楠木ともり、4曲入りの新作「遣らずの雨」で発揮した豊かな歌唱表現と作家としての才能 (2/3)

「眺めの空」に続く物語は書きやすかった

──緩急に富んだ2曲に続く「もうひとくち」も、かなり印象的な楽曲です。これはメジャーデビュー作品「ハミダシモノ」(2020年8月発売)に収録された「眺めの空」の続きをイメージして書いたそうですが。

「眺めの空」は私の楽曲には珍しく、登場人物が2人出てくるのですが、「眺めの空」では男の子の視点で振り回されるストーリーになっていたので、その逆の視点のお話を書いたらいろいろ広がるかなと思いました。「眺めの空」ではあえて相手の描写をしていないんです。もともと余裕があるように振り回していた女の子だけれど、実は内心いじらしくドキドキしながら、いろんなことを考えていたら素敵だなと。その様子を文字に起こしていくと、歌詞の中の登場人物たちが脳内でいろいろ動いてくれたので、すごく書きやすかったです。

──この曲は本作で唯一、楠木さんは作詞のみに徹しており、作曲とアレンジをササノマリイさんが担当しています。ササノさんとは以前、「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」でご一緒していましたよね。

実はこの曲、もともと作曲までする予定でいたんです。そのときに、なんとなく理想的なサウンドや、どういう曲にしたいかというイメージは頭の中にあって。雨が窓ガラスに当たって跳ねているようなイメージから、ちょっとリズムが跳ねているグルーヴィなサウンドを想像しつつ、おしゃれなカフェを舞台として想定していたので、コードもジャジーな感じにしたいと考えていました。私がボカロ曲を好きでよく聴いていた頃、ねこぼーろ名義でボカロPをされていたときから、ササノさんのファンで。初めてお会いしたのは「プロセカ」の「カナデトモスソラ」のレコーディングでしたが、音楽の好みがなんとなく似ているような気がしたのと、そのときにキャラクターへの愛みたいなものを強く感じました。物語性を大切にしていて、人の気持ちを曲や歌詞に乗せることを繊細にやってくださる素敵な方だなという印象があったので、歌詞に出てくる2人に寄り添った曲にしていただけるんじゃないかと思い、お願いしました。

──結果として、今回の作品の中でもフックの強い曲に仕上がりましたね。

作曲をお願いするのはひさびさでしたが、自分が持っていない引き出しが増えたり、逆に自分が考えかけていたメロディと似た部分もあったりして勉強になりましたし、“楠木ともり”らしさもありつつ、いつもとはまた違った雰囲気も出ていて、新鮮な体験でした。

──サウンドにおけるいい意味でのよそ行き感が、歌詞の2人の緊張している感じとリンクしているようにも受け取れますし。

そうですね。この曲は、私の存在が主張しすぎていない感じもまたよかったなと思っています。自分の曲ですが私自身のことを書いた曲ではないし、登場人物2人のストーリーに私以外の方に携わっていただけたのは曲の聞こえ方としてもよかったと思います。

楠木ともり
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8行に込めたライブの景色

──そして、最後が「alive」。歌詞はたった8行とシンプルですが、ローファイな中にもいろんな音がちりばめられたサウンドから温かみが伝わってきます。

雨がテーマの作品のラスト曲ということで、雨上がりをテーマに書きたくて、ちょっと光が差し込んでいて温かみが感じられる優しい曲にしたいなと考えました。この「alive」に関してもトラックコンペをしまして、19曲いただいた中から選んだものです。もともと歌詞もほかの曲みたいにAメロ、Bメロ、サビみたいな構成にしようと思っていたのですが、いろいろ練っていくうちにこのシンプルな形に落ち着きました。

──そうだったんですね。

歌詞の内容に関しては、昨年12月に行ったデビュー後初の有観客ワンマンライブ(「Kusunoki Tomori Birthday Live 2021『Reunion of Sparks』」)で見た景色を描いています。比喩ばかりで直接的には書いていないけれど、「一面に咲く綺麗な花」はライブ会場に来てくださっているお客さんで、「表情を変える陽の光」がステージの照明、「箱庭」がライブ会場と、ライブを想起させるようなフレーズをちりばめています。というのも、この曲はまずトラックをいただいて、そこから歌詞とメロディを作っていく流れだったのですが、たくさんいただいたトラックの中で今回選んだものだけは歌が入っていなくても完成しているような印象がありました。歌がメインという雰囲気があまりなかったところが、すごくライブっぽいなと思ったんです。

楠木ともり

──というと?

今までバンド編成でライブをしてきて、「こういうインストパートがあったら面白いな」「ライブでしか聴けないサウンドがあったら面白いな」と思うことがあって、このトラックはまさにそれに当てはまると思い、であれば言葉もあまりいらないんじゃないかとスタッフさんにも相談をしたら、満場一致で「そのほうがいい」と方向性が決まりました。

──無駄を削ぎ落としたシンプルな構成だからこそ伝わるものってあると思うんですけど、この曲ってまさにそういうものなのかなと。

そうですね。今までで一番短い、たった8行の歌詞なので、何を書くかすごく難しかったです。いざテーマが決まっても、じゃあその中で何をピックアップして書けばいいのか、具体的なほうがいいのか、抽象的なほうがいいのか。言葉が少なくなる分、ひと言にかかる重みもほかの曲より大きくなりますし。結果的に一番無駄なく、シンプルに伝わりやすい形で言葉が紡げたんじゃないかなと思います。

──その曲に「alive」というタイトルをつけるのがいいですよね。この作品において「遣らずの雨」からここに到達するという意味でも、楽曲自体のテーマであるライブというところでもリンクしますし。

まさしく、その2つをかけたタイトルです。ですので、「遣らずの雨」という1つの作品としてのまとまりは強く出せたと思います。1曲1曲の個性はかなりクセが強いけれど、ストーリー性やバランスといった部分で一貫性のある作品にできたんじゃないかなと思っています。

楠木ともり

──そういった個性の異なる楽曲を歌う楠木さんの声の表情も、曲ごとに変化が付けられているように感じました。そこは意識的なんでしょうか?

