レコードを聴いて感じる“こういう空気”を楽曲に織り込みたい
──作品を作るにあたってmabanuaさんをプロデュースに迎えた理由は?
高橋 それもタッツくんのアイデアだったんですけど、きれいに整え過ぎず、同時に商品としてブラッシュアップしてもらえる方向性を考えたら、mabanuaさんが一番適役なんじゃないかという話になって。実際mabanuaさんは楽曲のアレンジについて、「ここをこうするともっと盛り上がるよ」とか的確なアドバイスをしてくれて。しかもホーン以外の楽器をすべて演奏しながら教えてくれたんですよ。
宮本 さすがマルチプレイヤーだと思ったし、全楽器めちゃくちゃ演奏がうまいっていう。もう音楽辞めようかなと思いました(笑)。
高橋 mabanuaさんに教わって、岡島がめっちゃドラムうまくなったもんね。
松下 あと、宮本が鍵盤の裏打ちとフットペダルの連携をうまくできなくて……。
宮本 俺が鍵盤を弾くのにあわせてmabanuaさんが手でフットペダルを押してくれた(笑)。
松下 それなら、もういっそmabanuaさんが弾いてくれればいいのに、とみんな思いながら(笑)。
高橋 バンドの演奏自体も、最初にプロデュースしてもらった「TIME IS OVER」の制作からガラッと変わったよね。そのときにmabanuaさんが「とりあえずクリックを聴きながら演奏しようか」って言って。クリックに合わせて演奏するのは初めてだったから、かなり苦労して、「TIME IS OVER」のレコーディングは17時間ぐらいかかったんじゃないかな。明け方に録り終わって、みんなそのまま会社行ったもんね。
──思い出野郎の楽曲制作のイニシアチブは誰が握ってるんですか?
松下 基本的には高橋ですね。みんなでレコードを持ち寄って、酒飲みながら聴いて、「こういう感じがいいよね」って意識を共有しつつ。
高橋 サンプリングまではいかないけれども、「こういうテイストでやりたいよね」っていうアイデアの元をみんなで持ち寄って。
松下 そこから曲の方向性を高橋が考えていく。そのやり方は初期からあまり変わらないかな。
──思い出野郎の作品には、「これって、あの曲が下敷きになってるのかな?」とか、過去の楽曲の雰囲気を想起させるような楽曲が少なくないですよね。
高橋 そういうのが好きなんですよね。「あの曲のフレーズが元ネタだったんだ!」みたいなのを発見するとテンション上がるじゃないですか。
宮本 曲の元ネタを見つけるのは楽しいよね。
高橋 そういう感触を楽曲に盛り込みたい感じはあります。
──ただ、それがイヤらしい感じで出ていないのも思い出野郎の楽曲の特徴なのかなって。
高橋 思い出野郎独特の“アク”によってそれが感じられない部分もあると思うし、フレーズを明確にサンプリングするという方向性よりも、その曲から感じるエモーションやフィーリングを吸収したいんですよね。メロディやコードを単に参照するんじゃなくて、「この曲ってフロアで流れるとこういう空気が生まれるよね」みたいな、そういう空気感を吸収したいと言うか。それって言葉では説明できないから、レコードを聴いて感じる“こういう空気”を抽出して、自分たちの曲に織り込みたい。かつ僕らの場合、そういった参照元が、ソウルやファンクだけじゃなくて、パンクやポップスとか幅広いんです。
──だから思い出野郎の音楽はジャンル分けが難しいし、今の需要のされ方を考えると、ソウルやディスコといったブラックミュージックの文脈は当然、シティポップやAOR的な解釈でも聴かれていると思います。
松下 例えば、僕らが影響を受けてるじゃがたらも、ジャンル分けが難しいじゃないですか。そういう感じかも知れないですね。
──話は「WEEKEND SOUL BAND」に戻りますが、リリースしての手応えは?
