西岡秀記が4月26日にリリースした3rdシングル「追憶 / 陽があたる場所 / tsu...tsu...tsu...情熱!」でメジャーデビューを果たした。
会社を経営しながら音楽活動を行う自身のスタイルを“経営ソングライター”と称する西岡。今作は、そんな彼の人生の集大成といえる作品に仕上がっていると言う。音楽ナタリーでは西岡にインタビューを行い、歌手を志したきっかけや、シングルが生まれた背景について語ってもらった。
取材・文 / 酒井優考 撮影 / 後藤倫人
“経営ソングライター”誕生
──音楽ナタリーに初登場ということで西岡さんの歌手としての経歴を教えていただきたいのですが、その前に音楽的なルーツを教えていただけますでしょうか。
僕は洋楽も邦楽でもどんな音楽でも分け隔てなく聴くんですが、邦楽でもっとも影響を受けたのは浜田省吾さんですね。15歳で彼の音楽に出会って以来、ずっと僕の理想の男性像です。おかんの持っていた「WASTED TEARS」というアルバムの中の「防波堤の上」という曲を聴いて、「自分も人を感動させるような曲を書きたい」と思ったのが音楽活動の原点です。同級生と好みが合わないこともよくありましたが(笑)。
──実際に音楽活動を始めたのはいつですか?
2002年、20歳頃から作詞作曲を始めて、それと同時にライブ活動も始めました。もちろん音楽だけで生計を立てるのは無理だったのでアルバイトをしながらです。でも音楽をやっていると「いい機材でいい音を鳴らしたい、それにはお金が必要だ」ってだんだん貪欲になってきて、そんなに資金もないのに2005年に個人事業主として事務所を設立したんです。
──2005年には1stシングル「Last Christmas~With You~」を発表されていますが、その後は一度、音楽活動から離れたそうですね。
1stシングルは自分の中で黒歴史なんです(笑)。よく知らない事務所の社長に「CDデビューしないか?」って声をかけられて、当時は業界の誰ともつながりを持っていなかったので「うおおお! デビューできるんや!」と思って、言われるがまま50万円を支払ったんです。その後CDは家に送られてきたんですが、流通することもなく、その社長とは音信不通になってしまいました。ただそのことがきっかけで「世の中しょせん金か、金がないとどうしようもない!」と思うようになり、本格的に事業を展開して金を稼ごうと決心するんです。そこからは作詞作曲はしつつも事業のほうに専念することにして、会社の収益も大幅アップすることができました。その後いろいろと失敗を繰り返して今は大幅に尻すぼみですが(笑)。
──その一方で、2012年には1stアルバム「いつまでも、いつの日か、いつの日も」をHIDEKI名義で配信リリースしています。
会社の経営をしながら行ってきた創作活動の中で生まれた楽曲を、1枚のアルバムにまとめてリリースしました。ただそのときも表立った音楽活動はしていません。しかもこの頃は会社のほうも順風満帆とはいかず、2014年には信頼していた人から投資詐欺に遭ったりして一度は事務所を畳んだこともありました。それまで連れ添っていた人間はみんな離れていっちゃいました。
──波乱の人生ですね。
まあすべて自己責任なので後悔していませんが、当時はさすがにへこんでましたね(笑)。そんなとき、知り合いのイベントに誘われて2015年に約10年ぶりにライブをしたんです。意外と反響がよくて、そこから人と人がつながってライブのオファーが来るようになったりして、すごくいいきっかけになりました。長年にわたり一緒に音楽活動を続けてきた作曲 / 編曲家の松田純一が「西岡さん、音楽活動再開しましょうよ」って言ってくれたり、自分自身でも「もしかして俺の音楽って悪くはないのかな」なんて思ったりして。「じゃあ経営者もやりながらソングライターもやる“経営ソングライター”っていう形でやってみるか」って思い付いたんです。
社長が社員に見せるビジョン
──西岡さんの言う“経営ソングライター”とはどういうものですか?
