清春|DISTORTIONとのコラボで表現する“化粧とロックンロール”

清春のニューアルバム「JAPANESE MENU / DISTORTION 10」がリリースされた。

清春は通算10枚目のオリジナルアルバムとなる本作を制作するにあたり、やまなみ工房とPR-yによるプロジェクト・DISTORTIONとコラボレート。やまなみ工房は知的障害や精神疾患を抱える人がアート活動を継続できるようサポートする福祉作業所、PR-yはファッションや写真、映像、イベントを通して知的障害者とのコラボを展開するクリエイティブユニットで、今回DISTORTIONはアルバムのジャケットアートワークや衣装デザインを手がけた。音楽ナタリーでは清春にこのコラボが実現した経緯やアルバムに込めたテーマなどを聞いた。

取材・文 / 真貝聡

「地蔵とリビドー」を観て一気に心を撃ち抜かれた

──まずは「JAPANESE MENU / DISTORTION 10」の楽曲以外の話から伺います。今作ではジャケットアートワークや衣装デザインにおいて、やまなみ工房とPR-yによるプロジェクト・DISTORTIONとコラボレーションしていますが、どういう経緯でタッグを組むことになったんですか?

NUDE:MMというブランドのデザイナー(丸山昌彦)がいて。そのサブブランドでやまなみ工房のアーティストとタッグを組んでるんです。やまなみ工房の施設に通っている人たちが描いた絵をプリントし、洋服として展開してる。5、6年前かな? 何かのタイミングで、そこの洋服をスタイリストがリースしてきた。基本的にその服のバックボーンを説明されることはないらしくて、僕も詳しい事情を知らずに着ていたんですけど、ある日マネージャーに連絡が来て。

──それは、やまなみ工房の方から?

そうそう。マネージャーに直で「やまなみ工房のギャラリーでライブをやってほしい」というオファーが来て、「やまなみ工房って何?」と思って調べてみたら施設の人たちを追った「地蔵とリビドー」というドキュメンタリー映画を見つけて。YouTubeにあった2分くらいの予告を観て、一気に心を撃ち抜かれました。あとから本編も観させてもらって、自分が着ていた衣装をやまなみ工房の人が手がけていたことを知って、点と点がつながった。で、年末大阪から名古屋に移動する間に1日オフがあったので、滋賀に行ってやまなみ工房に寄ってみようと思って。そこでPR-yの主宰者で、映画を作った笠谷圭見さん、施設長の山下完和さん、やまなみ工房の皆さんと初めてお会いしたんです。

──それがファーストコンタクトだったと。

うん。その日は施設の方たち1人ひとりとしゃべったり、絵を描いている姿を間近で見たりして。そうしているうちに「何かコラボレーションをしたい」という話になって今回に至ったんです。笠谷さんはやまなみ工房の写真集も作っていて、そういうプロジェクトを進めるチームの名前がDISTORTIONなんです。数字にも意味があって、DISTORTIONは写真集、DISTORTION 2は書籍、DISTORTION 3は先ほど話した彼らのファッションブランド。

──数字ごとにプロジェクトが分かれているんですね。

そう。で、コラボする今回の作品が僕の10枚目のソロアルバムということで、「DISTORTION 10はどうですか?」と提案されて、このタイトルになりました。

これはダークサイドムービーだ

──「地蔵とリビドー」に関しては僕も縁があって、2018年に試写会に行ったんですよ。

あ、そうなんですか! すごくなかった?

──最初は怖かったです。

うん、僕も最初は怖かった。

──墨汁と割り箸1本のみで絵を描いている岡元俊雄さんという方がいたり、「ようがんばったな!」と言いながら粘土で地蔵を作る山際正己さんという方がいたり。作品もそうですけど、作っている姿も異様な光景で。

