坂本真綾インタビュー|忘れてしまった記憶はどこへいくのか、“記憶の図書館”から持ち出された12篇の物語

坂本真綾が5月31日にニューアルバム「記憶の図書館」をリリースした。

「記憶の図書館」は、坂本が子育ての中でふと感じた“人間の記憶”への興味が起点となり制作された1枚だ。「菫」「言葉にできない」「まだ遠くにいる」「un_mute」といった既発曲のほかに、坂本自身がアルバムタイトルである“記憶の図書館”をテーマに書き下ろしたコンセプトストーリーを作家陣に共有し、制作された全12曲を収録。楽曲提供者として、荒内佑(cero)、岩里祐穂、川口大輔、岸田繁(くるり)、北川勝利(ROUND TABLE)、古閑翔平(ユアネス)、坂本慎太郎、竹内アンナ、堂島孝平、冨田恵一、tricot、比喩根(chilldspot)といったジャンルや世代を越えたクリエイターたちが参加している。

音楽ナタリーでは坂本にインタビューを行い、「記憶の図書館」のコンセプトから、各クリエイターとの制作エピソード、アルバムに込めたこだわりを聞いた。

取材・文 / 下原研二撮影 / 曽我美芽

子育てを通して感じた記憶の謎

──坂本さんは本作を制作するにあたり、アルバムタイトルでもある“記憶の図書館”を舞台に、廃棄された記憶を回収する少年が出来心から持ち主に記憶の箱を返しに行くというコンセプトストーリーを書き下ろしました(参照:坂本真綾「記憶の図書館」Special Site)。“記憶”というキーワードをテーマに据えたのには何か理由があるのでしょうか?

最近気になることの1つに“人間の記憶”があって。生まれて間もない人間を毎日お世話する中で「自分が赤ちゃんの頃のことって何ひとつ覚えてないな」と、当たり前だけど思ったんですね。でも、「生まれてから数年の間に人格のほとんどが決まる」と言われているくらい大事な時期らしい、という話も聞くじゃないですか。記憶にないだけで、いろんな人に出会ったり、いろんな景色を見たりしたことが自分の細胞の一部になっているのかもしれない、と子育てをしていて思ったんです。記憶のすべてを抱えて生きていくことはできないけど、忘れてしまった記憶は完全に消滅するわけでなく、自分の一部として残り続けているのだとしたら……と想像を膨らませた結果、アルバムのテーマになりました。

坂本真綾

──前回のインタビューの時点では、創作をするうえでの出産・子育ての影響はタイミング的にまだ出ていない、もし出るとすれば今後の作品だとお話されていましたが(参照:坂本真綾「まだ遠くにいる / un_mute」特集)、今作はアルバムの大きなテーマとして子育てからインスピレーションを受けている?

そうですね。ただ、私は別に子育てをテーマに歌いたかったわけではないんですよ。アルバムの制作に取りかからなきゃいけないという時期に正直、子育て以外のことをしていなくて。日々の忙殺の中にしかインスピレーションを受けるものがない状態で、どうしてもそこに起因するテーマにはなっちゃいましたね。40代になって「自分も人生の半分を生きてきたのか」と考えたときに、「私はほとんどのことを忘れながら生きてきたな」と気付いたんです。これから先の折り返しの道のりの中で、きっと許容量が決まっているであろう記憶の保管庫から何かを捨てたり、新しいものをインプットしたり、インプットしたつもりが抜け落ちたりする。「私は死ぬときにどのくらいの、何を覚えているのだろう?」ということまで含めて、生まれてから死ぬまでの道のりを、子育てからインスピレーションをもらっていたと思います。

──子供のお世話をする中で、自然と何かしらの受け取るものがあったと。

たぶん、子育てからインスピレーションをもらうクリエイターは多いと思います。子育ては自分の人生の振り返りでもあるというか、自分の記憶を呼び覚ますきっかけにもなる。それに、命の不思議みたいなものに直面するわけだから、感性を刺激してくるものはたくさんありますよね。

──なるほど。

でも、そのことも数年経ったら覚えていないわけだから不思議ですよね。私も両親にお世話してもらっていた赤ちゃんの頃の記憶が何もない中で、立場が逆になってみて初めて気付くこともありました。結果的にはそれが1つのきっかけとなって、今回のアルバムを作るための原動力になったのだからよかった。

