鬼束ちひろ|20歳の私と40歳の私が完成させたポップス

鬼束ちひろが11月25日にオリジナルアルバム「HYSTERIA」をリリースした。

「HYSTERIA」は、近年発掘された鬼束のデビュー前後の弾き語り音源に新たな歌詞を乗せたコンセプチュアルなアルバム。気鋭の音楽家・兼松衆がアレンジャーとして参加している。音楽ナタリーでは今年2月にデビュー20周年、10月に40歳を迎えた鬼束に、自身の近況や昨今の状況とは切り離して制作したという「HYSTERIA」の成り立ち、今後取り組みたいという楽曲提供への思いを聞いた。

また最終ページには「HYSTERIA」のアレンジを担当した兼松のコメントを掲載。鬼束の魅力を自然と引き立たせる美しいアレンジはどのように生まれたのか、本作への愛にあふれるテキストと共に紹介する。

取材・文 / 大山卓也

普遍的な歌詞を書きたい

──ニューアルバム「HYSTERIA」は鬼束さんが過去に書いた楽曲を形にしたものだそうですね。

うん、20歳ぐらいの私が書いた曲です。

──なぜ今その頃の曲を歌おうと思ったんですか?

鬼束ちひろ

今回はディレクターの木谷(徹)さんの熱い要望で。ビリー・ジョエルがそういう感じで過去の曲を集めたアルバムを出してるんですって(1981年発表の「Songs in the Attic」)。で、そういう作品を出したいって言われて、デビューの頃のデモテープから木谷さんが曲を選んで、兼松(衆)さんがアレンジしてくれて。それをもらって私が1週間ぐらいで歌詞をガッて書いた。

──そんなやり方があるんですね。

そうそう。私も「こんなのあり?」って思ってる(笑)。でも普通はこういう経験できないし面白かった。

──歌詞はすべて今の鬼束さんが書き下ろしてるんですね。

昔の歌詞で採用されている部分もあります。例えば「Dawn of my faith」のAメロは昔のままだし「焼ける川」とかもほぼ同じ。でもやっぱり若いときに書いた歌詞だから、メッセージ性が強すぎたりして今の私と全然違う。だから「歌詞は改めて書かせてもらいますね」って言ったんです。20歳の私の作品に、40歳の私が作詞家として参加した感じ。だからシンガーソングライターが書く歌詞じゃなく、ポップスとして成り立つように意識しました。普遍的にずっと響く歌詞を書きたいなと思って。

──鬼束さんは普段詞と曲が同時にできる人ですよね。今回歌詞だけを書いてみてどうでした?

めっちゃ大変でした。でも今これをやったことがたぶん1年後くらいに糧になるんです。無意識に、言葉にならない感じで生きてくるんじゃないかな。

特に理由はない

──それにしてもこんなにいい曲を今まで発表していなかったのはなぜなんでしょう? 何かが足りないと感じていた?

いや、ただ置いてあっただけ。特に理由はない。

──え、そんなことあります?

10曲ぐらい入ったMDが11、12枚かな、ずっと家にあって。それを木谷さんに渡したら「これ使おうよ!」ってノリノリで。私は自分ではよくわからないからあとの進行はお任せです。

──ディレクターにはこの完成形が見えていたんでしょうね。

うん、私はわかんないんですけど、たぶん木谷さんにはわかっていた。

──アルバム収録曲は全体的に最近の曲より素朴な印象を受けました。なんだかゴロっとそこに置かれた感じというか。

ゴロっとした感じっていうのはわかるかも。たぶん成熟感みたいなものがないんですよね。

世の中の動きとは関係ない

──制作期間はいつ頃だったんですか?

兼松さんから仮のアレンジをもらったのはけっこう前で、私がそのまま寝かせてたんだけど、今年の3月ぐらいに「そろそろやりましょう!」って言われて、そこから歌詞を書いて6月にレコーディングしました。

──世の中的には大変な状況が続いていますが、そういうムードみたいなものに影響を受けたりはしない?

全然。だって知らないから。見ない努力をずっとしてる。パチンコ行ってる。

──コロナ禍の今「みんなを勇気付けたくて新曲を作りました」みたいな人もいると思うんですが。

そうですね。でも周りのことは気にならないんです。それよりも自分の中の想像力をどこまで広げられるかだと思う。だから興味があることはとことん調べるし掘り下げる。でもそれは世の中の動きとは全然関係ないんです。

鬼束ちひろ

曲は降りてくるもの

──今回のアルバムではボーカルが今まで以上に力強く聞こえる気がします。

20年前の私とはだいぶ違いますよね。若い頃の自分に先輩風吹かしてます(笑)。

──鬼束さんは日頃から歌を練習してるんですか?

練習っていうか、いつも歌ってますからね。

──毎日の暮らしの中で?

うん、どんな音楽でも好きだからなんでも歌う。さっきまでM.C.ハマー聴いてたし。そういうのを家でずーっと歌ってます。

──じゃあレコーディングのとき歌い方について悩んだりはしない?

そうですね。そこは動物的というか、自分の直感を信じてるから。

──直感で歌ってここまで深く表現できる人はなかなかいないと思います。

それはたぶん私がプロフェッショナルな歌手の人たちを尊敬してるからですね。美空ひばりさんとかMISIAさんとか坂本冬美さんとか。今回のアルバムも若い頃の私が作った作品に歌手として参加してる感覚なんです。作詞や作曲のことばっかり考えてるシンガーソングライターの歌は私には響かない。

──でも鬼束さんも作詞作曲していますよね。

私の場合、曲は降りてくるものだから。スイッチが切り替わるんですよね。そこは自分の能力であり努力している部分だと思う。ステージで歌うときも、写真撮られるときもそう。だから居場所のなさを感じる。

──居場所のなさというのは?

曲が降りてくると、人間の、物質の私は付いていけないんです。曲ができたあとはなんか取り残されたみたいになる。生まれたときからそう。鏡を見てもなんか違うって思うし、名前呼ばれてもびっくりするし。自分がない感じがずっと続いてる。曲を聴いた人にも「この人実在しないんじゃないか」と思われてる気がする。

──シンガーソングライター的に自分自身を表現するのではなく、職業作家的に書いてるということなんですかね。

うーん、そういうのも頭で考えてなくて。野生ですよね。

──そこが鬼束さんらしさなのかもしれないですね。この歌詞にこういう思いを込めました、みたいな作為がない。

そういう書き方したこともあるけど、たいしたことないなって思って。もっと透明なほうがいいですね。