言い方が難しいんだけど、常人よりも異常な細かさ、集中力、根気があって、物の捉え方も僕らと違う。ある種、超能力的なところを感じたんですよね。映画を観て、笠谷さんには「これはダークサイドムービーだね」と伝えました。僕もそうだったように、普通はああいう世界に対して見て見ぬ振りをする。例えば街にダウン症の人がいても見ていいのか、声をかけていいのかわからない。でも知らないフリをするのもどうなんだろうって。「24時間テレビ」とかチャリティの場合は明るく見せて、視聴者と障害者の距離を近く感じさせようとする。だけど「地蔵とリビドー」はダークだったので、すごく意味があるものだなと。本当にリアルなドキュメントで、「普通そこを映さないでしょ」という場面もたくさんある。笠谷さんの「日本でまだ陽を浴びていないアートを世界に紹介するのが僕の役割だ」とという言葉にとても共感したんです。DISTORTIONにはアルバムのジャケットだけでなく、ツアーのパンフレットも手がけてもらってる。

──アルバムの1曲目「SURVIVE OF VISION」のミュージックビデオにもイラストが挿し込まれてますね。ロケ地となったメキシコのグアナファトの情景とすごく融合しているなと思いました。

ちゃんと融合する絵を選んだのもあるんですけど、確かにあの絵はグアナファトの景色と似てる部分があった。たぶん彼らはあの街に行ったこともないし、写真や映像で見たこともない。人がつながってるというより、世界観がつながってるという気がしますね。

──メキシコでの映像は、去年ニューヨークでライブをしたあとに撮影したんですよね?

そう。誰かが「グアナファトはどう?」と言い出して、SNSに上がってる写真を見たら「これは行ってみたい」って行くことにしたんです。映像監督もニューヨークに同行していたので「どうせだったら、そこでMVを撮れたらいいよね」と軽い感じで、打ち合わせもせずに撮影しました。音源も持って行ってなかったです(笑)。サビの何十秒かだけの音源を日本から送ってもらって、リップシンクなしで撮って。

僕らのジャンルは過小評価されている

──1月に300人のファンを招いて開催した「JAPANESE MENU / DISTORTION 10」のリスニングイベントでは、収録曲「アウトサイダー」の一節にアルバムのテーマが集約されていると話していましたね。

順を追って説明すると、去年「Covers」というカバーアルバムを出したんだけど、僕は楽曲をカバーするうえで時代性を感じるサウンドにしたくなかった。変に古くも新しくもない、シンプルにドラムとギターとベースという構成で、ギターソロではバッキングもなくして。そういう音像は、今回のアルバムでも残したかったんですよね。前作も今作もロックンロールがテーマになってるんだけど、違うのは「Covers」は悲しげなロックンロール、「JAPANESE MENU / DISTORTION 10」は「アウトサイダー」の中で歌っている通り“化粧とロックンロール”ってのを表現したかった。日本で化粧をしてるミュージシャンって、ロックンロールとは遠いところに配置されがち。今、日本のロックンロールというと、もうちょっとフェス寄りでしょ? “化粧とロックンロール”には化粧をしてるとロックとして見なされない、そこに自分もいる気がするのね。

──だから部外者を意味する「アウトサイダー」を曲名にしたと。

僕らのジャンルって過小評価されてると思うんですよ。「ROCK IN JAPAN」みたいなあっち側のよくわからないジャンルの中にはすごいやつもいるけど、くだらないやつもたくさんいて。本当だったらどのジャンルでもすごいやつだけを取り上げればいいのに。なんなら歌謡曲や演歌でもいいし、ジャズやクラシックでもいいと思うんだよね。すごい人はいっぱいいるはずで、ジャンルとしてはロックじゃなくても出演させればいい。だけど客層が違うとかいう理由で呼ばない。日本っていまだに雑誌で音楽を区分けしてる石器時代のような遅れがあるじゃない。20~30年遅れてるんですよ。「天才的だし努力もしてるし、オリジナリティもあるのに」ってやつが実は何人もいて、それはまったく正当に評価されていないことに長年違和感を感じてるよね。まともに音楽を聴いてくれたらいいのにって。だけど音楽業界を動かしている人が、まともに聴かないような仕組みを作る。そういうのはジレンマ。それでもやり続けるしかないからやってるんですけど。

──「すごいものは知られるべき」という考えは、やまなみ工房に対する思いとも重なりますよね。

うん。表現をする人なら、彼らの活動は勉強になるよ。普通に生きてたら知らない世界だけど、微力ながら僕を通しても知る機会を作ることができたら。それが大事なのかなって。