中島卓偉インタビュー|歌い続けていく覚悟、ブレない信念……孤高のロックシンガーの思い (2/3)

歌うのは結局、人生論

──16曲をレコードにしたら2枚組になると思いますが、カセットテープなら9曲目の「きみの住む街へ」あたりでB面に移るような展開でした。

確かにアルバムとしての展開は考えました。でももしアナログ前提だったら、曲数をもっと減らして、1枚で収まるような形にするでしょうね。「アナログでアルバムが欲しい」というファンからのリクエストも多いので、需要が高まったら今後やってみたいことの1つです。TRICERATOPSの和田唱さんと2人してアナログレコード店を1日中攻めるくらいには好きなので(笑)。

──卓偉さんの歌詞といえば、その対象がご自身のこと、恋人、母親、そして最近ではお子さんのことも歌っていて、広がりが出てきていると思います。「ラブソングに聞こえるけど実はそうではない」みたいな曲も過去にありました。今回もそういった曲はあるんですか?

実際、ラブソングを歌うことってほとんどなくて、結局、人生論を歌うことがほとんどだから自分が思うことしか描けない。でも「GOOD BYE YESTERDAY」は1人のサラリーマンでもなんでもいいですが、社会人の主人公を想定しています。自分を変えたいと思っていたけど、変えようともしなくなる人物の話ですが、ずっと同じような毎日が繰り返していくだけでも、変わらないことを変えようとしなくても、人生には価値があるんです。リリックビデオを公開したら、「卓偉さんもこの歌詞みたいに思うことがあるんですか?」って聞かれて。僕自身は自分を変えたいと思ったら変えてきた人間だし、この先もそれは続くんです。だから「変わらなくてもいい」という歌詞が意外だったみたいです。

中島卓偉
中島卓偉

──「GOOD BYE YESTERDAY」の歌詞から、TAKUI名義から中島卓偉名義になって最初に発表した2006年のシングル曲「メッセージ」を思い出しました。卓偉さんが描くサラリーマンのような人物像が、「メッセージ」に近いような気がして。

まさに世界観としてはその通りですね。楽しかった過去を思い出しながら、ちょっと切なくなりながら今の自分と向き合うというところで共通点がある。確かに「メッセージ」を作った2005、6年頃にああいう歌詞が出てきたのはデビューして5、6年が経ってデビュー当時から環境が大きく変わり、自分の中で何か腑に落ちない気持ちや不安がああいう歌詞を書かせたんです。「GOOD BYE YESTERDAY」は独立するタイミングで降りてきた歌詞だから、「メッセージ」とつながるんでしょうね。一瞬でも立ち止まったからこそ、新たなスタートだと思えたからこそ書けた歌詞ですね。そこの共通点に気付いていただけてうれしいです。

双子のような「BIG SUNSHINE」と22年前の「UP TO DATE」

──アルバムのタイトル曲「BIG SUNSHINE」については、独立に際して書き下ろした曲ですか?

2000年に出したメジャー1stアルバム「NUCLEAR SONIC PUNK」の1曲目が「UP TO DATE」だったんですけど、実は「BIG SUNSHINE」はそのアルバムの1曲目の候補だったんです。当時のスタッフは「BIG SUNSHINE」一択だったんですけど、僕がどうしても「UP TO DATE」にしたくて、わがままを貫いたんです。その後、「BIG SUNSHINE」の原型となる曲をアルバム1曲目の候補として毎回挙げていたんですが、ことごとく却下されて(笑)。今回のアルバムのオープニング曲を考えたときに、まず「BIG SUNSHINE」というワードが浮かんで、このタイトルでこの歌詞なら1曲目はこの曲しかないと。メジャー1stアルバムの1曲目になる予定だった曲が、22年経って独立一発目のアルバムの1曲目になったわけですね。

──当時のファンからしたらたまらないエピソードですね。

いろんな経験を重ねてはきたけど、やっぱりすべてはタイミングなんだなと。

中島卓偉

──「そう思ったのなら」はディスコファンクと形容したらよいでしょうか。いろんな要素が入ったポップチューンという感じで。

ポール・ウェラー的な捉え方もあれば、もっとデジタル寄りの解釈でもいい。ブラックミュージックではないんですけど、Jamiroquaiとか、イギリスの寒い気候から出てきた感じのディスコのような感じで、大好きな曲です。

──曲調としてはアンジュルムに提供した「大器晩成」にも近いファンキーさがありますよね。

アップフロントにいた30代は本当にいろんな曲を書かせていただいて。そんな中でファンクを書いてほしいという要望が多かったんですよね。自分自身も大好きなジャンルなわけですが、自分で書くということではいろいろ勉強になりました。そんな経験から得たアレンジのエッセンスが生きていると思います。

──レコードからCD、CDから配信と音楽の主たるフォーマットが変化してますが、“サブスク映え”は意識はしますか?

僕自身、いまだにレコードを買って、家で聴いてるような人間なんですよね。だからサブスクで取り扱われてどうなるかという意識は全然ないです。ただハイレゾに関しては積極的だからぜひ聴いてほしいですね。アナログと同じかそれ以上のレンジ感で楽しんでもらえるので。うちの子供は僕がレコードに針を落としている姿を見て、巨大なコンピューターを操作しているように見えるみたいですね(笑)。だってスマホなら指先1つでSpotifyを開いて、好きな音楽を聴けますから。

中島卓偉

──序盤にキャッチーな楽曲が並び、5曲目「BAD REPUTATION」では卓偉節とも言えるようなロックサウンドが炸裂しています。

こういう単純なロックンロールで古くからのファンも喜んでもらいたいなと。その次の「HEY!BABY!」はグラムロックでシャッフルのリズムの曲。お客さんと一緒にグルーヴ感を楽しめるように、グッズでシェーカーを作ったんですよ。普通に振るだけでリズムが跳ねるようにできてるんです。この曲は森重樹一さん、ZIGGYの影響がものすごく強いです。樹一さんは僕にとって重要な無形文化財のような方なので。そのほかには、70年代のバンドのシャッフルを取り入れてます。T-Rex、New York Dollsとか、パンクというジャンルが世に出る前からパンクらしいことをやっていたバンドたちですね。やっぱり自分のファンには自分の音楽的なルーツも味わってほしい。僕のフィルターを通すことでルーツを掘り下げる機会にもなればいいなと思ってます。

──卓偉さんの記憶にある最初の音楽体験は?

親父が家でアナログをしょっちゅうかけていたんですよね。親父はもともと東京の人間で、1960年代の古きよきリズムアンドブルース、ジャズ、ロック、クラシックとかいろいろ聴いてまして。とにかく無音になるのが嫌だったのか、ずーっと家の中では音楽が流れてました。その中にThe Beatlesもあって。親父が19歳くらいの、1966年に来日公演があったから、ファンじゃなくてもみんな持ってたレコードなんでしょうね。それに僕と兄貴が反応して。子供にもわかりやすいメロディと曲の展開に魅了されて、音楽に興味を持って、幼稚園、小学校に行くような年齢のときからクリスマスのたびにレコードを買ってもらってました。当時の同じ世代だと「ドラえもん」とかアニメ主題歌のドーナツ盤が人気あったけど、そういうアニソンを買ってもらった記憶はないんですよね。小学生の頃はもうチェッカーズのフミヤくん(藤井フミヤ)、聖子ちゃん(松田聖子)の時代ですね。僕が小5になったときにZIGGYの「GLORIA」が出て中学に入ると洋楽にハマっていきました。