KREVA流生成AI活用術
──生成AIは、「口から 今、心。」以外の曲でも使われましたか?
「IWAOU」の歌詞は、生成AIに「ジャンルはヒップホップで、これこれこういう感じで、オールドスクールラップ」とか入れたら「I Break Free and Celebrate!」というワードが出てきて、「“自由になって自分を祝う”ってすげえ!」と盛り上がって、そのフレーズをサビのテーマにして書きました。「New Phase」のフレーズは、プロンプトを書きまくって、俺自身がサンプリングしたいと思うソースをガチャで出して、それを切って貼ってフレーズを作りましたね。あと、11月にリリースされたANARCHYのアルバム「LAST」に収録されている「September 2nd[Produced by KREVA]」でも使いました。ホント、「何、この面白いガチャは!?」という感じ。スロットみたいな偶発性で、しかもボタンの押し具合で結果がかなり変わるし、なんならボタンの個数も自分で選べる、みたいな。本当にこちらのプロンプト次第。トラックを完成形に持っていくうえでエッセンスをもうひと味加える役割や、手癖を回避させるような役割も果たしてくれたし、自分らしく使える方向で使えて、最高に面白かったですね。
──現時点で、今後、生成AIとアーティストの関係性や距離感は、どのような道筋をたどっていくと思われますか?
双方の距離が詰まっていくというよりも離れていくかもしれない。使い方のうまいヤツだけが抜きん出ていくというか。株みたいなもので、誰でも買えるけど、買う人しか買わないし、損をすると自然と離れていくんだろうし。
──つまり、使う人と一切使わない人で二極化するんじゃないか、と?
なんとなくそんな気がします。AIのほうも使いやすいものだけが残っていくんだろうし。いま、スマホに写真を溜めておくと、傾向の似ている写真を勝手にまとめて勝手に曲を付けてくるような機能があるじゃないですか。そういう曲はもう秒で作れるようになるだろうし、YouTube動画で流すBGMなんかも秒で作れるでしょうね。だから、やっぱり使い方が左右する。現代美術のアーティストがデジタルコラージュとかするみたいに。俺もそういう感覚で、そのままは使わず、あくまで素材としてもう1回サンプラーに入れたうえで使ってます。
──アルバム収録曲のうち「ラッセーラ」は、2023年にご自身の出生地である青森の自治体からの「ダンスへの取り組みを盛り上げたい」という依頼を受けて制作され、「TradeMark」はストリートダンスイベント「Shibuya Street Dance Week 2023」のテーマソングに使用されました。オファーやタイアップなど、いわゆる“お題”との向き合い方についてもこの20年で変わってきましたか?
いい質問。さすがプロのインタビュアーですね。
──今、もしかして生成AI風に褒めました?
いや、マジで褒めてます。「ラッセーラ」とか、10年前や15年前の俺だったら「やんねえよ」と言ってたんじゃないかと思うんですよ。なぜなら、うまくできる気がしないから。でも、今なら経験値で勝算が見出だせる。あとは機材の進歩も大きいですね。「ラッセーラ」に入っているねぶたの笛にコード進行を付ける作業なんて、昔の俺だったら絶対にできなかったと思う。2022年、King & Princeからのオファーに「ichiban」という曲で打ち返せたのも大きかったし、2023年にZORNからのオファーで客演したOZROSAURUSの「Players' Player feat. KREVA」もヒップホップ界隈でとんでもない波紋の広がり方をしたし。無論、すべてのオファーに応えられるわけじゃないけど、かなり鍛えてもらえるし、非常にありがたいです。
母はずっと信じてくれていた
──取材冒頭でもちらっと触れていらっしゃいましたが、昨年12月20日のInstagramのポストで、アルバム制作中にお母様ががんでご逝去されたことを公表されました。ご自身にとって、お母様はどんな存在だったのか、改めてお聞かせいただけますか?
俺のことを“ずっと信じてくれていた人”でしたね。アーティストKREVAとしても、息子としても。小さい頃から、いつも「あなたは間違ってない」って。幼稚園で何か揉め事があって、俺が濡れ衣を着せられそうになったときも「うちの子がそんなことするはずない」と必死に抗ってくれた。受験生のとき、七夕の日に「短冊を書きなさい」と言うので、「じゃあ慶應大学環境情報学部、合格できますように」と書いたら、「絶対合格するんだから、『合格ありがとうございます』って書きなさい」と突っ返されて(笑)。そんな感じで、ずっと信じてくれていい方向に導いてくれた。そういう人がいてくれたのは俺にとって大きかったです。だから、いなくなっちゃって、すごく寂しいなって……。
──「次会う時」のリリックは、お母様への思いが起点だと思いますが、いつ頃に書かれたんですか?
