MCで「俺は芸能人様になるんだ!」って叫んでたら、本当になっちゃった
大槻 でもさ、メジャーデビューはしたものの「仏陀L」の頃はまだのんきだったよね。
内田 まだまだアマチュアバンドのノリが残ってて。
大槻 プロ意識のかけらもなかったなあ。
内田 まだ音楽をやろうとしてなかったというか、若造が考える「何か面白いことをやってみよう」という感じでしたね。
大槻 ちゃんと音楽をやらなきゃと思うようになったのはエディが抜けたぐらいからじゃない? こういう変なバンドがメジャーになったらいいなとは思ってましたけど、「仏陀L」でデビューしてから先のことはまったく考えてなかったね。
内田 こういう変なバンドがメジャーになったらいいなとは思ってましたけど、僕も先のことはまったく考えてなかった。
大槻 だって僕の高校時代の夢は「ヤマハのポプコンの関東甲信越大会に出場すること」だからね。あとは渋谷の屋根裏に出られたら俺のロック人生は上がりだと思ってた(笑)。僕が2浪して「就職先がない、もう断末魔だ!」と思っていたらメジャーデビューできたから、「これで親や近所にうしろ指さされないで済む、よかった!」って感じでしたね。でも、デビューしてしばらくはそんなに仕事もなかったね。ライブがたまに入るぐらいで。
内田 まだ、のんびりしてましたね。
大槻 それでニッポン放送の銀河スタジオでライブやって、しっちゃかめっちゃかやってたら数日後に電話かかってきて、怒られると思ったら「オールナイトニッポン」の1部をやってくれって言われて。そこからいろいろ状況が動いたんだよね。同時にバンドブームがうわっと来て。
三柴 その頃、冗談か本気かわからないんですけど、大槻さんはMCで「俺は芸能人様になるんだ!」って叫んでたんです。
大槻 それはアングラの人間がテレビに出てることのメタ的な笑い、自虐のギャグですよ。そしたら、今だとダイヤモンド✡ユカイさん、昔はかまやつひろしさんがやってた“テレビ界のロック枠”がたまたま空いてたんだよね。そこにポコっとうまく入っちゃったという(笑)。
三柴 言ってみると叶うもんですね。本当になっちゃった。
大槻 あと大きいのは、僕らが東京出身の自宅住まいだったことだよ。だからハングリー精神がないんだ。恵まれてたから「ほかの人がやらない新しいことをやってやろう!」なんてのんきなことが言えたんだよ。
内田 「仏陀L」のプロデューサーの今野多久郎さん(KUWATA BANDや「イカ天」でも活躍)から「君たちはみんな実家住まいかい? それはよかった。続けられるね」って言われたのを覚えてる(笑)。
大槻 今野さん、いい人だよね。自分の服をスタジオに山盛り持ってきて「大槻、どれでも持ってけ」って。真っ白なデッキシューズとか、水色のポロシャツとかくれるの。「自分、パンクなんすけど……」とは思ったけど、くれるから真っ白なデッキシューズとか履いたよ。
三柴 「仏陀L」には当初「高木ブー伝説」が入る予定で、前奏と後奏にファンファーレみたいなの付けてよって大槻さんに言われて、僕がオーケストラっぽい譜面を書いたんです。そこにティンパニを入れてたんだけど、「僕が叩くよ」って今野さんが叩いてくれたんだよね。スペクトラムっていうブラスロックバンドのパーカッション担当だったから。結局「高木ブー伝説」は入れないことになって、もったいないからその前奏を「オレンヂ・エビス」、後奏を「ペテン師、新月の夜に死す!」に付けたんです。
内田 本来「仏陀L」に入る予定だったものは、のちに「筋少の大水銀」というベストを出すときに完全再現しましたね(「高木ブー大伝説」として収録)。
エンジニアが突然アアーッて叫んでフェーダーを全部下げてオジャンにしちゃった
──「オレンヂ・エビス」「ペテン師、新月の夜に死す!」などの筋肉少女帯の楽曲は、三柴さんの「LA PASSION」にピアノソロバージョンで入っています。
大槻 「オレンヂ・エビス」は筋少初代ドラマーの鈴木ナヲトくんが作った曲ですね。ナヲトくん、今どうしてんのかな?
三柴 ピアノ編曲に際して許可をもらうために出版社が連絡したら、ナヲトさんのお父さんが電話に出て「本人とても喜んでます。ぜひ出してください」と言ってたらしいので、元気そうですよ。
大槻 えっ、あのお父さん?
