音楽ナタリー Power Push - Nao Yoshioka

「日本と世界に私のソウルを」夢の途中で見せる笑顔

今年4月、2ndアルバム「Rising」でメジャーシーンに躍り出て日本のソウルシーンのホープとしてさらなる注目を浴びたNao Yoshioka。この秋は「Rising」リリースツアーとして日本国内を回りつつ、ニューヨークのブルーノート単独公演を含むUSツアーを行い、ホセ・ジェイムズのツアーのワシントン公演でオープニングアクトを務め、米国のソウルミュージック専門メディア・SoulTracks.comの「2015 SoulTracks Readers' Choice Awards」において最優秀新人賞にノミネートされるなど、彼女を取り巻く状況は徐々にスケールの大きなものへと変わり始めている。それは歌手としての才能や実力のみならず、「世界で通用するアーティストになる」という目標のもと努力を続けてきた成果と言ってもいいだろう。

音楽ナタリーでは、東京・イイノホールでの「Rising」リリースツアーファイナルを控えたNao Yoshiokaにインタビューを行った。これまでの人生のターニングポイント、ライブのステージに注ぐ熱などを聞いていくうちに、彼女の音楽に対する真摯な姿勢が見えてきた。

取材・文 / 鳴田麻未 インタビュー撮影 / 小坂茂雄

人生で起きた3つのターニングポイント

──まず、Naoさんのこれまでのストーリーについて触れていきたいのですが、歌手人生でターニングポイントだったと思う出来事を3つほど挙げてもらえますか?

3つですね……。1つ目は、21歳から2年半アメリカに住んで、ソウルミュージックと出会ったこと。あと日本に帰ってきてSWEET SOUL RECORDS(所属事務所・ライフサウンド株式会社の自社レーベル。Nao Yoshiokaのインディーズ盤「The Light」をリリースしている)と出会ったことも大きいですね。そしてプロになってからのキャリアとして、「The Light」「Rising」という2枚のアルバムを制作したっていうのが3つ目だと思います。

──では1つ目の「渡米」について聞かせてください。

2011年、Apollo Theaterでの「アマチュアナイト」の公開オーディションの様子。 ©SWEET SOUL RECORDS

私、15歳で歌を本格的に始めて、19歳まで日本で音楽活動をしてたんですけど、その頃は自分が何を歌いたいのかもわからないし、ずっと迷走してて。「The Black Eyed Peasの日本版を目指せ!」と言われてダンスを習ってみたり、自分で歌詞を書いて曲も作ってみたけど、よくわからないものができあがったり……ホントにいろんなことをやってたんですよ(笑)。結局のどを壊したり、いろんなことがあって歌を辞めてしまったんです。人生で一番暗い時期でしたね。そこから自分を変えようと思ってアメリカに行って、音楽ってなんだろうとか、本当は私ってどういう人間なんだろうとか、そういう思いと初めて真剣に向き合うことができたんです。ああ、音楽ってこんなにパワフルで、自分の人生をここまで救い上げてくれるものなんだなあって思いました。

──特にその音楽がソウルだったと。

はい。私、アメリカに行ってなかったらソウルミュージックを歌っていないですね。それもボーカルコーチに出会えたからなんですけど。その人がホントに音楽の厳しさを教えてくれました。

──渡米5日目にしてニューヨークのハーレムで、アリシア・キーズも師事したボーカルトレーナーと出会ったんですよね。「音楽の厳しさ」とは具体的に言うと?

10代の頃って、理由もなく「私歌うまいし」みたいな自信があって一番調子に乗ってたと思うんです。自分自身を知らないし、歌の実力もわかってないから、無駄に自分を過信してた。そんなふうに自分の力を理解できてない状態でアメリカに行って。その先生は3カ月に1回ぐらいしか「いいね」って褒めてくれなかったんですよ。それ以外はずーっと怒られて正されてばっかりだったので、根拠のない自信を見事に打ち砕かれて。外にライブを観に行っても、私より歌がうまい人しかいないし、私なんて底辺の底辺みたいな状態でした。そこで「私ってまだまだだし、これからなんだ」ってわかったからこそ「まだ私にはできることがあるんだ」と思って、ちょっとずつちょっとずつ努力して歌を学んでいくっていう日々でした。

──上には上がいて、プロとして歌っていくのは想像以上に厳しいんだなと思わされたってことですか?

