Laura day romanceはなぜ今、長編アルバムを作るのか? 2部作の前編「合歓る - walls」を語る (2/3)

カテゴライズから生まれる物語

──Laura day romanceはこれまで、1stアルバム「farewell your town」で架空の街を通して多様性について描いたり、2ndアルバム「roman candles|憧憬蝋燭」で死生観と向き合ったりと、アルバムごとに明確な主題を設けてきましたよね。それで言うと今作は、人と人のすれ違いやディスコミュニケーションのようなものがアルバム全体を通して描かれているように感じました。副題として冠された「walls」も、人と人の境界を表していると解釈できるのかなと。鈴木さんの中では、アルバムを作るうえでどのようなテーマがあったのでしょうか?

鈴木 今おっしゃっていただいたことそのままだと思いますけど、もう少し詳しく言うと、属性やカテゴライズがテーマの1つですね。僕は、1つのカテゴリーに入れられる息苦しさもあれば、カテゴリーに入れられることで生まれる連帯感もあると思っていて。例えば同性にしかわからない悩みもあるし、同性と異性だからこそできることもある。そういう、カテゴライズされることで生まれる物語をアルバム全体で描きたかったんです。今までは、死生観がテーマのアルバムだったら死生観についての曲をいくつも作っていたけど、今回はアルバム1枚を通して同じ人間の葛藤を描いています。より長編感を出すためにもそうしたほうがいいのかなって。

鈴木迅(G)

鈴木迅(G)

──ということは、アルバム全体を通して主人公は1人?

鈴木 正確には2人ですね。それぞれの視点のズレが生む物語を描いているつもりです。片方が時間をさかのぼっているときにもう片方は現代にいる、みたいな見せ方をしているところもあったりします。

──確かに、すべての曲で“主人公と、主人公から見た誰か”という2人の人物がフォーカスされていますよね。そのあたりはアートワークも含めてかなりコンセプチュアルだなと思いました。

鈴木 あー、ちゃんと伝わっていてよかったです。アルバムのテーマについては、どれくらい説明するべきか毎回悩んでいて。今回も聴いてくれた人にちゃんと伝わるか心配だったんですけど、今の言葉を聞いて安心しました。

礒本 自分なんかは、こういうインタビューで「ああ、あれってそういう意味だったのか」と初めて知ることもありますからね(笑)。

礒本雄太(Dr)

礒本雄太(Dr)

──作品のテーマやコンセプトは事前に共有されないんですか?

礒本 僕は共有されないです。サウンドとかフレーズについての話はするけど、物語そのものについては特に。作品全体を俯瞰しすぎると演奏に没入できなくなるので、そのほうがいいのかなと。

──井上さんも同様ですか?

井上 私はけっこう共有してもらいますし、なんなら今回のアルバムの構想は、私が迅くんに何気なくした話が大元にあったらしくて。私には中学の頃から親友の女の子がいるんですけど、その子とどういうふうに仲よくなったかを話したことがあったんですよ。その子とは本当に仲がよくて、今考えると「あれはほぼ恋だったな」と思うぐらい。当時は普通に友達だと思っていたけど、ずっと一緒にいたし、とにかくすごく惹かれるものがあった……そういう話を迅くんに何気なくしたんです。

鈴木 自分はもともと、同性への恋愛感情については対岸の話だと思っていたんですよ。同性愛をテーマにした作品はたくさんあるし、自分が好きなミュージシャンで同性愛者の方もたくさんいるけど、自分はその当事者ではないと思っていた。でも今の話を聞いて、知らないうちに1つの属性に当てはめられて、知らないうちに自分で自分を強制しているだけのこともあるよなと気付いたというか。柔軟な思考を持ったうえで思い返すと「あれって恋愛感情だったよな」と気付くことは誰にでもあり得ると思ったんです。そういうところから生まれる感覚のズレがこのアルバムの起点になっていて……。

井上 感覚のズレ?