アルバムの制作で言うと最後のほうでしたね。亡くなる数カ月前、もう緩和ケア病棟に移る頃でした。「もうがんばらなくていいよ」「次会うときまで生きていてくれれば、それでいいから」と思って。俺は新しい会社の名前も「KOUJOUSHIN(=向上心)」だし、今までは前へ前へ、上へ上へ、俺はやるからお前も行けよ?と歌ってきたんだけど、中にはもう本当にこれ以上がんばらなくてもいいんだと言ってあげるべき人だっているんだと、車で病院と自宅とスタジオを行き来しながら気付かされました。だから、「母がこういうふうにつらい思いをしている」と歌にするよりも、母に向けて「もうがんばらなくていいよ」「でも、俺はやるね」と伝える、混沌とした日々を乗り越えるような歌にしたほうがいいと思った。
──なんというか、本当に昨年はKREVAさんにとって、さまざまな意味で忘れられない1年になったようですね。
ホントそう。ソロデビュー20周年イヤー、舞台、書籍「KRECIPE」の刊行、J-WAVEのラジオ番組のスタートと、項目だけで拾っていけば明るいトピックも盛りだくさんだったんですけどね。俺、これまでタトゥーをまったく入れずにきたけど、もし入れるんだったら“2024年”と入れてもいいんじゃない?と思うくらいの年でした。誰にも話していないけど、独立のこと、母のこと以外にも、嫌なことが重ねて起こったりもして。言えることだと、急に倒れて白目むいちゃったうちの犬を抱えながら、「なんでこんな悪いことばっか起こるんだよー!?」って半泣きで動物病院までダッシュしたりとか。そのときは「神はいねえのかよ!?」って思ったもん。自分の気持ちとの戦いは、正直、けっこうつらかったですね。
「とにかく今の俺は現在進行形。そしてとにかくラップを練習したい」
──3月にはアルバムのツアーが始まります。全国の都市をかなり細かく回りますね。
全国を細かく、小規模な会場も回るようなツアーをずっとやりたかったんですよ。そりゃデカいとこでやれば人も集まるし、収益も出るけど、そこもBACK TO BASICSというか。今は行けるとこに行ってライブをしたい。ヒップホップの強みってDJと俺だけで成立するところもあると思うんです。KREVAバンドは、今となっては素晴らしいメンバーが絶滅危惧種みたいに濃いグルーヴを奏でてくれるいいバンドになったけど、あえて今回は1人で勝負する。そうしたいという思いも、今の自分の勢いなんだと思います。実現できてうれしいし、めちゃめちゃ楽しみですよ。
──改めて、ソロデビューから20周年を迎えた今の心境は?
今年の6月18日で21年目がスタートするので、6月17日までが20周年イヤーということになるんですが、バンド抜きでライブするのはひさびさのチャレンジだから、まずはそれをしっかりやることで頭がいっぱいですね。今までもあまり振り返りとかしてこなかったし、今回のアルバムにも20年分の歴史を入れようとかもまったく考えなかった。振り返ったほうがいい場面もあるんだろうけど、性格的にはそういうのを嫌っている節もありますね。ちなみにアルバムタイトル「Project K」の“Project”という単語には“前進する”という意味も含まれているんです。とにかく今の俺は現在進行形。今まで通り、しっかり前に進んでいく自分を皆さんに見せていきたいですね。そして、とにかくラップを練習したい。
──20年で、ヒップホップを取り巻く環境もかなり変わりました。
個人的には今ヒップホップのアーティストはキツい局面に立たされていると思っています。かつて自分がヒップホップだと思っていた音楽とは違うものが今のヒップホップになりつつあるから。例えばAppleって、昔の姿をどんどん切り捨てていますよね。ヒップホップはすべてを切り捨てられたりはしないけど、能動的に新しい流れについていかないと、どんどん乗り遅れてしまう。自分たちが培ってきたレガシーさえ、うまくスキルに転換させられないと、単なる“古さ”につながってしまい、もはやいらない努力になっちゃう危険だってある。時代のムードってあるじゃないですか。例えばファッションなんてわかりやすい。最近はダボッとしたオーバーサイズの服が流行っているけど、じゃあ90年代に着ていたぶかぶかのデニムをそのまま履けば今のスタイルになるのかと言えば、やっぱり違う。単に“古い”としか見えないわけで。
──そうですね。
