水瀬いのり アーティスト活動10周年インタビュー|“明日”を楽しみに“旅”はこれからも続く

2015年12月2日、自身の20歳の誕生日にアーティストとしての活動をスタートさせ、今年12月に10周年を迎える水瀬いのり。彼女の初めてのベストアルバム「Travel Record」と2ndハーフアルバム「Turquoise」が9月3日に同時リリースされた。

「Travel Record」は、“アーティスト水瀬いのり”の「旅の記録」を描いた作品。10年間の旅の中で出会ってきた音楽(=Record)と、ファンやスタッフとともに作り上げてきた思い出を記録(=Record)するという思いが込められている。デビューシングル「夢のつぼみ」から最新シングル / アルバムまでの表題曲、リード曲を中心に全23曲がリマスタリングを施して収録されている。

一方の「Turquoise」は12月の誕生石・ターコイズをテーマに、「旅の安全を守る石を携え、未来に向け歩き出す」という思いのもとで制作された作品。10年間の音楽活動において特に関わりの深いクリエイター7名が水瀬のアーティスト活動10周年を祝して書き下ろした新曲7曲が収められている。

このメモリアルな2つの作品に、水瀬はどのような思いを込めたのだろうか。彼女が「自分と丁寧に向き合ってきた10年」と語るこれまでの道のりを振り返りつつ、その中でのターニングポイントや、デビュー曲「夢のつぼみ」をオマージュした新曲「夢のつづき」に焦点を当ててインタビューを行った。約1万字のテキストから水瀬の胸中をたっぷりと感じ取ってほしい。

取材・文 / 西廣智一撮影 / 藤木裕之

重圧を抱えていた10年前

──ベストアルバム「Travel Record」をじっくり聴かせていただきましたが、10年の積み重ねがダイレクトに伝わってくる内容でした。

ありがとうございます。毎回CDシングルに3曲は収録してきましたし、アルバムを含めるとこの10年でかなりの数の楽曲を作ってきました。ベストアルバムではシングルの表題曲やアルバムのリード曲など王道の曲に焦点を当てたこともあり、入門編として聴いていただけるような内容になったかなと思います。

水瀬いのり

──水瀬さん自身も、このベスト盤を聴くといろんな記憶がフラッシュバックするのではないでしょうか。

そうですね。10年前にアーティスト活動が始まり、レコーディングやミュージックビデオ撮影、リリースイベント、CDショップへの挨拶などを経験しながら生活が激変して。たくさんの人が自分を支えてくれているのを目の当たりにして、それに見合っただけのクオリティで自分はステージに立てているのかという不安が常に付きまとっていました。「水瀬いのり」という名前がどんどん大きくなりすぎて、自分のようで自分じゃない感覚がどんどん強くなっていって……このベストアルバムを聴くと、デビュー当時の記憶が鮮明によみがえってきて、1曲目の「夢のつぼみ」から泣きそうになります。この曲でデビューすることが決まったときに、作曲してくださった渡部チェルさんが「きっと5年後、10年後に泣くことになると思うよ」と言ってくれて、そんな未来が本当にあるのかなと思いながらここまでがんばってきましたが、10周年というこのタイミングにデビュー曲を改めて聴いてみたら本当にそういう感情になりました。人と曲に恵まれ、その環境についていくことに必死な10年だったと思います。

──1stアルバム「Innocent flower」(2017年)のあとに1stワンマンライブ、2ndアルバム「BLUE COMPASS」(2018年)のあとに初の全国ツアー、3rdアルバム「Catch the Rainbow!」(2019年)のあとには初の日本武道館公演があり、アーティストとして着実にステップアップしていった印象です。アーティスト活動に対してのモチベーションも、作品のリリースを重ねるごとにどんどん強くなっていったのではないでしょうか。

誤解を恐れずに言うと、私は人の目が増えることがうれしいと感じられるまでに時間がかかってしまったんです。歌うことは好きでしたが、「たくさんの人に聴いてほしい」という願望は持っていなかった。歌うことは楽しいけど、「大きなステージに立ちたい」などの夢を描いていなくて。家族が喜んでくれることはうれしかったし、たくさんの方のもとに私の歌が届くこと自体は素晴らしいなと思っていました。でも、そのたくさんの人を満足させられる歌を歌えているか、お客さん全員が「来てよかった」と思えるライブをできるかどうか……当時の私はそういう重圧を抱えきれないままステージに立っていました。

──そうだったんですね。

ファンの皆さんに葛藤が伝わっていたかはわからないですし、もちろんそれを見せるつもりもなかったけど、無理をしてでも「私ががんばればみんながハッピー!」と思うようにしていたら、今度はみんなに嘘をついているような気がするという新たな悩みに変わっていったんです。どうにか自分を鼓舞して「いいライブにするんだ!」と言い聞かせることが、あの頃はルーティンになっていて、「自分のやりたいことができているはずなのに、なぜ奮い立たせないといけないのか」という疑問が常にありました。

イレギュラーの連続こそが水瀬いのりのアーティスト性

──今お話しいただいた初期のことも含め、10年を通して水瀬さんの中で心境の変化が起きたり、活動の転換期を迎えたりしてきたと思うのですが、そのことが表れている楽曲をベストアルバムの収録曲から挙げるとしたら、どれになりますか?

