新生・横浜みなとみらいホールが幕開け、記念公演のキーマン・井上道義&藤木大地インタビュー

神奈川・横浜みなとみらいホールが10月21日にリニューアルオープンする。

1998年の開館以来、横浜市民のみならず幅広い人々に向けて音楽を身近に感じ、親しむ機会を提供してきた横浜みなとみらいホール。先進性と柔軟性を兼ね備えたプログラムと唯一無二のロケーションで、「海の見えるコンサートホール」として愛され続けてきた。

1年10カ月の改修工事を経て生まれ変わったこのホールで、10月29日から11月末にかけてリニューアル記念事業が行われる。音楽ナタリーでは、11月3日文化の日に開催されるコンサートで指揮者を務めるマエストロ・井上道義と横浜みなとみらいホールのプロデューサー2021-2023も務めるカウンターテナー・藤木大地にインタビュー。新生みなとみらいホールの幕を開く、歴史に残る公演に懸ける意気込みを語ってもらった。

取材・文 / ナカニシキュウ撮影 / 藤記美帆(P1)、平舘平(P2)

公演情報

横浜みなとみらいホール リニューアル記念事業
井上道義指揮 NHK交響楽団 藤木大地(カウンターテナー)

2022年11月3日(木・祝)横浜みなとみらい大ホール

「井上道義指揮 NHK交響楽団 藤木大地」ビジュアル
出演者

指揮:井上道義
カウンターテナー:藤木大地
オルガン:近藤岳
NHK交響楽団


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マエストロ・井上道義インタビュー

俺は「来てくださいね」なんて言わない

──今日のインタビューは音楽ナタリーという、主に日本のポピュラー音楽の情報を扱うサイトに掲載されます。なので、オーケストラ音楽やクラシック音楽にあまりなじみのない読者に向けて、何か興味を持てるきっかけになるようなお話をしていただけたらと思っております。

はい。コンサートホールっていうのは、行ったことがないと「切符はどうやって買ったらいいの?」とか「何を観たらいいの?」「何を着ていったらいいの?」とまずは思うんだろうが、そんなことはどうでもいいからまずは1回行ってみたら?というふうに思います。

──すでにある程度の興味がある人の場合は、まず体験してみなさいと。

確かに敷居は多少高いです。でも、ちゃんとした指揮者や演奏家であれば、その敷居を超える鍵を必ず渡そうとしているから安心してほしい。それこそが彼らの仕事だから。音楽って作曲家が書いた楽譜の時点では全然未完成で、演奏されたときに初めて完成する。演奏を聴いてつまらなかった場合は、指揮者や演奏家がちゃんと鍵を渡そうとしていなかったということ。それは聴く側の感性の問題じゃなくて、演奏家が悪いわけで。

──逆に言えば、“ちゃんとした”演奏であれば、つまらなく感じるはずがない?

そう! 例えばベートーヴェンの5番だとか第九だとかを聴きに行ってそこでつまらないと感じたのであれば……周りがすごい拍手をしていたとしても自分がつまらないと感じたなら、その人の演奏はもう聴きに行かなくていい。周りに合わせて「こういうふうに聴かないと」なんて考える必要はまったくないから、また別の人が演奏する同じプログラムを聴いてはどうか? それもまたつまらないと感じてしまう可能性もあるけど、きっと何かが違うから。1回演奏を聴いただけで「クラシックはつまらない、この曲はつまらない」と思うのは早計です。

──では、まったくオーケストラの演奏に触れたことのない人にコンサートの魅力を説明するとしたら?

音楽会へ行くと、内面の旅ができていいと思うんだよ、違うか? 俺が指揮者になろうと思った中学生の頃、世界で初めてエベレスト登頂に成功する人が現れたり、世界初の人工衛星をソビエトが打ち上げたけれど、とっくに北極も南極もみんな征服されちゃってて、人類未踏の場所が地球上のどこにもなくなってしまった。もう俺たちの世界には冒険の余地が残されていないんだと思った。「つまんねー!」と思ったんだけど、“内面の旅”というものはいつまで経ってもなくならないんじゃないか、舞台であればきっと一生飽きないんじゃないかなと思ったんだよ。音楽会も含めて舞台上ではすべてが許される。ここでやっちゃいけないことなんて、何ひとつないんだとも。

