仲村宗悟|音楽と共に歩む道

声優として活躍する仲村宗悟が、10月30日に1stシングル「Here comes The SUN」でアーティストデビューする。

2014年にゲーム「アイドルマスター SideM」の天道輝役で声優デビューし、今年の3月には「第13回声優アワード」で新人男優賞を受賞した仲村。そんな彼は高校生のときに作曲を始め、高校卒業後は専門学校で音楽について学んでいたという。音楽ナタリーでは仲村に音楽的なルーツやこれまでの道のり、そしてChouCho、渡辺翔、仲村がそれぞれ作詞作曲を手がける3曲を収めた1stシングルについて話を聞いた。

取材・文 / 髙橋裕美 撮影 / 塚原孝顕 衣装協力 / Velvet Lounge

思い出のCD

──今日は私物のギターを持って来ていただいて。撮影中もとても素敵な音色を聴かせてくださりました。つい最近入手されたばかりだとか。

そうなんです、昨日買いました! とある企画でギターショップに行って、買い物風景を撮影してもらったのですが、そのときにこのギターに出会ってしまって。その場でATMに行ってお金を下ろしてきて、どーんと買っちゃいました!(笑)

──運命的な出会いですね。このギターのどこに惹かれたんですか?

仲村宗悟

もう見た目からバッチリ理想通りだったのですが、何より弾いてみたときに音がすごくよかったのが決め手でした。鳴りもいいし、僕好みの音だったんですよね。キレイすぎないというか、ちょっとガチャガチャした感じのアタック感が好みでした。

──仲村さんは今声優として大活躍されていますが、もともとはアーティストを目指して上京されたそうですね。その頃から、ギターを弾かれていたんですか?

そうですね、ギターとボーカルをやっていました。高校1年生くらいのときに独学でギターを始めて、コードを4つ覚えたくらいの頃にはもう、オリジナル曲を書いていました。すごく稚拙な曲ではあるんですけどね。僕、ものを作るのはもともと好きだったんですよ。

──音楽に興味を持ったきっかけは?

家族がみんな音楽好きで。昔からよくみんなでカラオケに行っていましたし、CDがたくさんあるような家でした。最初に自分のものになったCDも兄貴からもらったもので、スピッツの「ハチミツ」でした。僕は兄貴が上に3人いる男4人兄弟の末っ子で。中でも次男にはよくドライブに連れて行ってもらっていたんですけど、そこで「ハチミツ」を聴いて、2人で大熱唱していたんです。それで小学生か中学生くらいのときに、「お前、これ好きそうだからあげるよ」ってCDをもらって。

──そのあとはどういった音楽を聴いてこられたんですか?

やっぱり兄貴や親の影響が大きくて、スピッツ、奥田民生さん、Mr.Childrenとか。あとは友達とみんなでBUMP OF CHICKENをよく聴いていましたね。沖縄出身なんですけど、地元にいたときはまったく洋楽を知らなくて。洋楽を聴きあさったのは高校を卒業して、上京したあとです。いろんな音楽を聴こうと思って、CDショップでジャケ買いをしたり。あとは「ジョジョの奇妙な冒険」に洋楽のバンド名や曲名がたくさん出てくるんですが、そこで出てきた曲を聴いてみようとCDを買ったりもしていました。その中では特にスティングが好きでしたね。あと、KTタンストールを聴いたときは、「うわ! いいなあ!」と衝撃を受けました。

楽しいことはいくつあってもいい

──良質なメロディと魅力的な歌声を持っている方々の楽曲を聴かれてきたようですが、それは仲村さんの音楽にも感じる魅力だなと思います。上京されたときには、すでに「音楽で生きて行くぞ」という決意を持っていたんでしょうか?

