現実と向き合うことを恐れず、もっと自分のことを知ろう
──歌手としてのスタート地点、表現者としての意識の変化を経て、どの楽曲の時期に第3のターニングポイントを迎えたのでしょうか?
4thアルバム「glow」(2022年)のタイトルトラックですね。実はこのアルバムをリリースした時期に、喉に小さな違和感を覚えていたんです。ツアーを重ねるにつれ、喉の消耗や年齢を重ねて以前と同じ歌い方ができなくなってきたことなど、いろいろと気になることが増えてきて。あるときに自分が歌っている映像をチェックしたら、スタッフさんから「歌っているときに首に青筋が立っていて、だいぶ力が入っているね」と言われたんです。しかも、サビで力を入れて歌っているときや、がなったりしているときならまだしも、最初から最後までその状態で。「この歌い方が喉に負担を与えているんじゃないか」と気付きました。「このまま歌を続けて大丈夫かな?」と思いつつ、だからといってライブを延期したり活動を休止したりできるような状況ではなかったので、不安を抱えつつも1つひとつの公演をこなしてきました。
──そうだったんですね。
例えば公演が2日間あったら、どちらか1日しか来られない方も多いわけで、その日だけ不調だったらお客さんに対して申し訳ない。そんなことを考えたら自然と涙があふれてしまって、その不安が発声にも影響するようになってしまいました。
──声が出にくくなってしまった?
はい。それは喉の病気ではなく、緊張や喉を意識しすぎることから生じる精神的なものだったのですが、ラジオの収録で声がちょっと出しづらいことが続いて。その状態を抱えながら働くのはさすがにまずいと思い、周りの声優さんたちに相談して、ある先生を紹介してもらったんです。そこで歌うときの筋肉の使い方や口の開け方、声の響かせ方などを根本から教えていただいて。それを経て「glow」という楽曲の制作に着手しました。もちろん、急激に改善されたわけではないですし、そのあとのツアーもいろいろと悩みながら向き合い続けたんですけど、「現実と向き合うことを恐れず、もっと自分のことを知ろう」という機会を与えてくれたという意味では、「glow」はすごく大きな変化の時期だったのかなと思います。
──ここまでお話を聞いていると、最初の5年がいかに自分の気持ちをポジティブな方向に持っていき、多くのお客さんの前に楽しんで立てるかが軸になっていたのに対し、その後の5年は活動を長く続けるためにどんな技術が必要なのか、どんなことを考えないといけないのか、という考えにシフトしていることに気付きます。
確かにそうですね。デビューしてしばらくは「がむしゃら感こそが水瀬いのりだ」と思っていた方も多かったでしょうし、実際にそういう印象を与えるパフォーマンスをしていたので、「それがすべてじゃないよ」ということに自分で気付くまでに時間がかかったんでしょうね。その変化は20代の人間として成長していく流れにもリンクしていますし、単純に子供から大人になったということなのかもしれません(笑)。
まだまだ幸せを求めてもいいんですね?
──そんな大人になった水瀬さんが、アーティストデビューから10年のこの時期に2ndハーフアルバム「Turquoise」をリリースします。昨年発表の1stハーフアルバム「heart bookmark」にはそれまで紡いできた歴史を“心のしおり”でブックマークするというテーマが設けられていましたが、今回はどのようなテーマを持って制作に臨みましたか?