井上道義

井上道義

──なるほど。

18歳で桐朋学園に入ったとき、周りは小さい頃からピアノもバイオリンもバリバリプロ並みに弾けていたような子ばかりだった。当時は同級生の尾高忠明くんと「俺たち、強烈に素人だよな」と言っていた。でも「素人なりにその人たちにはできないことが俺たちにはできるはずだ。それを一生やっていこうな」と話したことがあった。その通りになってる。2人とも。一見して自分にはできそうもない世界へ飛び込んでいくことほど面白いことはない。

──つまり「自分にはクラシックは理解できそうもない」と思っている人ほど、未知の世界へ飛び込む面白さを味わえる余地があると。

そう。誰だってクラシックに馴染みがなくたって全然困らないんだよ。本当に行きたくないんだったら、来なければいい。俺は「来てくださいね」なんて言わないよ。「行きたい」と思う人のためにこそ舞台に立ちたい。きっかけはなんでもいいの。「あのピアニストの指先がきれい」「あのバイオリニストの横顔が美しい」とか、演奏家を好きになるところから入っても全然よくて。その人たちの演奏の一部にゾクッとしちゃった瞬間があったとしたら、なぜそこにゾクッとするのかを知るためにまた聴きに行く、というところから始めればいいわけで。別に付き合いだとかで無理にクラシック音楽会に行く必要はないですよ。

──少なくとも、ある程度自発的に演奏を聴きたい気持ちだけは持ってこいと。

その気持ちがないなら来なくていいです。それは記事にしっかり書いといてほしい。SNSで「演奏会やるから来てね!」って言ってるようなものには、行かなくていいという意見です、と。

──「来るな」と言っている人のほうが信頼できる?

それは、わからないよお。

──そういうわけでもない(笑)。

波長が合うか合わないかだから、それは自分で見つけないと。人を好きになるのと同じで、あとから考えると「なんであんなやつに惚れちゃったんだろ? バカだったな」と思うこと、よくあるでしょ? でも、そういうもんだから。そういうことを繰り返していくと、自分と波長の合う作品や演奏家が少しずつわかってくる。それはクラシック音楽に限らず、ポピュラー音楽でもそうです。ポップスでもジャズでもなんでも、うまい人もいればそうじゃない人もいくらでもいるんだから。その違いがわかるようになってきたら面白いんじゃない?

──つまり、ジャンルでひと括りにするのではなく、ちゃんと1個1個に向き合って自分に合うものを選ぶべきだというお話ですね。

そうね。その意味でも、音楽会は生の音、生の声が聴ける“コンサートホール”で聴くのが一番いいと思います。大きなスタジアムでコンサートを開催するのがマネジメントの夢かもしれないけど……それはそれで面白いよ? だけど、例えば(ルチアーノ・)パヴァロッティが「今日は失敗するかもしれない」とビビりながら歌ってる声を生で聴くのと、小さくきれいに歌った声をスピーカー越しに聴くのとでは全然違うから。会場で一緒にビビりまくるほうが“生きてる”と思うよ。

──演奏家のありのままがちゃんと見える、コンサートホールはそういう場所であると。

はい。その人の、その日だけのね。聴くほうも同じ。

過去を知らないと前には行けない

──横浜みなとみらいホールにはどういう印象がありますか?

ここは素直な音がするホールで、「そこに行くことがステータスだ」っていうホールとはまた少し違うと思う。もうちょっと……。

──フラットに音楽を聴ける会場?

うーん……横浜に行くってことと本当に似てるかもしれないな。

──それはどういう意味で?

かつての横浜という街は、以前は俺にとって舶来品を買いに来る場所だった。舶来品は当時、元町か銀座、アメ横くらいにしかなかったんだよ。それが今は、どこでも買うことができる。今ならコンビニにだって売っているものだったかも。今は、世界中どこも同じようになってきて、その土地土地にしかないものなんて、ほとんどないと思います。

井上道義

井上道義

──その場所に何かがあることを期待するのではなく、その場所に自分でどういう意味を見いだすかという時代になっている?

大当たり! 自分がどう関わるかだ。このホールについては「昔は海だったんだ」ということを思うのが大事だと思う。今は誰も港から海外へは行かないじゃない? 小澤征爾は確か横浜からマルセイユへ行ったんじゃないかと思うんだけど、俺は羽田から行ったからね。だから「みなとみらい」とは言うけど、本当は「みなと過去」なんだよ。横浜の港は世界へ通じる玄関口ではなくなった。

──なるほど、「みなと過去」ですか。

ガックリかな。でも過去を知るというのは後ろ向きなことではないでしょう。過去を知らないと前には行けないから。人間は何か材料があって初めて新しいものを作ることができる。神様だけですよ、「光あれ」で何かを生み出せるのは。だからクラシック音楽も古くからの文化ではあるんだけど、それを知ってこそ前に進むことができるわけです。だって“新しいもの”なんて“未踏の場所”と同じでもうどこにもない。“新しく見えるもの”しかないでしょう?

