音楽ナタリー Power Push - NONA REEVES
紆余曲折ありつつ20年、ノーナに学ぶ音楽シーンのサバイブ術
「売れたるぞ!」と思ってた
──そして3rdアルバム「DESTINY」(2000年10月発売)は、今もライブのハイライトを飾る定番曲が多く収録された華やかな作品になりました。
郷太 「DESTINY」は筒美京平さんとの出会いもデカいし、それこそYOU THE ROCK★と作った「DJ! DJ! ~とどかぬ想い~」も、RIP SLYMEやKICK THE CAN CREWのデビューより前ですからね。ああいう陽気なラップっていうのがあんまりない時代。あの時期はちょっと躁状態というか「売れたるぞ!」って一番思ってた時期だったかもしれない。
小松 この短期間で「売れたくない」から「売れようぜ!」「よっしゃ、やるしかない!」っていうモードになってた(笑)。
奥田 今聴くと音質にもそれが表れてるんじゃないかな。「DESTINY」が一番メジャーっぽいというか、ハイファイな音がするし。
小松 予算も使ったもんね。
郷太 「LOVE TOGETHER」とか1曲で、今ならアルバム何枚も作れるような予算かけてるし、アルバム全体でいえば何千万円も使ってる(笑)。デカいスタジオでストリングスたくさん呼んで全部人力でやってて、やっぱりそれは音に出てるし、あのアルバムの幸福感につながってる。俺らみたいなバンドにとっては最高の時代だったと思います。
最大の挫折
──しかしNONA REEVESはデビューから5年後の2002年にワーナーミュージックを離れることになります。これはどういう理由だったんですか?
郷太 いや、単純に売れなかったからですよ(笑)。最初に思ってたほどには売れなくて。
奥田 すごく普通の理由だよね(笑)。
──じゃあワーナーで結果を出せず契約終了になったのは、ある意味挫折といえる出来事だった?
郷太 俺にとっては最大の挫折でしたね。やっぱワーナーって会社自体が好きだったし、社長とかも仲よくしてたし、キリンジやクラムボンみたいな尊敬できる仲間もいたし。あとプリンスとかドナルド・フェイゲンとかもワーナーだから、そういう歴史の中で自分も音楽作ってるっていう喜びも感じてた。だからワーナーを離れるのはものすごく残念でした。
奥田 契約終了ってこと自体、初めての経験だったから。3人で会社クビになったみたいな感じでしょんぼりしてたよね。
郷太 今だったら別に契約切れても「なんとかなるやろ」って思えるんだけどね。
コロムビア期の塾通い
──次に日本コロムビアとの契約が決まるわけですが、そのときは?
郷太 あのとき空白の期間が1カ月ぐらいあったんかな。だからコロムビアが声をかけてくれたときは、正直今までの人生でも一番って言っていいほどうれしかった(笑)。マネージャーと一緒に寿司かなんか食ってたときに連絡もらって、それで改めて「よっしゃ! ノーナがんばっていかんと!」ってなった記憶があるなあ。
──コロムビアでは「NONA REEVES」(2002年9月発売)と「SWEET REACTION」(2003年7月発売)の2枚のアルバムを発表します。
郷太 コロムビア期の2枚は門倉聡さんにプロデュースを頼んだのがデカかったですね。それまでの俺ら3人はアンダーグラウンドシーンから出てきたような、クールな音楽をやってる人たちに憧れてたとこがあって。だけど門倉さんはもうちょっとメジャーな場所で仕事としてきっちりポップスを作ってきた人だったから。門倉さんのスタジオで三者三様にミュージシャンはどうあるべきか、職業作家とは何かっていうことを学んだ。俺らはバンドマンとしてやってきたけど、そうじゃないやり方があるんだなっていうことを知った2年間でしたね。
奥田 塾に通ってたみたいな感じだったよね。
郷太 やっぱ当時はまだ90年代から続く空気の中で、楽器にこだわるのはダサいとか、そこにある刀で戦うのがカッコいいみたいなムードがあったと思うんだけど、そのとき「いや、刀もこだわったほうがええな」って気が付いたんですよね。
小松 それで初めて自分のドラムセットを買ったんです。
奥田 俺も初めてギターアンプ買った。
郷太 何年もスタジオのやつレンタルしてたもんな。
奥田 それまでは「スタジオに置いてあるアンプでいい音出せなきゃダメだろ」って思ってたんですよ。今思うとよくわからない美学なんだけど。
小松 だからプレイヤーとしての自覚みたいなものは、そこがスタートかもしれないです。改めてドラムを習いに行ったりとかして。
音楽業界天変地異の時代
──コロムビアとの契約がアルバム2枚で終了したのはどういう経緯だったんですか?