ベストアルバムも含めて、飾らずに私を表せるタイトルを探した結果、この「Travel Record」と「Turquoise」という言葉にたどり着いたんです。「heart bookmark」もそうですけど、過去の作品は「Innocent flower」や「BLUE COMPASS」など2つの単語を組み合わせたタイトルが多くて。そんな中で、「glow」という1つの単語で完結する潔さが今の自分の温度感にも合っている気がしました。この先を見越したときに、シンプルに私を表す言葉で新作をリリースしていくのがカッコいいんじゃないかと思って、新曲が詰まったハーフアルバムのほうは「Turquoise」、そして旧譜の楽曲がたくさん入っているベストアルバムは今まで通りのスタイルで「Travel Record」というタイトルにしました。
──その「Turquoise」ですが、収録曲がどれもバラエティに富んでますね。
本当に作家さんたちが大暴れしてくれたなと。ありがたい限りです。
──生命力や躍動感に満ちあふれていますよね。参加している作家の皆さんは、これまでも水瀬さんの楽曲に数多く携わってきた、いわば“アーティスト水瀬いのり”の根幹を作ってきた方々ばかりです。
今回は指名でそれぞれの作家さんにお願いして、私からは10周年のタイミングでリリースする作品の楽曲であることと、なぜ「Turquoise」というタイトルにしたのか、それだけをお伝えしました。作家さんたちが楽曲を書いてくださったことで私はこの10年を過ごしてこられたわけですし、皆さんにお任せして具体的なオーダーはしませんでした。タイトルトラックの「Turquoise」に関しては栁舘周平さんから「何かヒントをください」と言われたので、私が持っているイメージをお伝えしましたけど……あとは「NEXT DECADE」を作詞してくださった岩里祐穂さんは、普段から「いのりさんはこの曲を聴いて、どう思いました?」というお話をしてから歌詞を書いてくださるので、今回もそういうヒアリングがありました。
──歌詞に関しては次の10年を見据えた内容のものが多いですね。
私が作詞に参加した「夢のつづき」は次の10年というイメージはなくて、明日へ……くらいの感覚だったんですけど、作家さんによっては「NEXT DECADE」みたいに明確に次の10年を見据えた内容にしてくださって。藤永龍太郎さんに書いていただいた「海踏みのスピカ」には「十年だって何十年だって」というフレーズが出てきたり。私が自分の将来について声を大にして表明することができない性格なのに対し、作家さんたちはすでに次の10年に向けて出発しているんだなと感じましたし、私も「そこにたどり着きたいです!」と言えるような状況を用意してもらった気がしています。アルバムタイトルの「Turquoise」は旅の安全を守る力があるという石の名前なのですが、この新曲たちを携えつつ、「Travel Record」という過去の旅の記録とともに私の旅がまだ続いていく。そのことが作家さんたちによって確約された気がして、「今だってこんなに幸せなのに、まだまだ幸せを求めてもいいんですね?」という気持ちになりました。
──作家の方たちは「夢のつぼみ」の頃も「こういうアーティストになってほしい」というイメージとともに楽曲を提供していたのではと思いますが、今回は「次はもっとこんなことも歌ってほしい」「こんなことにも挑戦してほしい」という、より高いハードルが課せられた印象です。
作家の方々も私たちとともにこの10年間、同じように時を重ねているわけで、きっと皆さんにもいろんなターニングポイントがあったと思うんです。一緒に強くなってきた戦友のような、目には見えない絆がある気がしますし、作家の皆さんから「水瀬いのりはまだまだ余白まみれです」と言ってもらえているような喜びもあります。
──タイトルトラックの「Turquoise」は次の10年に向かううえでの新たなテーマソングのようにも聞こえますし、「NEXT DECADE」のようにかなり攻めている、新境地とも言える楽曲も用意されている。従来の魅力はもちろん、新たな水瀬いのり像を構築する要素も随所に感じられます。
「NEXT DECADE」は今まで歌ったことがないタイプの曲調ですし、本当にすごい曲ですよね。2Aの「解像度上げようとして 逸らしちゃったな ごめん」というフレーズの後ろでギターがテロテロテロって鳴っているんですけど、ミックスする前は一定の音量だったのに、作編曲の白戸佑輔さんが「よりスリリングにしたいから、どんどん尻上がりに大きくしてください」とミキサーさんに何度も伝えて、結果今の形になったんです。白戸さん、トラックダウンのときは仕上がりに大満足なようでした。
──白戸さんは面白い方ですよね。
本当に。初めてお会いした頃はグミをたくさん食べる人だなという印象だったんですけど(笑)、この10年間にいろんなコミュニケーションを重ねたことで「白戸さんってこんなに面白い人なんだ」とわかりました。それと同時に白戸さんも私に対する理解度を深めてくださったことで楽曲のアプローチの幅が広がっていって、次の10年に向けた新たな挑戦も用意してもらえた。この関係性は何物にも変え難いなと改めて実感しました。
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「未来へ」ではなく「明日へ」