成功するかどうかは、やってみないとわからない

──井上さんは11月3日にこの横浜みなとみらいホールでカウンターテナーの藤木大地さんと共演されます。藤木さんにはどんな印象をお持ちですか?

これまで日本人でカウンターテナーというとイロモノ扱いしかされてこなかったんだけど、彼は日本人アーティストとして初めてカウンターテナーで日本音楽コンクールで優勝したし、ウィーン国立歌劇場で歌った。もともとテノール歌手を志していながら挫折した過去があるから、そのへんの人たちとはちょっと違うところがある。

──そもそもの出会いはどういうものだったんでしょうか。

まだ彼が学生だった頃に、神奈川・神奈川県立音楽堂で「バスティアンとバスティエンヌ」というモーツァルトのオペラを歌ってもらったことがあったんだ。ただ、ちゃんと歌ってたし全然よかったんだけど、特に素晴らしいテノールではなかった。彼はその後テノールとして相当な壁にぶつかって、一度は歌手を諦めるわけ。それで裏方のほうで生きていこうと音楽マネジメントの学校に入ったらしいんだけど、あるとき風邪を引いて遊び半分に裏声で歌っていたときに「意外といけるかも」と思っていろんな人に聴いてもらったんだって。それをきっかけに一からカウンターテナーの勉強を始めたら、なんとそれで成功してしまった。

──すごい話ですね……。

カウンターテナーへ転向した頃に「こっちの道で戦っていけそうか、一度聴いてください」って俺のところに来たんだよ。で、俺も「いけるいける」って本気で感じてお墨付き。そうしたら何年かあとにウィーンまで行っちゃった。

──その努力をずっと見てこられた分、思い入れもあるわけですね。

このコンサートを企画した館長の新井鷗子さんは、そういう努力を積み上げてきた彼の音楽をさらに聴いてもらいたいんじゃないかなと思うんだけど……それが成功するかどうかは、やってみないとわからないです。俺も怖いです(笑)。責任重大なので、ちゃんとやろうと思っています。11月のコンサートでは彼と一緒にマーラーの「リュッケルトの詩による5つの歌曲」をやるんだけど、カウンターテナーでリュッケルトの歌なんて、これまで誰もやってない。世界で初めてだよ、こんなの。

──けっこう挑戦的なプログラムなんですね。

挑戦的なんだよね。だから、うまくいかなかったら“ハラキリ”(笑)。でも、成功を約束されたことばかりをやる人生なんて意味ないでしょ。

──そうですね。観に来る人たちも、何が起こるのかとドキドキしながら来てほしいですよね。

「今日はダメなんじゃないか」とドキドキしながら来てもらうのがいいと思います。

井上道義

井上道義

──井上さんは2024年末での引退を発表されています。引退宣言をしたことで、何か心境の変化などはありましたか?

“繰り返し”をしないで済んでいますね。俺もベートーヴェンの第九を何度もやっちゃうんですが、“あと何回”と決めた第九というのは、“何度もやる第九”とは違うようだ。

──今のほうが演奏を楽しめていたりします?

楽しむ? そんなことはない。昔から常に苦しくても楽しく充実していました。ただ、どうやら今のほうがいい演奏をしているみたいです。周りから言われてるわけではなくて、自分でそう思います。

プロフィール

井上道義(イノウエミチヨシ)

桐朋学園大学にて齋藤秀雄氏に師事。1971年ミラノ・スカラ座主催グィド・カンテルリ指揮者コンクールに優勝したことで国内外の話題を集め、世界的な活動を開始する。1976年の日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会での日本デビュー以降、ニュージーランド国立交響楽団首席客演指揮者、新日本フィルハーモニー交響楽団音楽監督、京都市交響楽団音楽監督/常任指揮者、大阪フィルハーモニー交響楽団首席指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督を務めた。2014年4月に病に倒れるが、同年10月に復帰を遂げる。2024年12月にて指揮活動の引退を公表している。