高橋 リリースできたことは普通にうれしかったけど、「もっと、ここをこうできたかな」って思う部分も多かったし、意外と満たされないんだなって。それはリリースしてすぐに感じましたね。
宮本 だから早く次の作品が作りたいっていう感じになったよね。
高橋 ただ、ミュージックビデオを制作したからか、「週末はソウルバンド」の評判がよくて。
松下 地方のライブであの曲を一緒に歌ってくれるお客さんがいたりして、「ちょっと変わったな」と思いましたね。
宮本 自分たちを観に来てくれるお客さんが増えた感触があったよね。
──僕も思い出野郎を最初に知ったのは「週末はソウルバンド」のMVで。高橋さんの無骨でソウルフルな“番長ボイス”にも驚いたんですが、でも、こうやってしゃべる声は優しいんですね。
高橋 張るとあの声になるんですよね。一時、いよいよガラガラになって、タバコも吸ってたし酒もかなり飲んでたんで、「これは絶対ポリープができてるな……」と思って精密検査を受けたら、「綺麗な声帯してますね」って。だから、この声は生まれつきなんだな、と(笑)。
政治や社会に対する視線が歌詞に反映されるのは自然なこと
──そしてレーベルをカクバリズムに移籍して2017年6月に7inchアナログシングル「ダンスに間に合う」をリリースします。8月に発表した2ndアルバム「夜のすべて」は、バンドによるセルフプロデュースで、内容的にもトータルコーディネートされた作品だと感じました。
高橋 1stはいろんな音楽の要素が入ったアルバムだったから、2ndアルバムはソウルミュージックを軸にした作品にしたかったのと、2ndに向けて楽曲を制作していたから、それで作品全体に統一感が生まれたんだと思います。バンドの持ち味と言うか、芸風が整理できたと思いますね。
──リリックに関していうと、1stアルバムでは私小説的な雰囲気がありましたが、2ndでは、社会に向けたメッセージと言うか、より開かれた視点を感じました。
高橋 1stアルバムの歌詞は東日本大震災の影響下にあったんですね。僕自身、親父が宮城県の女川町出身で、津波によって実家が跡形もなくなってしまったりして。1stには震災からの直接的な影響があったんだけど、僕にはそれ以降、社会がどんどん悪くなっているという認識があって。だから、2ndアルバムでは社会的なメッセージが、より明確で具体的なものになっていったんだと思います。サウンドはメロウなんだけど、メッセージ的には重くなりましたね。
──「フラットなフロア」を聴いたときは「ここまで踏み込んだことを歌うんだ」って、すごく驚いたのと同時に、メッセージとしてはFunkadelicの「One Nation Under A Groove」と非常に近い普遍性があると思いました。そして、そのメッセージ性は今作の「楽しく暮らそう」にもつながってると思います。そういった社会的なメッセージを“ダンスミュージック”の中で明確に提示するのは?
高橋 ダンスフロアやダンスミュージックは、ヘイトされてきた側、差別されてきた側が、戦って勝ち取ってきたという側面があると思うんですね。僕らはそういう文脈も含めてダンスミュージックが好きだし、ダンスミュージックの上澄みだけすくってそれをやるのは、受け継ぎ方として間違ってると思うから。それに、おかしいと思ってることに対してメッセージを発しないのは、そこに加担してるのと同じことでもあると思うし、そういう音楽はやっぱり作りたくない。
──そのダンスミュージックに関する考え方は、本当に正しいと思います。ただ一方で、ダンスミュージックや音楽は享楽的なもの、政治や社会的なことを語らないほうがベターだという考え方も世の中には少なくないですね。特に日本においては。
高橋 美術においても、そういった問題は日本ではタブー視されてるんですよね。でも、政治と関係ない人というのは、本当はいないはずなんですよ。水槽の中で泳いでいたら、水槽の水は自分には関係ないと言えないのと一緒で、政治や社会は自分を取り巻くものですよね。だから、どんな人でも何かしらの政治的な立場にはあるはずで、音楽に政治を持ち込む、持ち込まないって分けて考えること自体がよくわからない。それが成り立つんだったら、「音楽に恋愛を持ち込むな」っていうことだって成り立ってしまうじゃないですか。だから政治や社会に対する視線が歌詞に反映されるのは自然なことだと思ってます。
──昨今、USのヒップホップは政治的なアティチュードを明らかにすることが重視されるようになってきているし、それが世界的な傾向でもあるように感じます。
高橋 日本でもこれからはもっと、パンキッシュだったり、政治的なものだったり、アティチュードのある音楽が流行っていくと思うんです。そのときに「あのとき戦わなかった奴ら」とは言われたくないんですよね。
宮本 じゃがたらとかMUTE BEAT、それからNUMBER GIRLも、政治や社会に対する視点を楽曲にクールに織り込んでたと思うんですよね。それは、個人の体験や生活の一環として政治や社会があることがわかってるからだと思うし、自分を取り巻く状況を曲に織り込むのは、表現活動として普通のことだと思うんです。だから、「今、自分はこういうふうに思ってるから曲にした」っていうのは、すごくシンプルなことだと思う。
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自分たちの意思を表明しないと、自分たちの場所がどんどんなくなる