新生・横浜みなとみらいホールが幕開け、記念公演のキーマン・井上道義&藤木大地インタビュー (2/2)

カウンターテナー・藤木大地インタビュー

“ファミリー”を1人でも多く増やしたい

──横浜みなとみらいホールにはどんな印象がありますか?

ホールの存在感としては、国内有数の国際大都市・横浜のど真ん中にあり、駅からのアクセスもとてもよい、唯一無二のおしゃれな劇場だと思います。

──大ホールと小ホールがありますが、どんな音のする会場でしょう?

大ホールではこれまでに歌った経験が実は「第九」しかなく、音響の面ではまだお答えしづらいです。ただ、今日のフォトセッションの際に大ホールの舞台や客席を巡らせていただいて、最上階からであっても舞台が近い、豪奢にしてアットホームな雰囲気を感じました。バルコニー席が客席を向いていて、ヨーロッパの歌劇場におけるボックス席のようなゴージャスな気分が味わえますね。小ホールに関して言うと「横浜音祭り2019」で村治佳織さんと共演した経験があります。繊細な表現が隅々まで届く空間だと感じました。

藤木大地

藤木大地

──このホールでの思い出深いエピソードがあったら教えてください。

その村治さんとの共演のための最初のリハーサルを小ホールでさせていただいたのですが、それがちょうど台風直撃の日で。リハに遊びに来てくれた福田進一さんと「終わったら一緒に中華でも食べに行こう」と話していたのに行けなかった、というちょっと残念な思い出があります。

──横浜みなとみらいホールでは、2021年9月より国内外で活躍する音楽家をプロデューサーに迎える「プロデューサー in レジデンス」というプロジェクトをスタートさせており、その初代プロデューサーに藤木さんが就任されました。指揮者や作曲家ではなく演奏家を抜擢する、という方針が特徴的な取り組みですね。

2年間プロデューサーをお引き受けするにあたり「自分にできることは何か」と考えたときに、これまでは国内の劇場同士の横のつながりが意外となかったことに気が付きました。そこで、すでに僕が演奏家としてよい関係を築けている劇場が全国にありますので、そういったところと直接連絡を取って横浜みなとみらいホールとの共同制作企画をご提案させていただいています。これなどは、まさに演奏家ならではのプロデュース業と言えるかと思います。

──ホールのリニューアルに際し、プロデューサーとしてアピールしたいポイントは?

横浜みなとみらいホールの“ファミリー”を1人でも多く増やしたいと思っています。音楽家もオーディエンスもスタッフも、このホールを愛して関わってくださる方々はみんなファミリーです。みんなが心地よく集まれる広場のような場所にしていきたい。「横浜みなとみらいホールに行けば最高の演奏家に出会える」「横浜みなとみらいホールのコンサートに行けば幸せな気持ちで家に帰れる」と皆さんに感じていただけるホールでありたいと思っています。

藤木大地

藤木大地

共演する井上道義は“ザ・マエストロ”

──また、藤木さんは歌手としても11月3日にこのホールで井上道義さんと共演されます。井上さんに対してはどんな印象をお持ちでしょうか。

音楽界では指揮者のことを敬意を込めて“マエストロ”と呼ぶ習慣がありますが、僕にとって道義さんは定冠詞の付く“ザ・マエストロ”ですね。かつて歌手としてテノールからカウンターテナーに生まれ変わろうともがいていた時期の僕に、勇気をくれたのが道義さんでした。「マエストロ! 僕の新しい声を聴いてください!」というお願いを聞き入れ、ご自宅のピアノで伴奏してくださり1曲。歌い終えるなりいただいた「エロい!」のひと言は、生涯忘れられない最高の褒め言葉です。その後コンクールで優勝した際には真っ先に「ほかのやつらより先に俺とやろう」とメールをくださり、カウンターテナーとして最初の仕事が決まりました。僕にとっては恩人と呼べる方です。

──そんな井上さんとの共演で楽しみにしていることは?

引退宣言をされているマエストロと一緒に音楽を作ることができる、これに尽きます。現実的に考えて、これが最後の共演になるかもしれませんから。演奏会というものは、それを形作る環境……共演者、オーディエンス、ホールなどさまざまな要素で成り立っていて、仮に同じ曲目を歌ったとしても、二度と同じ演奏にはなりません。僕は普段から“一期一会”を心がけて演奏していますが、その原則に基づいたうえでなお、今回の演奏会は特別です。ずっと温めてきたマーラー「リュッケルトの詩による5つの歌」をNHK交響楽団の皆さんと一緒に演奏できるなんて、感無量としか言いようがありません。20分ほどの曲集ですが、人生において忘れられない20分間になるのではないかと楽しみにしていますし、そうなるよう準備したいと思っています。

──普段オーケストラ音楽に触れる機会が少ないであろう音楽ナタリー読者に、この際だから伝えておきたいことは何かありますか?

クラシックの演奏会は、環境と条件が真の意味でそろったときには一生忘れられない経験として人の心にとどまり続けます。最高のホール、最高の楽曲、最高の指揮者、最高のオーケストラ……それがそろうのが、11月3日の横浜です。今、日本で聴くことのできる最高のクラシック音楽がそこにあります。「配信やYouTubeより生の音楽がいいね」とは使い古された表現ではありますが、それが真実だからこそ使い古すまでに繰り返されてきているのだと思います。僕自身もCDやYouTubeで演奏を聴いていただいている立場ではありますが、それらは生の音楽を聴きに来ていただくための入口に過ぎないと考えています。11月3日は、真に最高の音楽を聴きにぜひ横浜へいらしてください。僕もその“最高”の一端を担えるよう、努力したいと思います。

藤木大地

藤木大地

プロフィール

藤木大地(フジキダイチ)

カウンターテナー歌手。2017年東洋人のカウンターテナーとして初めてウィーン国立歌劇場でデビューを飾る。2013年、ボローニャ歌劇場でヨーロッパデビュー。国内では主要オーケストラとの共演や各地でのリサイタルが絶賛を博している。2020年、東京文化会館の新作歌劇「400歳のカストラート」では企画原案と主演を担当し大成功を収め、2022年に各地で再演された。新国立歌劇場では「夏の夜の夢」オーベロン役、「スーパーエンジェル」アキラ役、「ジュリオ・チェーザレ」トロメーオ役で3年続けて出演、バッハ・コレギウム・ジャパン「リナルド」ではタイトルロールを務めるなど、バロックからコンテンポラリーまで幅広く活躍している。現在は洗足学園音楽大学で客員教授も務め、2021年に神奈川・横浜みなとみらいホールが国内外で活躍する音楽家をプロデューサーに迎える試み「プロデューサー in レジデンス」の初代プロデューサーに就任した。