清春|カバーで浮き彫りになった音楽家としての矜持

一番遠いところにある曲「SAKURA」

──20代以降に発表された曲は、清春さんがバリバリにバンドをやっている頃ですね。REBECCAやDREAMS COME TRUE、桑田佳祐などはリアルタイムで聴いてたってことですか?

REBECCAの「MOON」は聴いてたかもしれないですね。もちろん桑田佳祐さんも当時から「いいなあ」と思ってました。それとORIGINAL LOVEの「接吻」は、僕と同じ東芝(EMI)所属だったので、うっすら売り出してるの覚えてる気がするんです。

──けっこう流行った曲ですが、清春さんの中の印象はその程度なんですね。

もちろんみんな歌ってた曲なので当時から知ってはいたんですけど、当時はあまりよくわかってなかったんですよ。曲のよさが。「なんか別世界のおしゃれな曲だな」っていう感じ。

──ではなぜその曲をカバーすることになったんでしょうか。

スタッフとの協議の結果で「どうですか?」と提案されて。もちろん、いい曲だっていうのは全然わかるんです。でも歌ってみて、AメロもBメロもまったく知らなかった。いきものがかりの「SAKURA」もそうですね。サビのところしか知らなかったです。

──いきものがかりのカバーにはちょっとびっくりしました。「こういう曲、好きなんだ」って。

ファンの人には申し訳ないですけど、僕の中ではあまり縁がないイメージですね(笑)。でもこの曲は当時ね、「こういうのが出てきたのか。いい曲だなあ」と思ったの覚えてます。覚えていたのは、サビだけなんですけど。

──提案された曲であっても、「この曲は歌うに値する」判断されたのは清春さん自身なんですよね?

はい。候補に挙がってきた段階で改めて聴いてみて、やっぱり「いい曲だな」と思ったんですよ。僕の中では一番遠いところにある曲だと思ったけど。

──一番遠いからこそ、やりがいがある?

うーん……たぶん僕の歌い方になると、また違う感じになるだろうなってボンヤリと思ったんですよね。それと歌ってみて、曲がすごくうまくできてると思いました。

──技巧的であるってことですか。

かなりトリッキーですよね。歌謡曲というかJ-POPというか、ポップスとしておいしい仕掛けがたくさんある。「ああ、これはヒットするわ」と思いました。

グッときすぎちゃうのはダメ

──清春さんは、そういう“ポップスの法則”をわかっていながら、あえて自分の音楽では避けてたところがあるんでしょうか?

もちろんコード進行とかは全然わかるし、「こうつなげていけばグッと来る」とか、感覚的にはわかるんですけど、それを勉強しながらやってこなかったんですよね。例えば「カノン進行」と呼ばれるものとか、知ってはいるけど「ああ、いいんじゃないですか」って思うくらい。特に勉強はしていないし、それを自分の曲に使っていこうとも思っていなくて。

──そういう法則めいたものを取り入れるのには抵抗があった?

うーん。やっぱり職人っぽさにあんまり魅力を感じないんですよね。J-POP職人みたいなものになりたいっていう欲求はないです。ヒットの法則というのはなんとなくわかるんですけど、1曲の中にその仕掛けを3つくらい仕込んで……というのは僕の役割ではないかな、と思います。それよりも、自分の中にある“音楽の基準”のようなもののほうが大事。そこにポップスの代表的な仕掛けがなかったとしても、イントロがあってAメロBメロがあってサビがあって、うまくメロディが戻ってきてイントロに着地するっていう、そのパターンが自分の中にあるんです。それがうまくできていることのほうが大事で。あと、アレンジャーに渡して仕掛けを作ってもらう場合もあるんですけど、それを聴いて「これはちょっとわざとらしすぎる」って外したりもする。グッときすぎちゃう、というか。

──グッとくるものも避けますか。

うん。「ハッとするのはいいんだけど、グッとくるのは嫌だな」とか。なんか、別に……当てはめられたものをうまくクリアしていくことではなくて。それがたまたま自然に突っ込んじゃってるのはいいんですけど、あんまり「清春さん、うまくこれ使ってるねえ」みたいな評価はされたくないんですね。

──すごくわかる気がします。とすると、歌いこなすにあたって一番大変だった曲も「SAKURA」ですか?

うん。「SAKURA」が一番時間かかりました。J-POPのトリッキーさがあるコードとメロの関係性とか、展開のコード進行とか、「うわっ、俺だったらこう行かないのにな。でも曲がこう行ってるからこうしなきゃ」と思っちゃう。そこに対する悩みを感じることもありますし、「この歌詞を50歳の僕が歌って似合うのかなあ」みたいなことも。

──そこを葛藤し始めるとなかなか大変そうですね。

例えば「小田急線」という言葉。「そういう電車の名前を今まで自分の歌詞で出したことないなあ」と思いながら、歌っているとそこが詰まってしまうんですよね。難しかった。長いし、言葉が多いし。毎回歌詞が変わっていくし。昔の曲ってリピートが多いでしょ。「想い出まくら」も「アザミ嬢のララバイ」もそうですけど、繰り返しが多いからシンプルなんですよ。でもここ20年くらいの曲って歌詞の展開が多いのね。けっこう日本のポップスも変わってきてたのかなと思います。

──明らかに情報量は多くなってきていますね。

そうですね。思い出させる言葉が多くなってる。

──なぜ情報量が多いかと言ったら、想像力を働かせて聴くことが少なくなってる。聴いてる人に対して「ここから先は語らないから、あなたが想像してくださいよ」というところが、最近の歌はよくも悪くも少なくなっている気がするんですよ。

そうかもしれないですね。ラップ調の曲がJ-POPの中でも認知されていって、言葉が多くなったじゃないですか。ポップスもちょっと、シンプルな繰り返しじゃなく、メロはちゃんとあるんだけどどんどん展開していくっていう。それもあるかなって。