──ちなみに今回のコンセプトストーリーを小説にしようとは思わなかったんですか? 読んでいて惹き込まれたし、物語の続きが気になっちゃって。

自分の中で物語の構想はあったんですけど、全部は言わずに、詩くらいの文量にしておいて受け手に委ねるのがちょうどいいんじゃないかと思ったんです。アルバムに参加していただいたアーティストの皆さんとはこのコンセプトストーリーを読んでいただいてから打ち合わせをしたんですけど、皆さんいろいろと思い描いてくださるものがあったみたいで。そういう意味では、皆さんの想像力を刺激するいい題材になったのかなと思います。

坂本真綾

cero荒内佑の提供曲「ないものねだり」に重ねた少年の姿

──「記憶の図書館」のクレジットを見てみると、岩里祐穂さんや北川勝利(ROUND TABLE)さんのようなおなじみの面々もいれば、比喩根(chilldspot)さんや竹内アンナさんのような若い世代のミュージシャンの初参加もあります。今回の作家陣はどのように人選を進めたのでしょう?

アルバムの制作に取りかかる際は毎回、ディレクターと「どういう方に参加してほしいか」「最近どんな音楽に注目しているのか」を話し合うんですね。「記憶の図書館」で言うと、chilldspotなんかはディレクターが最近注目しているバンドとして提案してくれたんです。私も以前から大好きだったceroを提案したりして、お願いして受けてくれるかは別として、まずはご一緒したい方々を好きなだけ挙げてみて、「今回の作品にはどなたがしっくりくるだろう?」と検討して、実際にお声がけするという流れでした。

──cero荒内さんの参加は個人的に驚きでした。どういった経緯でお願いすることになったんですか?

もともとceroの音楽は大好きで聴いていたけど、どの曲をメンバーのどなたが作っているかまでは把握していなかったんです。それで改めて楽曲を聴き直してみて、やっぱりどの曲も素敵なんだけど、「記憶の図書館」には荒内さんのソロアルバム(※arauchi yu名義で2021年にリリースされた「Śisei」)の雰囲気が合うんじゃないかと思って。アルバムのメインになる曲というより、これまでの景色を変えてくれるような、今までにない新しいものものを引き出してもらえそうな予感がしたんです。でも、上がってきたデモを聴いたときに、シンプルにすごく好きだったし、私が書いた物語の中の少年の姿に重なるものがあった。これは絶対にリード曲にしたいとディレクターに提案しました。

坂本真綾

──デモを聴いた時点でアルバムのリード曲になるだろうと感じたんですね。僕は「記憶の図書館」のCM動画でこの曲を聴いたときに、なんだかすごいアルバムになるんじゃないかという予感があったんです。でも同時にいわゆる“アルバムのリード曲”っぽくはないよなとも思って。

確かにそうかもしれない(笑)。でも「ないものねだり」をリード曲にしたいと提案したときに、普段あまり意見が一致しないディレクターもすんなり同意してくれて(笑)。なんだろう……この曲が持つムードなのかな、熱すぎず冷たすぎず、知的なんだけど難解ではない。すべてがスッキリと存在しているというか、その堂々たる存在感が独特で惹かれたんだと思います。あと荒内さんから曲が届いたときに、ご自身の楽曲として作るときと、別にボーカリストがいてその人のために作っているときとスイッチが違うのかなと思うくらい、私に寄り添って作ってもらえた感覚があって。それは本当にうれしかったですね。

──この曲に歌詞を書いていく作業はいかがでした?

荒内さんの中で「このメロディに対しては、このくらいの言葉数を入れてほしい」というイメージがあったので、それを受けての作詞だったんですね。曲が好きだったからかスルスルと歌詞が出てきました。

──「ないものねだり」の歌詞はタイトルの通り、ないものねだりな“僕”を軸にした内容でどこか影が感じられます。

こういった感情はいつか歌詞のテーマにしたいと思っていたんだけど、曲との相性もあるから書く場がなかったんですよね。歌詞だけ読むと少し陰湿に感じるかもしれないけど、今回は曲自体がサラッとしているのでうまく中和してもらえる気がしたので(笑)、この曲なら書いても大丈夫かなって。