なとりとは何者なのか?著名人11名のコメントと本人インタビューで徹底特集 (2/3)

なとり「劇場」インタビュー

幸せになれるような曲がめちゃくちゃ少ない

──1stフルアルバム「劇場」は神経を研ぎ澄まして1曲1曲作られた、非常に濃密な作品だと感じました。ポップスとしての完成度の高さはもちろん、なとりさんの人間味があふれてくるような作品だなと。作り上げての感慨はいかがですか?

「よくがんばったな、自分」と思います(笑)。最初に作ったアルバムがこの作品でよかったです。1stアルバムだし、中途半端なものにはしたくなかったので。なとりの世界観が色濃く出ているものが作りたかった。そういうアルバムを作ることができてよかったと思います。

──作る中で自分自身を見つめる瞬間も多々あったかと思いますが、本作を作り上げることで改めて気付いたこともありますか?

物事を捉えるときに悲観的になってしまう人間なんだな、とは思いましたね(笑)。幸せになれるような曲がめちゃくちゃ少ないんですよ、このアルバムは。今後、もっとハッピーになれるような曲を作れるようになりたいんですけど。

──なぜそうした悲観的な表現がご自身から出てくるのだと思いますか?

ネット文化の系譜なのかな、と思います。僕はネット文化育ちなんです。ネガティブな感情を「ネガティブなままでいいんだ」と伝えてくれるところが、ネット文化のすごいところだと僕は思っていて。そのマインドを、なとりとして受け継いでいるのかなと思います。

──具体的に、なとりさんはどんなアーティストや作品から影響を受けてきたんですか?

キタニタツヤさんからはものすごく影響を受けていますね。キタニさんは、希死念慮みたいなものを歌にすることがめちゃくちゃ得意な人だと思うんですけど、そこに魅力を感じて、今、僕はこうして音楽をやっているなと思っていて。

──音楽以外では?

ホラーゲームがすごく好きで、世界観に影響を受けた作品がたくさんあります。例えば今回のアルバムに収録している「Sleepwalk」という曲の念頭にあったのは「P.T.」というゲームなんです。同じ場所をずっとループしていくすごく怖いホラーゲームで。怖いもの見たさみたいなものが自分の中には強くあるんですよね。自分のいる世界からは遠い世界の話だけど、「これ、普通にあったらめちゃくちゃ怖いよね?」という世界に触れることがすごく好きなんです。「怖いものを書く」というのは、曲を作るうえで大事にしている部分だなと思います。

子供の頃から“裏拍命”

──改めて、なとりさんがどのようにして音楽に目覚め、音楽作りにのめり込んでいったのかを伺えたらと思うんですけど、SNSにアップされていた「Overdoseが出来るまでの話」というマンガによれば、物心ついた頃から音楽は身近にあったんですよね?

そうですね。兄と姉がいるんですけど、姉はORANGE RANGEが好きで、僕が生まれたときから家の中でORANGE RANGEが流れていたし、母親はママさんアカペラグループに入っていて。その影響でゴスペラーズとかもめちゃくちゃ聴いていました。姉は吹奏楽もやっていて、パーカッション担当だったんですけど、たまにドラムのスティックを僕にくれたんですよ。それを使って、僕もソファーを叩いたりしていたんです(笑)。

──なとりさんの音楽はリズムがとても重要だと思うんですけど、子供の頃の体験が影響しているのかもしれないですね。

たぶん、そうだと思います。子供の頃から“裏拍命”の人間だったのかもしれない(笑)。

──ご自身で音楽を掘るようになったのはいつ頃ですか?

ニンテンドー3DSを小3か小4の頃に手にして、それでYouTubeを見るようになったんです。自分で見つける音楽の入り口はそこだったと思います。

──「Overdoseが出来るまでの話」の中には、「シンガーソングライター」という存在のカッコよさに目覚める場面がありますよね。

それは、米津玄師さんを知ったタイミングですね。米津玄師さんが出てきたとき、「めちゃくちゃカッコいいことをしている!」と思って、そこからシンガーソングライターという存在にハマりました。いろんな人にハマったんですけど、一番は米津さんでしたね。当時の自分にとって、あのミステリアスさがすごくカッコよかったんです。あれだけ謎めいている人がポップスの最前線にいっているって、めちゃくちゃ素敵だなと。

──先ほど名前が挙がったキタニタツヤさんの音楽に出会ったのはどういったタイミングだったんですか?