三柴 あのお父さんと言われても僕は知らないんだけど(笑)。
大槻 僕が子供の頃から知ってる花屋のお父さんですよ。ナヲトくん会いたいな。筋少最初期のメンバーだけど、その後ジャズが好きになってジャズドラムをやって、さらにジャズギターを始めたんだよね。筋肉少女帯の最初のライブをやった新宿JAMの帰りも、ナヲトくんちの2階でアップルティーを飲ませてもらったなあ。KERAさんの「さよなら招き猫」はナヲトが作った曲ですね。お互い10代でトンがってたから、ナヲトに「お前がやってるのは音楽でない。この野方の商店街で俺がドラムを叩く。お前は包帯巻いてギャーギャー騒げ! どっちが勝つか勝負だ!」みたいなこと言われて、それっきりになった記憶があります(笑)。
三柴 「ペテン師、新月の夜に死す!」は僕んちで内田さんと2人で作ったんだよね。
内田 アルバム「仏陀L」用に書き下ろした曲ですね。僕がサビを作って、エディがそのほかの部分を作って。
三柴 内田さんは本当に心に染み入る曲を作る人なんです。僕が辞めてからグループサウンズ的な曲も作るようになったんですけど、その前はプログレ色のある感動的な曲をたくさん作られていて。「孤島の鬼」とか僕、大好きなんです。共作するときにピアノソロを作って、これをオーケンに歌わせようと言ったら「そんなの歌えるわけないじゃん」言われて。それで内田さんがサビを作って、まとめたんだよね。
内田 そうか。
三柴 これはピアノソロに編曲したら、弾くのがすごく難しかった(笑)。
内田 この曲、「仏陀L」のときはトラックダウンが大変だったんだよね。
三柴 エンジニアの人が悩んじゃって。こういうバンドをやったことない人だったんでしょうね。だいたいできあがったのを僕と内田さんで聴いてたら、突然アアーッて叫んでフェーダーを全部下げてオジャンにしちゃった(笑)。
内田 何時間もかかってんのに。
三柴 もうわからなくなったんでしょうね。このボーカルで、このドラムで、どうやってミックスしたらいいんだ?って。たぶん初めての経験だったと思います。
大槻 僕のことも、今までのボーカルとまったく違うから今野さんも指導のしようがなくて。「サンフランシスコ」なんて一発歌っただけで「大槻、オッケー!」って言われたよ(笑)。でも、ギターには厳しくて、(関口)博史さんは「うーん、つまんない! もう1回!」って何度もソロをチャレンジさせられてた。
三柴 でも、僕もオーケンのボーカルディレクションをやったことあるんですけど、一発目のテイクが一番よかったりするんです。細かい音程を合わせると、かえって変になっちゃう。
──三柴さんの「LA PASSION」には「SISTER STRAWBERRY」からの楽曲「キノコパワー」も収録されていますが、この曲はもともと「ゴー・ウエスト」という仮タイトルだったというのは本当ですか?
大槻 そうそう。「仏陀L」を出したあとぐらいから、どんどん新曲を作っては即興の歌詞でライブで歌ってたんです。この曲も暫定的に「ゴー・ウエスト」って歌ってたら、ファンの子から「『キノコパワー』と歌っている新曲はいいですね」というお手紙をいただいて(笑)。その聴き間違いに大ウケして、タイトルを「キノコパワー」に変えたんです。
三柴 今回の「キノコパワー」のピアノ編曲はめちゃくちゃ大変でした。やっぱりやるからには横関(敦)さんのギターパートもコピーしなきゃなと思って、掛け合いを全部1人でやってます(笑)。あとは細かい話になりますけど、上がスタッカートなのに下のベースは伸びてるところがあって、あまり使う人がいないグランドピアノの真ん中のペダルを使ってます。今、ソロコンサートに向けて練習してるんですけど、これを先にやるとほかの曲が弾けなくなっちゃうくらい大変ですね。
内田 普段使わないペダルも踏んで。
三柴 静かな曲だとときどき使うんだけど、激しいのだとなかなか。徳間ジャパンのディレクターの方から「よかったら筋肉少女帯と一緒にベストアルバムを出しませんか?」というお話があって。「ここは一発ドカンと派手な曲も入れてください」って言われたので、じゃあ「キノコパワー」だなと思ったんです。そしたらつらかったです(笑)。
──ピアノでの筋少カバー企画は、もともと大槻さんのアドバイスから始まったそうですね。
三柴 大槻くんってときどきヒントをくれるんですよ。
大槻 「リチャード・クレイダーマンみたいなのやれば?」とかね。無責任な言葉(笑)。
三柴 「そうやって音楽の勉強をすればするほど売れなくなるよ」と言われたこともあります(笑)。
大槻 「世の中の人が聴きたいのはマニアックじゃないから!」
三柴 でも、それは本当にそう思います。大槻さんの言うことはけっこう当たるので、いつか僕もみんなにわかりやすい曲をニコニコ笑って弾く日が来るのかな?(笑) 筋少カバーに関しては、大槻さんの歌の高揚感や最後のシャウトをピアノで何とか表現したいと思ってがんばったので、やったほうとしてはカタルシスを得られましたね。
──ほかにもTHE金鶴の新録「Starlight ~ OVA戦闘妖精雪風より」やドビュッシーの「月の光」、Toto、Queenのカバーのピアノソロバージョンなどが収録されています。
内田 新東京の曲も入ってますし。
三柴 「上半身 girl」ですね。
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オーケンが考える「この歌詞はうまくいったベストテン」