──お客さんのほうがシンプルなやつだと物足りなく思ってしまう。

かもしれないですね。飽きちゃうというか。例えばTHE STREET SLIDERSの曲って、ずっと同じ言葉を繰り返してるんですよね。ザ・スターリンとかもそう。子供の頃は「なんでこれ、同じ歌詞がずっと並んでるんだろう」と思ってた。昔の町田町蔵さんも歌詞をひたすら繰り返す。その魅力って子供のときにはわからないんだけど、大人になってくるとだんだんわかってくるんですよね。自分で作り始めてみると「言葉を繰り返したい」という思いが出てくる。うまく繰り返すことによって、同じ言葉でも別の光景が生まれていくんですよ。同じ1行がどんどん繰り返されていくことの美学、みたいなものがある。歌ってる言葉は同じだけど、後半になると情景が変わっていく、みたいな曲は昔のほうが多かったですね。

「行こう」とか「行きたい」じゃなくて「行かなくちゃ」

──今作の収録曲でいうと、井上陽水の「傘がない」はまさに“繰り返しの美学”を感じさせる曲ですよね。

そうですね。すごくシンプルだけど奥が深い。

──「傘がない」はどういうきっかけでカバーすることになったんですか?

僕、就職したときに工場で働いてたんですよ。取引先のおじちゃんが毎日のようにお茶飲みに来てて、その人の車に乗り込んだときに、ずーっと井上陽水さんの曲がかかってるんですよね。井上陽水さんの曲にまともに触れたのってその人の車の中なんです。で、ソロになって「傘がない」を改めて真剣に聴いて。

──この曲に一番惹かれるのはどんなところですか?

情景がすごい浮かびますよね。あの「行かなくちゃ」っていう一節。みんな「都会では自殺する若者が」っていう一節をピックアップするんですよ。当時の社会的な背景、学生運動とかと結び付けて。だけど僕はなんだかわからないけど「行かなくちゃ 君の家に行かなくちゃ 雨の中を」という歌詞に惹かれるんです。「行こう」とか「行きたい」じゃなくて「行かなくちゃ」と書く、井上陽水さんの詩人としてのすごさを感じますね。これは初期の、処女作みたいなものじゃないですか。それで「行かなくちゃ」と書いているわけですから。

──清春さんの解釈は? なぜ「行かなくちゃ」なんでしょうか。

うーん……。単純に、僕の中で「行かなくちゃ」という言葉だけが切り離されて聞こえるんですね。学生運動があるという当時の背景とかは関係なく、単純に「行かなくちゃ 君の家に行かなくちゃ 傘がない」という一節でもいいような気がしてしまうんですよ。ここにすごい……哀愁っていうか、自分にとっての必要性、ここだけを歌いたいんじゃなかったのかな、って。

──学生運動が敗れたあとのシラケから来る時代のムードを描きたかったんじゃなくて、「君の家に行かなくちゃ」という焦燥感そのものを歌いたかった。ほかはその背景、バックグラウンドに過ぎないっていうことですか?

分析しちゃうと、そういうことだったのかもしれないですけど。僕が書くんだったら「行かなくちゃ 君の家に行かなくちゃ」をメインに持ってくるな。歌詞の1行目があまりにもインパクトがあるからそっちに目が行きがちですけど、「行かなくちゃ 君の家に行かなくちゃ」っていうところが一番グッとくると思いますね。

──「君に会いに行きたいよう」じゃ弱いわけですよね。

うん。弱い。もう「行かなくちゃ」いけないんです。約束してるんですよ。そこが強いんです。今みたいに便利じゃないから、「LINEでもして、どうたらこうたら」じゃないんで(笑)。僕が勝手に歌った感じでは、「行かなくちゃ」が一番大事。

──清春さんの歌唱も切羽詰まった感じが出ていますね。

隙間みたいなのが歌いやすいですね、この歌。言葉がすごくシンプルで、歌ったあとにけっこう隙間があるので、ずっと同じ気持ちで歌っているというより、1回歌ったあとに整理できてもう1回次に行ける感じがして。

清春が長く活動する意味

──今回、カバーを歌ってみて改めて気付いたこともたくさんあるんじゃないですか?

超ありました。「すごくシンプルじゃん」と思うことがたくさんあったんですよ。例えば「想い出まくら」。もちろん歌はうまいんだけど、その人が思うキャッチーなメロをちょっとピアノで弾けて、言いたいことだけを歌う感じ。それを周りの人が気に入ったりして「これいいじゃん、出そう」となったんだろうな、みたいなことを思いました。

──ノウハウや前例がない状態で作っていた。本当に自分の気持ちの赴くままに作っていたらこういう曲ができていた。

そう思いますね。いろんなヒット曲が生まれていくと、どうしてもヒットの繰り返しみたいなことになるんですけど、当時の曲はその繰り返しが踏襲されていないわけですよね。邪心がない、計算がないというか、蓄積としてのデータがなかった時代に生まれた曲なんです。それが今の時代にも残っている。それはすごくいいことですよね。よく言われるんですけど、今や、過去にまったく前例のない新しい曲を作るのは不可能だという前提でみんなやってるじゃないですか。データがなかった時代には戻れないわけですから、難しいですよね。でも、いろいろ組合せや工夫を凝らして、「聴いたことない!」って信じるしかない。

──オリジナルを知らない状態で今作の曲を聴いたら、どう聴いても清春さんの歌にしか聴こえないと思うんです。そこにはまさに、清春さんのオリジナリティを感じるわけですよね。

そう言ってもらえてうれしいです。それが一番やりたかったことだと思いますので。そういうところを見せるくらいしかもうないのかな。長く活動する意味というのは。