最初のターニングポイントは、始まりの曲である「夢のつぼみ」ですね。あれから10年経ってこの曲に対して思うのは「私、こんなに難しい曲でデビューしたんだ。すごいな」ということ。自分で選んだ楽曲なんですけどね(笑)。歌詞やビジュアル、MVには「はじめまして、水瀬いのりです」という新人アーティストとしての物語が投影されていたと思うんですけど、周りにお膳立てしていただいたものという印象が強くて。それもあってか、この曲を聴くと当時の自分を抱き締めたくなるんです。当時の私は歌詞のイメージのように「未来の私、待っててね」なんて言えるほどの余裕もなく、「声が枯れたっていい! つぼみ芽吹け!」と思うほど魂を燃やして歌っていたので(笑)、ある意味泥臭くてがむしゃらだったのが私のスタート。今の自分の居場所とはまったく違うところからアーティスト活動が始まった印象です。

水瀬いのり

──10年前から素晴らしい曲だと思っていましたが、ベストアルバムの1曲目として聴くと不思議と込み上げてくるものがありますね。そんなエモい楽曲に進化していることに気付きました。

ああ、わかります。チェルさんが作ってくださったこのイントロから私の物語が始まりましたし、この曲からもらったものがたくさんあります。ただ、当時はそのギフトになかなか気付けずにいて、それよりも「どうしてもこの音が取れない」「生で歌うのが難しい」と悔しい思いをすることのほうが多かったです。でも、今思うと「夢のつぼみ」でデビューできたことで、この10年のストーリーが強固なものになったのは間違いないです。

──最初から楽曲の難易度が高かったからこそ、水瀬さんがどうすべきか、何をがんばればいいのか、そういう導きも得られたんでしょうね。

そうかもしれません。最初から「なんでもできる!」と思い込んでいたら、もしかしたら10年も活動が続かなかったかもしれませんし、秀でたものを自分の中に見つけられなかったからこそいろんなことを試して、いろんなものにぶつかって、気付けば10年経っていた。今となってはイレギュラーの連続こそが水瀬いのりのアーティスト性なのかなと思っています。

「作詞って楽しいかも!」と気付けたタイミング

──そういった変遷の中で、第2のターニングポイントとなった曲は?

やっぱり「Catch the Rainbow!」になるのかな。

──3rdアルバム「Catch the Rainbow!」のタイトルトラックであり、初めて水瀬さんが作詞に挑戦した曲ですね。

はい。アルバムを発売したあと、ツアーファイナルとして初めての武道館公演を2DAYSやって。音楽をやっている方たちからしたら、武道館は神聖な場所じゃないですか。そんな会場を2日間も満員にするって……考えるだけでお腹がキリキリしていました(笑)。自分が作詞した曲をタイトルに掲げてツアーを回らせていただくことについても、「うまくやれるのだろうか」と恐怖や不安を感じていました。ただ、2ndアルバムの「BLUE COMPASS」くらいまでは、自分にできないことがあると「ダメだな……」と落ち込んで、あきらめて終わりだったんですよ。でも「Catch the Rainbow!」あたりから「なんでダメだったんだろう?」と、もう1つ上のステップに進むために必要なことを考え始めるようになって。そういうあきらめきれない気持ちが、「もっとうまくなりたい、もっといい歌が歌いたい」という向上心につながっていきました。それまでは正直、自分を向上心のあるタイプだとは思っていなかったんですけど(笑)、現状に満足していないことに気付けたのが「Catch the Rainbow!」の頃でした。

水瀬いのり

──僕が水瀬さんに初めてインタビューしたのが「Catch the Rainbow!」のリリースタイミングだったんですが、そのときの取材で特に印象に残っている言葉があって。水瀬さんはそれ以前から作詞に挑戦することをスタッフさんから勧められていたけど、自分が書いたものに対する周りからの反応が怖かったからなかなか踏み切れなかった、とおっしゃっていました。

自ら進んで目立つことが苦手だったんです(笑)。もちろん、そうすることで得られるものはたくさんあるのはわかっていましたが、それよりも失ったり傷付いたりすることのほうが多い気がして、得られるものに対してなかなか向き合えなかったというか。運動会のかけっこでも一番は目立つからわざと遅く走ったりしていましたし(笑)。作家さんからいただいた素敵な曲を、私が水瀬いのりという名を背負って歌詞を書くことで台無しにしてしまうかもしれない、そしてそれをずっと歌い続けなきゃいけない……そういう負の感情が作品に閉じ込められる気がしていたので、胸を張って「書けます!」とは言えなかったんです。

──そんな中、アーティストとしての向上心が増したタイミングで、再び作詞を打診されたことで前向きに受け入れることができたわけですね。

はい。「Catch the Rainbow!」では曲のテーマを決め込むというよりは、そのときに自分が思っていることをつづろうとしたんですけど、1番と2番で言葉数が合わなくなったり、プロの作家さんのように物語の伏線やつながりをうまく考えられなかったりして。ワンコーラス分の歌詞を引き延ばしたり、角度を変えて書いてみたりといろいろ苦労を経て歌詞を完成させたのですが、それに対して周りの人たちが「いいじゃん!」と言ってくれました。きっと、ダメ出しをしたらそこでやめちゃいそうなオーラが出ていたから、そう言うしかなかったんでしょうね(笑)。最初は一度書き上げた歌詞をブラッシュアップする元気もなかったんですけど、しばらくしたら「やっぱりここは書き換えたい」という思いがだんだんと生まれてきて、そこで初めて「作詞ってその時々に感じる思いをアップデートして、楽曲にしていくことなんだ」と気付けました。「言葉が降ってきたかも?」という感覚を初めて得られたのもこのときで、以降は「作詞って楽しいかも!」とポジティブに捉えられるようになりました。