どうだ、木村竜蔵の曲は難しいだろう
山川 その感覚がわかるから、今回の僕たちのデュエット曲(2024年12月にリリースされた鳥羽一郎・山川豊「俺たちの子守唄」。作詞作曲を木村竜蔵が手がけている)も作れたんだろうね。なんでこんなに僕らの思いがわかるのかな?と思ってたんです。「海女小屋」ってフレーズが出てくるんだけど、歌っていると、学校へ行かずに母親のいる海女小屋へ行って迷惑をかけていた記憶がぶわーっとね……すごかった。見事すぎて、鳥肌モンでしたよ。
竜蔵 詞はすごく2人に寄り添ったつもりなんですけど、たぶんメロは歌いづらかったと思います(笑)。
鳥羽 演歌にはあまりないような譜割でね。拍の裏から入ったりするのって、演歌の人は得意じゃないんだよ。
山川 僕ら、楽器でキッカケをもらわないと歌えないんですよ。今回のように自分でリズムを取って歌うというのは、兄貴にとっても僕にとっても新しい挑戦でしたね。楽器に頼らず、体で覚えていかないといけないっていう。
竜蔵 特にサビのシンコペーションで掛け合うところが顕著なんですけど、リズムの考え方がまったく演歌的ではないんですよ。ポップス的というか、ジャズやロックに近い。でも、徹二にもそういう曲を歌ってもらってる分、2人にもチャレンジをしてもらおうかなっていう。
徹二 「どうだ、木村竜蔵の曲は難しいだろう」と思いながら見てます(笑)。
山川 はははは。
徹二 でも、その難題に取り組む2人の姿勢には学ぶところが多くて。レコーディング現場に見学に行ったんですけど、普段歌い慣れていないメロディに苦戦しながらも、2人とも「この程度でいいか」では絶対に済まさないんですよ。詰めて詰めて「もう1回録ろう、もう1回録ろう」の繰り返しで。このキャリアでそこまで突き詰めたレコーディングができるのもすごいし、自分もこうでなきゃいけないなと痛感させられました。
鳥羽 レコーディングのときは豊の体調面の問題もあったんだけど、どうも歌声が胸に迫ってこないわけよ。それで俺がちょっとわがままを言って、「いや、もうちょっとうまく歌えるだろう!」「もう1回やってみな!」ってね。いい歌なんで、完璧に仕上げたいという思いもあって。
山川 やっぱり詞がいいんで、気持ちが入りすぎちゃうところがあってね。頭ではわかってるんですよ。「詞に酔いすぎて、技術にまで気を回せていないな」というのは。そこをどうにか乗り越えていい歌が録れたので、根を詰めてやってよかったなと思いましたよ。
木村家が演歌界を牛耳っていく
鳥羽 俺と豊が2人で歌うっていうのは、ありそうでなかったことでね。「NHK紅白歌合戦」のステージで俺の「海の匂いのお母さん」を一緒に歌う機会なんかはあったけども、2人のデュエット曲を出すというのは今回が初めてで。豊が日本クラウンに移籍して、レコード会社が同じになったことで実現したんだけども。
竜蔵 子供心に「なんで一緒にやらないんだろう?」というのはずっと思ってたんですよ。「2人が合体したら絶対に強いのに!」というイメージはずっとあったんで、今回ようやくあるべき姿を形にできたなという感慨はあります。
山川 事務所やレコード会社の事情なんて、子供にはわからないからね(笑)。僕らが若い頃なんて、会社が違えば兄弟だろうが関係なくバチバチでしたから。歌手として世に出るためには、それくらいの覚悟が必要ってことですよ。そういう経験をしてきた我々からすると、今のテツは大事な時期だと思いますね。勢いが出てきているので、ここでガーンと行かないと。世間はいつまでも待っていてはくれないですから、大事なのは今ですよ。テツだけががんばっていてもダメで、周りのみんなが一丸となってこの勢いに乗っていかないといけない。
徹二 僕としても、どうせ出るんだったら1人よりもみんなで出たほうが面白いかな、という気持ちはあります。
山川 応援に行きますよ。テツが歌ってる後ろで大漁旗を振ったりとか(笑)、そのくらいのことはいつでもします。
徹二 いやいやいや、応援というか(笑)。今度、「NHKのど自慢」にも2人で呼んでいただいてるじゃないですか(※2025年7月6日の放送回に山川と徹二がゲスト出演予定)。
山川 「のど自慢」に一緒に出られるというのはね……今はどうかわかりませんけど、僕らの時代は歌手にとって1つのバロメーターになる番組でしたから。
鳥羽 そう。もちろん「紅白」もだけど、「のど自慢」に出るというのも1つの大きな目標でしたよ。今は地上波であんまり歌番組というものがないじゃないですか。演歌歌手がお茶の間に存在をアピールできる貴重な場になってるんで、その番組にデビュー3年目ぐらいで出させていただけるというのはね……まあ弟も一緒ということで、心強いとは思うけどね。