Nao Yoshioka

というより、音楽を人に伝えるっていうことがどういうことか全然わかってなかったんですよね。音楽の持つ力とか、自分が歌う言葉に対しての責任を。歌は自己承認じゃなくて、ストーリーを伝えることに意味がある。ただ「あなたのことが好きです」と歌うにしても、私が歌を通して責任を持ってそのメッセージを伝えなければいけないんだなと。レッスンで知ったのはそういう厳しさでした。

──2つ目のポイントとして挙げたSWEET SOUL RECORDSは、世界で通用する日本人アーティストの発掘や新たなソウルミュージックシーンの創造をコンセプトに掲げるレーベルで、Naoさんの音楽性を形取ってく上でとても重要なところですね。このレーベルとタッグを組んだ経緯を教えてください。

2年半アメリカで過ごして日本に帰ってきたときは、「私はなんのために日本に帰ってきたんだろう」っていうくらいなんのツテもない状態で、いろんなジャムセッションに行ったりしていました。その中で友人たちからSWEET SOUL RECORDSの名前を聞いて、実際にスタッフさんと会えたんです。そしたらSWEET SOUL RECORDSも私と同じ夢を持ってたんですよ。私は、日本と世界で活躍するアーティストになりたいと思っていて、SWEET SOUL RECORDSもそういうアーティストを育てたいって思ってくれていて、当時すでに世界数十カ国から素晴らしいアーティストの作品をリリースしてるレーベルでした。「ああ、この人たちに出会うために私は日本に帰ってきたんだ」と思いました。

──そのように理解し合える人たちと出会い環境に恵まれるかどうかは、アーティストにとって重要なファクターだと思います。

そうですね。今は「Nao Yoshioka」っていうアーティストは、私自身というよりこのチームで作ってるという感覚です。プロデューサーがいなかったら今頃よくわからないことをやってるんじゃないかなっていうぐらい、私を導いてくれた存在です。

──それが3つ目の「The Light」「Rising」という作品作りにもつながるわけですね。「Rising」はヤマハミュージックコミュニケーションズとSWEET SOUL RECORDSの提携により発売されましたが、メジャーデビュー作だからと言って急に作風が変わったりはしなかったですね。

はい、全然しなかったです。

──今年4月に「Rising」をリリースして反響はいかがでしたか?

Nao Yoshioka

「The Light」でもホントにたくさんの方に聴いていただけてフィードバックをいただいたんですけど、「Rising」はより多くの人に聴いていただけるチャンスになったのかなっていう手応えがあって。今、全国13カ所のツアーを回っていて、これで一番感じています。それまでは主要都市でプロモーション活動をして、聴いてくださる人がどんどん増えるっていう体験をしていたんですけど、ツアーでは地方を回ってるんですよ。行ったこともないところの方たちが、こんなにたくさん私の歌を知っていて、「待ってたよ」って言ってくれて、曲を聴いて涙してくれてっていうのは……信じられない光景というか。もう毎回感動して、私のほうが元気をもらってます。

「Nao Yoshioka Rising Japan Tour 2015 -Living Our Dreams」ファイナル公演
  • 2015年11月21日(土)東京都 イイノホール
    OPEN 17:00 / START 18:00

チケット一般発売中

Nao Yoshioka(ナオヨシオカ)

Nao Yoshioka

ニューヨーク仕込みのパワフルなボーカルと表現力を武器とするソウルシンガー。2009年からアメリカ・ニューヨークに2年半滞在し、Apollo Theaterで行われた「アマチュアナイト」で準優勝、アメリカ最大規模のゴスペルフェスティバルで4万人の中からファイナリストに選出されるなど輝かしい成績を残して帰国する。2012年、初のオリジナル曲「Make the Change」をSWEET SOUL RECORDSから発表。和製アリシア・キーズと呼ばれ、渡米時にはゴードン・チェンバースから称賛を受ける。2013年11月に1stアルバム「The Light」をリリース。2015年4月にはヤマハミュージックコミュニケーションズから2ndアルバム「Rising」でメジャーデビューを果たし、「SUMMER SONIC」「JOIN ALIVE」といったフェス出演やブルーノート東京での単独公演、アメリカツアー、全国13カ所を回る国内ツアーを行った。