでは録音が続くと思う。
──長丁場ですね。
ですね。「あまちゃん」は能年玲奈(現:のん)がドンと中心にいたけれど、今回主人公が2人だし。2人の主人公のほかにも、嘉納治五郎とか古今亭志ん生とか、脇役とは言えないくらいキーパーソンがたくさんいるし、時代も明治、大正から昭和になるし、昭和も戦前、前後がある。長いだけじゃなく、設定がいくつもあって、音楽も重層的になっていかなければならないし、けっこう変えていかないと対応できないかなって思ってる。
──テーマとなる要素も本当に多いんですね。
そうそう。出だしは三味線と太鼓でドカドカやっているような野蛮なものを作ったんだけど、そんなものは明治のシーンにしか合わなくて、昭和になってくるとそんな音楽はないだろうな、とか考えながら作っています。もちろん、実際に明治時代にそんな音楽があったわけではないんですけど。たとえば打楽器だけでも、皮で叩いているものからシンバルなんかの金属に音色の比重を移すだけで時代の変化を付けられる……とか、明治時代はあまり和声的なアプローチをしてないけれど、時代が今に近付くにつれて和声が骨格になるような曲を付けていくとか、そんなことを考えるだけでもどんどん曲が膨らむんです。
──そういったことを考えるの、面白そうです。
うん、本当に面白い。自分の個人的な表現だったらそんなこと一切考えないけど、時代背景をどう作るかって考えると、普段考えないことも出てくる。音楽好きな人がそういう興味で聴いてくれたらけっこううれしいです。
NHKはちゃんとスタジオを残しておいたほうがいい
──参加ミュージシャンも膨大で、いろいろな楽器をスタジオでしっかり録音したリッチなアルバムとなりました。そういう意味でも、最近の一般的な作品よりも贅沢なサウンドが楽しめると言えそうですね。
この規模にしては予算はさほど大きくはないんです。ただ、NHKのスタジオを使用料を考えずに使わせてもらえるのが何より大きいかな。通常のレコーディングってスタジオ代で予算の半分くらい取られちゃうから、それを考えると、まったく同じ予算でも通常より倍の予算を使えるし、何より本当に素晴らしい音のスタジオなんです。しかもさまざまな種類の楽器がたくさん保管されていて、それが使えるのも大きい。普通それだけの特殊楽器を借りるだけで予算オーバーになりますから。NHKはちゃんとあのスタジオと楽器維持の仕組みを残しておいたほうがいいと思う。NHKくらいじゃないと維持できないんだから。維持できるところがちゃんと持ってないとね。
──大きなスタジオが減っている昨今においては、スタジオの使い方を知っている人も少なくなっているようです。
「GEKIBAN」に入っている資生堂のCMソング(「LADY-EMBELLIE」)の録音のとき、担当の人が「こんな大きな編成を生で録るのは初めてです」と言っていて。まさにそういうことだよね。その曲はフルオケに近い編成だったんだけど。今は打ち込みで作れちゃうから、録音すると言ってもちょっとした歌録りとか、ソロの楽器を録るくらいじゃない? そういう意味では俺のやり方は古いかもしれないんだけど、やれるうちはそういうやり方でやりたいなって。贅沢かもしれないけれど、でも生で大人数が演奏する魅力には代えられない。もちろん、コンピュータを否定するわけじゃない。ただせっかく生でレコーディングする以上は、コンピュータで作った音楽とは全然違うものができなければ意味がないから。
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大河ドラマの劇伴作りの面白さ