18歳のとき、音楽の専門学校に行こうと思って上京したんですけど……そのときは、「絶対に音楽で食べていくぞ!」と意気込んでいたわけではなくて、「音楽が好き」「音楽が楽しい」という気持ちの延長線上で進学したという感じでした。あとは沖縄の中でずっと知っている人だけに囲まれて生きていくのもなんだかなあと思ったのもありますね。もしも自分の新しい可能性がその外にあるんだとしたら、それを広げていきたいなと思ったんです。小さいときにどうやって友達を作っていったかとか、覚えてないじゃないですか。そういうのを1回ゼロに戻ってやってみたくなっちゃって、東京に出てきました。

──上京されたあと、生活はいかがでしたか?

仲村宗悟

そうですね……いろんなことを考えるようになったのは、専門学校を卒業したあとだったと思います。2年間の専門学校時代は学生の男子寮に住んでいたので完全な1人暮らしとは言えなかったですし。やっぱり学校に通っているというだけで、とりあえずなんとか安心できるみたいなところがあるじゃないですか。事務所に入るというシステムも知らなかったですし、どうやったらデビューできるのかもよくわからないまま卒業して。寮も出て本当の1人暮らしが始まって、やっと「俺はどうやっていったらいいんだろう」と。たまに小さいライブハウスに出ていたりはしましたけど、そこからは停滞期というか、モヤモヤしていましたね。今回のデビューシングルには僕が作詞作曲をした「ゆらゆら」という曲が入っているんですけど、この曲はそんな当時のことを書いた楽曲なんですよ。

──そういう中でも、ずっと楽曲は書き続けていたんですか?

曲作りは自分の趣味みたいなところもあったので、どこに発表するわけでもない曲を作ったりしていました。当時のことを思い返すと、物事をすごく局所的に見ていたなと思うのですが、そこから抜け出すきっかけになったのが芝居だったんです。音楽仲間の中に役者もやっているやつがいて、そいつの舞台をよく観に行っていたんですけど、だんだんと「もし自分があの役で舞台に立ったらどういうことを考えるんだろう?」と思うようになって。だったら一度、芝居をやってみたいなと思ったんです。僕は、自分にとって楽しいことはいくつあってもいいと思う人なんです。その友達から声の芝居の学校に行っていると聞いて、僕も入ろうと。そこで声の芝居の面白さを知って、どんどん惹かれていって。新しい夢ができて、これでひと旗揚げようと今の事務所に入りました。

今がベストなタイミング

──そして声優として勉強されて、ここまでやってきた中で、音楽活動の面で変化はありましたか?

そうですね……昔はライブもやってはいましたけど、自分の中でうまく表現できない部分や恥ずかしさみたいなものがずっとあって、アーティストとしては課題だらけだったんです。でも、声優としていろんな活動をしていく中で、ステージにたくさん立たせていただいて。こんな角度からも見せられるんだ、みたいな表現の幅をたくさん教えてもらったような気がします。なので、いろんな活動を経た今が、アーティストとしてデビューさせていただくベストなタイミングだったような気がします。

仲村宗悟

──表現の幅が広がった今、デビューできてよかったと。

そもそも26歳で声優になったというのも、一般的に言ったらちょっと遅めなんです。でも、これまでの経験があったから今、僕はここにいるなと思える。今だからこそ表現できるものがあるなと思うんですよ。それにこのアーティスト活動で得たものを、今度はまた声優という軸の部分に還元できるんじゃないかなと思っています。

──音楽から芝居へとフィールドは変わりましたけど、仲村さんを突き動かす表現欲求はずっと変わらず、今に至っているんだなと思いました。

そうだと思います。僕が曲を書くときって、そのときに思ったことやモヤモヤしたことを書き出すことが多くて。今考えると、マイナスの感情やつらいことを曲に書くことで昇華するということが多かったと思います。僕は人間って、プラスの力よりもマイナスの力のほうが大きく見えてしまう生き物だと思っているんです。自分でも、日々いろんなことを感じてマイナスの感情に呑み込まれそうになってしまうこともあったのですが、そういうときに歌に書き出すとスッキリしたんですよね。