osageが1月3日から1月31日にかけて、5週連続で新曲を配信リリースした。
2022年に結成5周年を迎えるosage。彼らは1月3日に「ニューロマンス」、1月10日に「Sonic blue」、1月17日に「誰も知らない街で」、1月24日に「赤に藍」、1月31日に「yorunokakera」を配信リリースした。音楽ナタリーではosageの4人にインタビュー。バンドの成り立ちや現体制になるまでの経緯、新曲5曲の制作エピソードについて聞いた。
取材・文 / 蜂須賀ちなみ撮影 / 斎藤大嗣
本人がいないところでバンド結成
──まず、バンドの成り立ちについて聞かせてください。高校生の頃、山口ケンタさんがSoundCloudに上げていたデモ音源を聴いて、金廣洸輝さんと結成当初のギタリストである松永祐太朗さんの間で「山口さんの作った曲を演奏するバンドを組もう」という話になったそうですね。
金廣洸輝(G, Cho) はい。山口は本当にしれっと、誰にも言わずにSoundCloudにデモを上げていて。
山口ケンタ(G, Vo) 僕は高校生の頃に曲作りを始めたんですけど、どこかで演奏するために曲を作っているというよりは、あてもなく書いていた感じでした。特に目的もないので、1分くらいで終わる曲もあったり、すごく自由な感じで作っていて。
金廣 それを聴いた僕と松永の間で「え、すげーいい曲じゃん」「もったいないよね」という話になったんです。曲を書いた本人がいないところで「バンド組んでこの曲たちをやろう」と勝手に決めてしまいました(笑)。
山口 僕はあとから聞かされました(笑)。
金廣 そうしてバンドを始めることになってからすぐ田中にも声をかけて。
田中優希(Dr) 急に「ドラム叩かない?」と連絡が来たんですけど、暇だったので「いいよ」と言って。
ヒロクサマ(B, Cho) 高校生の頃はそんなに仲よくなかったんでしょ?
田中 そうそう。金廣とは同じ部活だったし、ゲームとか趣味も一緒だったからちょっとずつ仲よくなっていったんですけど、山口のことは正直好きじゃなかったんです。僕は教室の端っこで「レッチリ(Red Hot Chili Peppers)のこの曲いいよね」と言いながらニヤニヤしているタイプだったんですけど、山口は友達が多いし、ちょっとイケてる雰囲気あったので。「なんてチャラついた人間なんだろう」って(笑)。
山口 いやいや、そんなことはないよ(笑)。
田中 だから……僕はなんでosageに入ったんでしょうね?(笑) そのときはまだ山口のことがちょっと苦手だったはずなのに。
金廣 曲がいいと思ったんじゃない?
田中 そうなのかも。あと、心のどこかでうらやましいと思っていたんだろうね。
──osageは2017年に本格的に活動を始め、翌年にはmurffin discsの新人オーディション「murffin discs audition 2018」でグランプリを獲得しましたね(参照:murffin discsオーディショングランプリはO's-age、準グランプリはなきごと)。
クサマ 僕はその日初めてみんなに会ったんですよ。僕はそのとき、なきごとのサポートでベースを弾いていて。オーディションに出ているバンドの曲を聴いている中で、唯一「うわ、めっちゃカッコいい!」と思ったのがosageだったんです。だから「会えたら絶対に話しかけよう」と思っていて、実際に話しかけてみたら同い年だということがわかって。
田中 でもそのとき、僕は「この人ちょっと仲よくなれないかも」って思った……(笑)。
クサマ あははははは。
田中 そのときはクサマが金髪で髪が長かったから「怖っ!」と思って。
金廣 わかる。俺も怖かった。
山口 確かに同い年には見えなかったですね。
──そんなクサマさんがosageに加わるのはもう少しあとになりますが、2020年1月に松永さんが脱退したのは皆さんにとって大きな出来事だったかと思います。
田中 松永はメンバーの中で一番しっかりしている性格だったので、「3人になったんだから、気を引き締めていかないと」という気持ちでした。正直焦りもあったと思います。
クサマ でも僕から見たら、「メンバーが抜けたのにすごく前を向いているなあ」と思いましたけどね。例えば一度活動休止するとか、ほかの選択肢ももちろんあった中で、3人で続けるという選択をした理由がはっきりとわかるような印象を受けました。
山口 確かに「どうする?」という話になったとき、3人で特に示し合わせたわけでもないのに「続けたい」という結論がポンと出てきて。じゃあこのまま続けようということで、松永とのラストライブが終わった直後に3人でのアー写を発表して、4月にはシングルを出しました。
山口の作る曲は4ピースだからこそ輝く
──そのシングル「あの頃の君によろしく / Hertz」を発表したタイミングで山口さんがベースボーカルからギターボーカルに、金廣さんはサイドギターからリードギターに替わったんですよね。3ピースバンドになろうとは思わなかったんですか?
山口 最初は3ピースでやる案も出ていました。
金廣 高校からの付き合いだから、バンドにほかの人を入れるなんて考えられなかったからね。
田中 だけど僕が反対して。
山口 そこは頑なだったよね。
金廣 たなぴー(田中)が言っていた「山口の作る曲は4ピースだからこそ輝く」という意見もすごくわかるなあと思った。それに、山口はずっとギターボーカルがやりたかったみたいで。
山口 そうなんですよ。ベースボーカルだと、ベースでリズムを取りながら歌うことになるので、腕と口が別々みたいな感覚だったんですよね。だからギターボーカルになったらきっと伸びるだろうなと。根拠はないけど、なんとなく確信めいたものがありました。
金廣 そしたら俺はリードギターか、と(笑)。
──それでサポートベーシストが必要になったときに、クサマさんに声をかけたと。
金廣 そうですね。僕が誘いました。
クサマ オーディションのあとにも対バンをすることがあったり、交流する機会がいろいろとあったんですけど、3人の中で僕が特に仲よくなったのが金廣だったんですね。それで去年の2月から3月くらい、僕が前にやっていたバンドを辞めることになったときに友達1人ひとりに電話で報告していく中で、金廣にも連絡したんです。正直もう地元に帰ろうかなと思っていたし、そのときは山口がギターボーカルになることを知らなかったので、「使っていた機材を山口にあげようかな」くらいの気持ちで。そしたら「ベースを弾いてほしい」と誘ってくれて。
金廣 クサマを誘ったときも、この2人には言わず、俺が勝手に……。
山口 ホントだよ(笑)。
田中 なんにも知らなかったです(笑)。
金廣 でもさ、夜中に急に電話がかかってきて、「バンドを辞めて地元に帰ろうと思ってる」って言われたら、マジでそれはもったいないというか……悲しいなと思っちゃって。「だったらosageで弾いてよ」って言っちゃったんだよね。クサマの人生を変える発言だったんじゃないかと思っているんだけど。
クサマ 僕としては「うわ、好きなバンドから誘われた!」という感じで「やるわ!」と返事しました。だけど2回くらい一緒にスタジオに入ったあと、1回目の緊急事態宣言が出て、外出自粛期間に入っちゃって。
次のページ »
自分たちの曲を客観的に捉えることは大事