徹二 僕が番組に呼んでいただけるよう、陰で尽力してくださったスタッフさんがたくさんいらっしゃるんですよ。彼らの期待を裏切るようなことはしたくないですし、がんばらなきゃなとは思うんですけど、すべての現場で心がけている“楽しむこと”をまずは大事にしたいなと思っています。それがお客さんにも伝わると僕は信じているので。
山川 繰り返しになりますけど、テツの歌は今じわじわ“来てる”んですよ。それを僕らも肌で感じているんです。あとひと押しだなっていうね。「のど自慢」はその“ひと押し”になり得る場だと思いますね。
鳥羽 弟がこうやってテツを臆面もなく持ちあげてくれるのは、すごくありがたいんだよ。俺はほら、親子だからさ、あんまりヨイショもできないし(笑)。親父が言うのははばかられることでも、叔父さんが言う分にはそんなに気に障らないじゃない。
竜蔵 親父は子育てのスタンスもこういう感じなんですよ(笑)。放任主義というか。
徹二 で、やっぱり最終的には4人で「紅白」に出たいですよね。親父や豊さんが「紅白」で歌う姿は子供の頃から誇らしい気持ちで観ていましたし、普段演歌の番組を観ないクラスメイトたちも「紅白」だけは観てましたから。あの場に4人がそろいの衣装で立つことが“木村家の完成形”なのかな、とは思っています。それ以上望めるものはないんじゃないかなと。
竜蔵 木村家が演歌界を牛耳っていくと思います。はい。
鳥羽・山川・徹二 (笑)。
竜蔵 日本クラウンも乗っ取りますから。
山川 それ、クラウンの社長が冗談で言ってたんだよね(笑)。「木村家に乗っ取られるー!」って。
竜蔵 でも真面目な話、世間の皆様から見て「芸能界で仲のいい家族といえば?」で最初に思い浮かぶのが我々になってくれたらうれしいな、という思いはありますね。そうなったら、やっててよかったなと思える気がします。
プロフィール
鳥羽一郎(トバイチロウ)
1952年生まれの演歌歌手。三重県の漁業の盛んな街で漁師の父と海女の母の間に生まれ、17歳から遠洋漁業のマグロ船やカツオ船の漁船員を5年間務める。その後、調理師免許を取得して板前の修業をするが、歌手になるため27歳で上京し、船村徹の内弟子に。約3年間の修行を経て1982年8月に「兄弟船」でデビューを果たす。1998年には「龍神」で「第40回日本レコード大賞」最優秀歌唱賞を受賞。漁船海難遺児育英会へのチャリティ活動を1988年から続けており、これまでに何度も紺綬褒章を受章している。
山川豊(ヤマカワユタカ)
1958年生まれ、三重県出身の演歌歌手。兄は演歌歌手の鳥羽一郎。1981年に「函館本線」でデビューし、1986年に「ときめきワルツ」で「NHK紅白歌合戦」に初出場した。1998年リリースのヒット曲「アメリカ橋」は、その後発売された「ニューヨーク物語り」「霧雨のシアトル」とともに“アメリカ3部作”として話題に。デビュー35周年を迎えた2016年発売の両A面シングル「再愛 / 蜃気楼の町から」は「第49回日本作詩大賞」に入賞、「第58回輝く!日本レコード大賞」では日本作曲家協会選奨を受賞した。また演歌歌手のほかにボクサーとしての顔も持ち、プロボクシングトレーナーのライセンスを保持している。
山川豊 - 最新ニュース|日本クラウン株式会社 クラウンレコード
木村竜蔵(キムラリュウゾウ)
1988年11月29日に演歌歌手・鳥羽一郎の長男として生まれ、幼い頃から音楽やエンタテインメントが身近にある環境に育つ。高校在学中の2006年にインディーズで初作品となるシングル「愛しい人よ / Flower」を発表し、ライブ活動を続けながら音源を発表。2012年9月にクラウンレコードからミニアルバム「6本の弦の隙間から」でメジャーデビューする。2013年1月に1stシングル「舞桜」を発表し、その後に全国各地の桜の名所で弾き語りライブを敢行。2014年4月に恋愛をテーマにしたミニアルバム「恋愛小説」、2015年6月に初のフルアルバム「碧の時代」をリリースした。2016年に弟・木村徹二とのポップスデュオ・竜徹日記を結成。美川憲一、水森かおり、山口かおる、城之内早苗らに楽曲提供を行い、作家としても注目されている。
木村竜蔵 - 最新ニュース|日本クラウン株式会社 クラウンレコード
木村徹二(キムラテツジ)
1991年7月11日に演歌歌手・鳥羽一郎の次男として生まれる。幼い頃から演歌に惹かれ、高校生時代から多くのステージに立つようになり、2016年に実兄の竜蔵に誘われる形で兄弟ポップスデュオ・竜徹日記を結成。2022年11月にシングル「二代目」を発表し、演歌歌手としてソロデビューを果たす。2023年放送のTBS「第65回輝く!日本レコード大賞」では新人賞を受賞した。2025年2月に3rdシングル「雪唄」をリリース。