90年代のヒップホップも、今聴いたら古い。そりゃケンドリック・ラマーのアルバムのほうが全然新しいし、音もいい。だけど、そんな90年代のヒップホップも、レコードを擦って聴かせたら、「すげえ!」と感じてもらうことだってできる。自分なりのスタイルを、時代に合った形で、なおかつ、ただ時代に迎合するのではない形でどうトラックに乗せていけるのか。そこが問われるんじゃないでしょうか。要はバランスですね。ご飯の硬さもバランスが大事だから。
公演情報
20th Anniversary KREVA LIVE 2025「Project K Tour」
- 2025年3月12日(水)千葉県 KASHIWA PALOOZA
- 2025年3月14日(金)鳥取県 米子AZTiC laughs
- 2025年3月16日(日)広島県 広島CLUB QUATTRO
- 2025年3月22日(土)鹿児島県 CAPARVO HALL
- 2025年3月23日(日)熊本県 熊本B.9 V1
- 2025年3月29日(土)和歌山県 SHELTER
- 2025年3月30日(日)奈良県 EVANS CASTLE HALL
- 2025年4月5日(土)石川県 REDSUN
- 2025年4月12日(土)東京都 江戸川区総合文化センター 大ホール
- 2025年4月13日(日)東京都 江戸川区総合文化センター 大ホール
- 2025年4月18日(金)愛知県 Niterra日本特殊陶業市民会館ビレッジホール
- 2025年4月24日(木)北海道 札幌PENNY LANE24
- 2025年5月9日(金)岡山県 倉敷市芸文館
- 2025年5月11日(日)愛媛県 WStudioRED
- 2025年5月17日(土)静岡県 SOUND SHOWER ark
- 2025年5月18日(日)岐阜県 岐阜club-G
- 2025年5月23日(金)東京都 LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)
- 2025年5月25日(日)大阪府 NHK大阪ホール
- 2025年6月7日(土)青森県 リンクモア平安閣市民ホール
- 2025年6月15日(日)宮城県 SENDAI GIGS
- 2025年6月17日(火)福岡県 福岡市民ホール 中ホール
プロフィール
KREVA(クレバ)
1976年生まれ、東京都江戸川区育ち。BY PHAR THE DOPEST、KICK THE CAN CREWでの活動を経て2004年にシングル「音色」でソロデビューを果たす。2006年2月リリースの2ndアルバム「愛・自分博」はヒップホップソロアーティストとしては初のオリコンアルバム週間ランキング初登場1位を記録し、2008年にはアジア人のヒップホップアーティストとして初めて「MTV Unplugged」に出演した。2012年9月08日に主催フェス「908 FESTIVAL」を初開催。“9月08日”は“クレバの日”と日本記念日協会に正式認定されている。さまざまなアーティストへの楽曲提供やプロデュース、映画出演など幅広い分野で活躍しており、2011年には初の著書「KREAM ルールなき世界のルールブック」を刊行。2023年6月から7月にかけてライブツアー「KREVA CONCERT TOUR 2023『NO REASON』」を開催し、「クレバの日」である“9月08日”に配信シングル「Expert」をリリースした。9月14日には東京・日本武道館で主催の“音楽の祭り”「908 FESTIVAL 2023」、翌15日には「NO REASON」ツアーのファイナルを開催。2024年にソロデビュー20周年を迎えた。4月に事務所を独立後、小林賢太郎氏を脚本・演出に迎え、“授業型エンタテインメント”「KREVA CLASS -新しいラップの教室-」を全12公演開催。6月にソロ20周年イヤー突入と同時にビルボードライブツアーを東京、大阪で開催。2025年2月には10thアルバム「Project K」を発表し、3月12日よりライブツアー「KREVA LIVE 2025『Project K Tour』」を全国19都市21公演で開催する。作詞、作曲、トラックメイク、ラップ、さらにはプロデュースをすべて自身で行うなど各方面で才能を発揮している。
KREVA_Dr.K_dj908 (@KREVA_DrK_dj908) | X
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