これは単純に経営者でありながらソングライターもやっているからというだけで名乗っているわけではないんです。人間って雇われている方だろうが事業主だろうが、誰しもが人生を経営しながら生きていると思っていて、僕はそんな人生そのものをコンセプトに歌詞を書いているので“経営ソングライター”を名乗っているんです。
──なるほど。ただ、実際には会社の経営をされながらソングライター業も並行してやっていると。
そうですね。昔は自らテレアポして営業に行ったりもしてました。営業はいろいろな人と出会えるし経験も積めるしメンタルも強くなるし、楽しいですよ。現在は社員に任せている部分が大きくて、僕は案件の契約内容を確認したりしています。
──お話を伺っていると山あり谷ありの人生ですが、経営者とソングライターを両立させるのは大変ではないですか?
あとから振り返ると大変なことばっかりなんですけど、経営をやっていると大変なことにだんだん慣れてくるんです(笑)。なので、実際に大変なことが起きていると「俺って大変なことやってるな」って気持ちより「俺ってめっちゃ面白いことしてるな」とか、「これでまたレベルひとつ上がるんちゃう?」って思うことのほうが強いんですよ。だからそこまで物事を大変だと思ったことはないんです。それに今は社長が音楽活動をやっていても、社員たちは「社長遊んどるやんけ」とは思わずに「この人と一緒にやってたら面白いから自分たちもがんばろう」と思ってくれているみたいで。それは社員がみんな「なぜ社長は歌うのか」っていうビジョンを理解してくれてるからだと思います。
──そのビジョンとはどういうものですか?
「僕が1人でも多くの人の心を動かせるスイッチになる」っていうビジョンです。経営者としては失敗続きで決して優秀ではないですが、むしろそうやって失敗してきた経験が社長としてもソングライターとしても多くの人の共感を生んで、それぞれの人生に希望や喜びを与えていくことができるのではないかと思っています。失敗しない人生なんてどこ探しても見つからないですから。だったらたくさん失敗して自分の心の価値を高めて、人の心を動かせるソングライターになろうと思ってるんです。
──「どちらかの活動がおろそかになったりしないのかな」なんて思ってしまいますが、それでも両方をこなす意味とはそういうところにあるんですかね。
「人の心を動かしたい」っていう思いが軸としてしっかりあれば、どっちの活動もおろそかになることはないです。まあ、会社経営に関しては僕よりデキる人は星の数ほどいてるんで、デキる人が出てきて「会社の経営は僕がやります」って言ってきたら、すぐ「よろしくお願いします」って言いますけど(笑)。
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メジャーデビューはスタートライン
- 西岡秀記「追憶 / 陽があたる場所 / tsu...tsu...tsu...情熱!」
- 2017年4月26日発売 / KING RECORDS
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[CD]
1300円 / KICB-2708
- 収録曲
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- 追憶
- 陽があたる場所
- tsu...tsu...tsu...情熱!
- 追憶(オリジナルカラオケ)
- 陽があたる場所(オリジナルカラオケ)
- 西岡秀記(ニシオカヒデキ)
- 1982年生まれ。2002年に音楽活動を始め、2005年には個人事務所WINGROUPを設立。会社の経営とソングライター業をこなす“経営ソングライター”を名乗る。2005年12月、1stシングル「Last Christmas~With You~」でCDデビュー。2012年12月に1stアルバム「いつまでも、いつの日か、いつの日も」をHIDEKI名義で配信リリースした。2016年10月に2ndシングル「不滅の絆」を発表。表題曲は航空母艦“瑞鶴”の追悼イメージソングとして制作され、同月、奈良県橿原神宮で行われた瑞鶴の慰霊祭で披露された。2017年4月には3rdシングル「追憶 / 陽があたる場所 / tsu...tsu...tsu...情熱!」でキングレコードよりメジャーデビューを果たした。