自分の声もサウンドの1つなので、どういう曲にしようと考えている段階から「どう歌おうか?」という設計図がある程度あって。例えば、「遣らずの雨」は透明感のあるパートは透き通るような雰囲気で歌い、サビでは「悲痛で、届けたいけど届かない」みたいな部分を力強く出したい。「山荷葉」は「sketchbook」のように静かで繊細な雰囲気があるけれど、より伸びやかで、広がりのある歌い方をしたいな、だとか。「もうひとくち」は張りすぎないけれど芯が欲しい、でも女の子視点だからかわいらしさもプラスしたいので、落ちサビではキュートさも出している。「alive」では繊細だけど湿度がある声にしたいな、など事前に歌い方のプランを1曲1曲考えながら作っています。

──曲の主人公に沿って演じながら歌うというよりも、楽器の一部に徹しているような?

基本的にはその方向性だと思います。歌詞の中に何かメッセージ性が欲しいときに、表現する手段として演じることはもちろんあるのですが、自分が声優経験を生かしているのは、どちらかというと作詞をしているときです。自分が登場人物を頭の中で演じることで、その人たちを動かして歌詞を書いていくのですが、歌うときは楽器というイメージのほうが強いかもしれないですね。

──そう考えると、楠木さんって総監督とかプロデューサーの気質が強いのかもしれませんね。

そうかもしれません。最初に完成図を自分の中に思い描いて、そこへ導くための設計図ももれなく全部考えているので、そこでそれぞれこだわりたい部分に向かっていく感じです。ですので、自分が目立ちたいとかいうよりはいい曲を作りたいという気持ちが強いので、極端な話、自分のイメージ通りの曲を作るためだったら歌い方がヘタであっても構わないし、その曲に合っていればなんでもいいのかなと思っています。

楠木ともり
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Zeppツアーは没入感のあるライブに

──今作の初回限定盤AとBは、昨年12月のライブ「Reunion of Sparks」の模様を収めたBlu-rayあるいはDVD付き。東京と大阪で行われたひさしぶりの有観客ワンマンライブのうち、初日の東京公演の模様がまるまる収録されています。

無観客ライブのときはお客さんがいないことに恐怖を覚えていたのですが、そこに少し慣れてくると今度はひさびさの有観客がちょっと怖くなってしまって。特に東京のときは「客席に人がいるって、どういう空気だったっけ? どうやって歌を届ければいいんだっけ?」とお客さんにも伝わるぐらいピリッと張り詰めていて、結果として緊張感を持ちながらライブできたかなと思いますが、次の大阪公演ではすっかり以前の感覚を思い出して、心の底から楽しむことができました。

──僕も2公演とも会場で拝見しましたが、確かに大阪は空気が全然違いました。

もしかしたら大阪という土地柄もあるのかな? 同じセットリストでも完全に別ものに感じました。1曲目の「アカトキ」も、東京ではスッとステージに出ていったんですが、大阪では手拍子を求めながら登場したり。その差がかなりはっきり出ていたかなと思います。

──有観客公演の感覚を取り戻し、この7月からは全国4都市のZepp会場を回るライブツアーも控えています。

前回の「Reunion of Sparks」はひさびさの有観客であると同時に、私のバースデーライブということもあって、どちらかというと皆さんに思いっきり楽しんでいただけるようなアッパーな曲をメインに構成しましたが、今回はもう少しコンセプチュアルといいますか、楽しんでいただく以上に没入感のあるライブにしたいなと考えています。

楠木ともり

──ツアー終盤の8月19日には、メジャーデビュー2周年を迎えます。この2年で、音楽活動へのモチベーションに対する変化を感じることはありますか?

メジャーデビューが決まった当時は世の中がこうなることをまったく想像していなかった頃で、今考えるとすごくふわっとしていました。メジャーとインディーズの違いをそんなに意識していなかったところもありましたし、何をしたいのかも具体的になかった気がします。ですが、思うように活動できない期間があったからこそ、「じゃあこういうことをしよう」「こういうことをいつかしたい」と夢や目標を明確に持つことができた。もちろん残念な気持ちもありつつも、この2年間でアーティスト活動をしていくことを見つめ直せたのはすごくよかったと思います。曲作りに関しても無観客を想定した曲作りなのか、有観客を想定するかで私は書く曲が変わることにも気付けました。今回の「alive」は特にそうですが、ライブでやるんだったらこういう曲をやりたい、ライブでやったらこの曲の印象が変わりそうだとか、そういう考え方を曲ごとに制作時に考えられるようになったのも、このコロナ禍を経たからこそだと思うので、全体的にも大きな変化があったと思います。