郷太 俺らをコロムビアに呼んでくれたのはジャック松村さん(松村克己)っていう社長だったんだけど、俺らが入ってすぐ亡くなっちゃったんです。それで「ノーナをガンガンやります」って言ってたチームも空中分解しちゃって。
小松 社長室自体がもう解体されるし、よくわかんない感じで。
奥田 あんまり会社に行った覚えもないですね。
郷太 最後のほうは「あいつら誰が連れてきたんだ」みたいな感じになって。しかも当時2004年前後はノーナがどうこうっていうより、世の中的にバンドがどんどん解散してた時期で。スーパーカーとかCymbalsとか、僕らの同世代のバンドがいなくなって。あとレコード業界も異様にお金がなくなって。
小松 確かに1回時代が終わった感じはあるかもね。
郷太 もう業界ごと天変地異みたいな時代だった。ただ、逆にすげえ安くCD作れるようにもなってきて。俺も自宅に機材そろえてちょっとしたレコーディングをできるようにしたりとか。その頃、中島美嘉さんの「LOVE」っていうアルバムで「You send me love」っていう曲を書いたら、そのアルバムが200万枚ぐらい売れたの。だから機材を買えたのは中島美嘉さんのおかげですね(笑)。
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- ベストアルバム「POP'N SOUL 20~The Very Best of NONA REEVES」 / 2017年3月8日発売 / WARNER MUSIC JAPAN
- 初回限定盤 [CD] / 2700円 / WPCL-12516 / 紙ジャケット仕様
- 通常盤 [CD] / 2700円 / WPCL-12533
CD収録曲(初回限定盤・通常盤 共通)
- O-V-E-R-H-E-A-T
- LOVE TOGETHER
- パーティは何処に?
- BAD GIRL
- ラヴ・アライヴ feat.宇多丸
- HIPPOPOTAMUS
- 透明ガール
- 重ねた唇
- I LOVE YOUR SOUL
- NEW SOUL -2017 MIX-
- DJ! DJ! ~とどかぬ想い~ feat. YOU THE ROCK★
- STOP ME
- DAYDREAM PARK
- HEY, EVERYBODY!
- WARNER MUSIC
- ENJOYEE!(YOUR LIFETIME)2017
ハイレゾアルバム「POP'N SOUL 4824~The Very Best of NONA REEVES」(全10曲収録) / 2017年3月8日発売 / WARNER MUSIC JAPAN
ライブ情報
NONA REEVES「デビュー20周年記念 赤坂ノーナ最高祭!!! 第一夜」
- 2017年3月26日(日)東京都 赤坂BLITZ
- <出演者>
NONA REEVES / 堂島孝平 / サニーデイ・サービス
NONA REEVES「デビュー20周年記念 赤坂ノーナ最高祭!!! 第二夜」
- 2017年5月28日(日)東京都 赤坂BLITZ
- <出演者>
NONA REEVES / KIRINJI
インストアイベント
- 2017年3月13日(月)東京都 タワーレコード新宿店7F
START 20:00 - <出演者>
NONA REEVES(西寺郷太、奥田健介、小松シゲル)
内容:アコースティックライブ+特典会(サイン&握手)
- 2017年3月22日(水)愛知県 タワーレコード名古屋パルコ店 店内イベントスペース
START 19:00 - <出演者>
西寺郷太(NONA REEVES)
内容:トーク+特典会(2ショット撮影&握手)
- 2017年3月23日(木)大阪府 タワーレコード梅田NU茶屋町店イベントスペース
START 20:00 - <出演者>
NONA REEVES(西寺郷太、奥田健介、小松シゲル)
内容:アコースティックライブ+特典会(サイン&握手)
NONA REEVES / ノーナ・リーヴス
西寺郷太(Vo)、奥田健介(G, Key)、小松シゲル(Dr)の3人からなる“ポップンソウル”バンド1995年に結成し、1997年11月に「GOLF ep.」でメジャーデビュー。初期はギターポップ色の強い楽曲を得意としていたが、1999年のメジャー2ndアルバム「Friday Night」を機にディスコソウル的なサウンドを追求しはじめる。その後も精力的に活動を続け、コンスタントに作品を発表。ポップでカラフルなメロディと洗練されたアレンジによって、国内で他に類を見ない独自の立ち位置を確立する。西寺は文筆家としても活動し、80'sポップスの解説をはじめとする多くの書籍を執筆。さらにメンバーは3人とも他アーティストのプロデュースや楽曲提供、ライブ参加など多岐にわたって活躍中。2017年3月にメジャーデビュー20周年を記念したベストアルバム「POP'N SOUL 20~The Very Best of NONA REEVES」をリリースした。