鈴木 例えば自分の恋愛感情が、相手にはまったく理解できないものだったりすることもあるわけじゃない? そういうふうに、同性であることが壁になることもあれば、分かち合えるものになることもあるなと。アルバムの曲を作り始めるときに、そういうことをすごく考えたんだよね。

井上 なるほどね。偉そうな言い方になっちゃうけど、私は迅くんの考え方が年々刷新されていっているなと感じていて。自分は小さい頃からずっとフェミニズム的な思考が根っこにあって、性別とか人から眼差されるもので属性が決まってしまうことに、すごくイライラしていたんですよ。そういう視点が曲に入ってきたことで、より没入して歌えるようになりました。もちろん歌詞の1行1行を「これどういう意味?」と聞いているわけではないけど、私が常日頃考えたり、友達と話したりしていることとリンクしてきている感じがする。それが個人的にはすごくうれしいです。

──自分以外の人が書いた曲を歌ううえで、歌詞が普段考えていることと近いほうが歌いやすいですか?

井上 そのほうが歌いやすくはありますね。全然共感できない歌詞を「歌ってください」と渡されても、それはそれでできるとは思うけど。でもLaura day romanceのボーカルが私である以上、自分のパーソナルな部分もちゃんと出したいので、そういう点では自分の考えと近いほうがいいのかなと思います。

井上花月(Vo)

井上花月(Vo)

“つかめる”と“つかめない”の間にある表現

──今回のアルバムを聴いていて特に感じたのですが、鈴木さんの書く歌詞は具体と抽象を行ったり来たりする感じがすごく独特ですよね。いわゆるコピーライトやアフォリズム的な歌詞とはまったく違うし、やたら具体的な描写が差し込まれたりもするけれど、ストーリーテリングと呼ぶにはあまりに全体像が読めなさすぎる。1曲目「5-10-15 I swallowed | 夢みる手前」に「分かるようで分からないそんなストーリー」というフレーズがありますが、まさしくそういう歌詞だなと思います。

鈴木 僕は自分が作った作品が無限に膨らんでいってほしいと思っていて。自分が聴き手として好きな歌詞も、あとからどういう意味か気付くものが多いですし。最初は何も言っていないように感じられても、ふとした瞬間に「あの歌詞って、こういう感情について歌っていたのか」と気付くことがある。自分の歌詞もそうありたいんです。だから、いつか聴き手がしっくりくるタイミングが来るように、ある種の手がかりとして具体的なワードを入れています。“つかめる”と“つかめない”の間にあるものこそが、タイムレスな表現になるんじゃないかなって。

──その観点で言うと、「この人の歌詞がすごい」と思うのは誰ですか?

鈴木 くるりの岸田(繁)さんの歌詞はすごいなと思います。言葉にできないものを何かに託す技術が絶妙で。例えば「ばらの花」に「雨降りの朝で今日も会えないや 何となく でも少しほっとして」という歌詞があるけど、初めて聴いたときは、なんで会えないのにほっとするのかよくわからなかったんですよ。でも、歳を重ねるにつれてその感覚がわかってくる。“会わないことによって失望を免れる”みたいな経験って、歳をとって余計なことを考えるようになればなるほど増えてくると思うんです。そういう、言葉にするのが難しい感覚を、何も言っていないような微妙なフレーズで表現するのがすごくうまくて勝手に憧れてます。

──井上さんと礒本さんは、鈴木さんの歌詞にどのような印象を抱いていますか?

井上 私は、迅くんは最終的に映画のような作品を作りたいんじゃないかなと思っていて。群像劇の一場面一場面を俯瞰で切り取っているような印象があるんですよね。その俯瞰から、「人間ってこんなもんだよね」という諦念がにじみ出ている感じ。ものすごく暗いわけではないけど、変に希望を歌うわけでもない。その温度が今の時代に合っていると思うし、私的にもすごく歌いやすいです。

礒本 プラスとマイナスの相容れない2つの感情を表現するのがうまいよね。それはずっと思ってる。曖昧な状態のままで置いておいてもいいと思えるというか。だから自分は「これどういう意味?」とか聞いて、意味をはっきりさせようとも思わないし。

鈴木 僕は歌詞に関して、1行でも聴き手とリンクする部分があればいいと思っているんです。全部がわからなくても、1行でも引っかかる部分があればそれでいい。その1行がヒントになって、だんだん全体像が見えてくるはずなので。さっき言っていただいた“具体的な描写”にその取っかかりを感じる人もいるかもしれないし、逆にすごく抽象的なフレーズに共感する人もいるかもしれない。そのバランスを大事にしていきたいんです。