あれは奇跡の出会いでした。僕、高校生までバスケットボール部に入っていたんですけど、高2の頃に部活中にスマホを触っちゃいけないのに触っていて、先生に没収されたことがあって(笑)。それで、仕方がないからまっさらな履歴のパソコンを開いてYouTubeを観ていたら、ネット系のアーティストがいろいろと出てきて、そこで見つけたのがキタニさんだったんです。それから虜になりました。より音楽にハマるきっかけになった出来事だったと思います。本当に、キタニさんがいなかったら今の僕はいないと思う。

窮屈に生きていたなあと思います

──ご自身で音楽を作り始めるまでは、どのような経緯があったんですか?

高校を卒業した頃に、iPhoneのGarageBandで曲を作ることができると知って、そこからだったと思います。確かキタニさんがYouTubeの企画でDTMを使って曲を作っていたんですよね。そこでGarageBandやDTMの存在を知ったような気がする。

──お話を聞いていて、YouTubeなどを通して触れるネット文化がバックグラウンドとして大きいのだなと改めて思うのですが、同世代の周りの人たちも同じようにネット文化に触れていましたか?

いや、全然そういう感じではなくて。むしろ、そこで悩んでいました。周りの人と自分の好きなものについて話すことができないので。

──おそらく、アルバムの収録曲「Cult.」に描かれているのはそうした少年時代の心象風景でもあると思うんですけど、自分はどんな少年だったと思いますか?

めちゃくちゃ窮屈に生きていたなあと思います。当時は狭いコミュニティしか見ていなかったので、そこからいろんな場所に派生できる、ということも知らなかった。自分本位な悩みを抱えていたなと思いますね。自分が好きなものを誰かに共有しようと思えばできるけど、共有しようという気持ちにならない。共有しにいくまでに、疲れやしんどさを感じてしまう……そんな感じで。今思えば、共有できることもあったんです。だけど当時は、それを伝えることができないまま、窮屈に生きていたなと思います。

──高校を卒業した頃に音楽作りを始めて、どのようにしてその世界にのめり込んでいったんですか?

子供の頃にORANGE RANGEとかを聴いていた頃から、音楽はずっとやりたかったんです。作詞作曲云々というよりは、「音楽をやりたい」という気持ちがずっとあった。そこからネット文化を通して自分でも曲が作れると知り、より「音楽ってすげえ!」と思うようになって。もともと、家族や親戚の前でよく歌う子供だったんですよ。カラオケマイクというラムネ菓子があるんですけど、それを握ってよく歌っていて(笑)。家族は冗談でも「うまい、うまい」と褒めてくれるじゃないですか。そういう経験を通して、いつの間にか自信を持ったんだろうなと思います。

──YouTubeやTikTokでなとりさんの活動を見ていて、ヒット曲をカバーすることより、オリジナル曲を世に出していくことが最初から大きな軸だったんだろうなと思いました。子供の頃から音楽が染みついていたから、作曲にハマっていくのも自然なことだったんですね。

うん、そう思います。それにやっぱり、僕が聴いてきたアーティストは作詞作曲編曲にその人の名前がクレジットされていることが多くて。それがすごくカッコいいなと思っていたんですよね。だからこそ、「自分で曲を作りたい」と思うようになりました。

とにかく自分のダークな部分を出そう

──初めてネット上に自作曲を投稿されたときのことは覚えていますか?

覚えていますね。投稿する前に信頼できる友達に曲を聴いてもらったんですけど、すごく褒めてくれて。「寝るときにこういう曲が欲しかったんだよ」と言われてうれしかったのを覚えています。投稿したあともそいつは曲を聴き続けくれて、着実に再生数を伸ばしてくれていました(笑)。あと、初めてコメントをもらったときも、めちゃくちゃうれしかったです。ひらがな2文字とかの意味のわからないコメントだったんですけど、「コメントがつくって、こういうことなんだ」と感動しました。

──なとりさんが最初に作って投稿した曲は、アルバムにも収録されている「金木犀」ですよね。この時点ですでになとりさんの根源にあるものが曲に出ているなと、聴いていて思います。初めて曲ができたときの喜びは覚えていますか?

めちゃくちゃ覚えています。電車に乗っているときに自分で何度も繰り返し聴きました。「いい曲作ったなあ」って(笑)。「金木犀」には漠然としたストーリーがあるんですけど、それは、「夢の中で自分に出会って恋をする」というもので。午前2時くらいの真夜中に作っていた記憶がありますね。あと、本当に最初の状態のデモを作ったとき、歌詞がディープすぎて「これはダメだ」と思ったんです。

──裏を返すと、“音楽を作ること=自分の深い部分を出すこと”という感覚が、なとりさんの中にはすでにあったということですよね。

やっぱり、ネット文化はそういう場所だったので。とにかく自分のダークな部分を出そうとすること……「曲を作ろう」と思った頃から、それは自分の根幹にあったと思います。自分の闇の部分を歌にしようって。「金木犀」は、それの一番純粋なところでできた曲だったのかなと思います。

2023年12月20日更新