Karin.|「solitude ability」をショートフィルム化 表現者が語る青春と孤独

Karin.が、10代最後のアルバム「solitude ability」をリリースした。

10代のうちに作った曲で構成されたこのアルバムをもとに、2部構成のショートフィルム「solitude ability -過去と未来の間-」「solitude ability -涙の賞味期限-」が制作され、監督・脚本を枝優花が、主演を伊藤万理華が務めた。美しい映像と、解釈の余地を残した脚本からなるショートフィルムは、現代を生きる人々の心に寄り添いながら、明確な“正解”ではなく、1つの血の通った真実を映し出している。

音楽ナタリーではKarin.、枝、伊藤にインタビュー。このショートフィルムを制作するにあたっての経緯や、それぞれの抱える孤独、忘れられない青春の記憶について、さまざまな話を聞いた。

取材・文 / 長嶋太陽 撮影 / 伊藤元気

「solitude ability」がつないだ、3年越しの出会い

──ミュージックビデオではなく、アルバムから着想したショートフィルムが制作されるのは珍しい試みだと思います。まずは、どういう経緯で実現に至ったのか教えてください。

Karin. アルバムを作るにあたって、当時まだ発表していなかった曲を聴き直していたんです。曲のストックが本当にたくさんあって、スタッフさんと一緒にそれを聴いて選ぶ中で、「なんだか伊藤万理華さんが浮かびます」と独り言のように言ったんですよね。ぼそっと。

──1つの曲のイメージではなく、アルバムとして曲を集める中でそう感じたんですか?

Karin. そうですね。抽象的なんですけど、ガラスの破片のようなイメージが浮かんで。CDの裏面って反射によって光って見えるじゃないですか。キラキラが角度によって違って見えるあの感じ。それがアルバムのイメージと、そして伊藤さんと重なったんです。それを伝えたら、マネージャーさんが「相談してみよう!」と言ってくれて。そのときはまさか実現するとは思わなかったんですけど。

伊藤万理華 それで「映像制作のプロデュースに関わってほしい」というご連絡をいただいたんです。プロデュースというお話をいただいたのが初めてで……すごい責任じゃないですか。自分には今はまだ難しいんじゃないかな、と思いました。ただ、映像を作るとして監督は誰がいいかな?と考えたときに、枝監督が一番最初に思い浮かんだので、それをお伝えさせていただきました。

左から伊藤万理華、Karin.、枝優花。

──そうやってパスがつながっていったんですね。

枝優花 スケジュールがどうしても合わなくて一度断ってしまったんですけど、その後いろいろな奇跡が重なって、なんとか実現できました。昨年末から、すごいスピードで制作が進みましたね。楽曲の資料をいただいて、そこから脚本を考え始めました。

Karin. 私は曲を作るときに必ず設定を作っていて。この曲はこういう場所、こういう感情っていうのをまとめてお渡ししたんですけど、本当は枝さんにすべてを委ねたいなと思っていたんです。

 終わったから言えるんですけど、曲についての詳しい資料を読んでしまうと、イメージがそこに引っ張られすぎてしまうので、薄目で見ました(笑)。歌詞をしっかり読んで、やってほしいことと、やってほしくないことだけ聞いて、脚本を仕上げましたね。それで年明けに伊藤さんに相談しました。

伊藤 いつの間にか話が進んでた!と思って、すごくうれしかったです。枝さんとは、雑誌「装苑」の連載が隣のページで(笑)。でもこれまで会ったことはなくて。個人的にずっと見ていました、3年間くらい。どこかで巡り会うだろうなって期待して待っていました。

──3年越しの出会いをKarin.さんの作品がつないだということになるんですね。

Karin. これまでの自分には想像がつかないようなことです。本当にうれしいですね。

個人的な感覚、感情が、初めて作品によって昇華された

──「solitude ability -過去と未来の間-」と「solitude ability -涙の賞味期限-」を観て、あえて説明をしないというところに作り手の意志を感じました。まずはKarin.さんと伊藤さんがこのストーリーをどう受け取ったのか、聞いてみたいです。

Karin. 「solitude ability」という私のアルバムが、この物語、この映像によって、より確かなものになったんじゃないかなと感じています。相手のことを大切に思っているのにそれを言葉にしたら薄っぺらく感じることってありますよね。そういうもどかしさのような繊細な感情が映像を通してすごく伝わってきました。

──自分の音楽から派生したショートムービーが生まれるというのは、ミュージシャンとしてもなかなか経験できないことですよね。

Karin.

Karin. 本当に。音楽は聴くものだから、目には見えない。でも映像によって新しい感情の輪郭が見えて、それがうれしくて。音楽仲間とよく話すんですけど、いつも目に見えない音を作っているから、「目に見える何かを作りたい」という思いが生まれてくるんですよね。耳と目、それぞれの受け取り方の違いがあるのかなって。

──伊藤さんは、この物語をどのように受け取りましたか?

伊藤 性別とか、気持ちの揺らぎとか、境界線がやわやわしていて。それは自分自身の感覚とも重なります。何か1つの正解を決めつけることに対して、ずっと、こう、反発心を持って活動してきたんです。アイドルをやっていたときも、お芝居をやるときも、そういう気持ちを大事にしていて。お話の中に細かい説明がないからこそ心の奥で納得できて、入り込める、というか。そんなことを感じていました。

 さっき伊藤さんが「ずっと見ていた」と言ってくれてましたけど、それは私もなんです。特に、髪の毛をバッサリ切られたときにめちゃくちゃいいなと思って。SNSで発信している内容とか、カテゴライズされることをあまりよしとしていない姿勢とか。自分を決めつけられることに対して、ものすごく、こういう(中指を立てる)姿勢を感じて。相手が求めることをするのではない。それがいいなって。自分の中には「こういう伊藤万理華を、誰か撮ってくれ!」というイメージがあったし(笑)、それを「裝苑」の担当の人にも話していたんですけど、今回のお話があって。そして、Karin.さんの楽曲を聴いて、「うおっ!」と思って。

──いろいろなピースがハマっていった、と。

 そうです。2、3年前くらいから、自分の中で、女性、女の子という性別に関して、いろいろ感じるところがあって。例えば自分が作ったものを観た人の反応として、「男女が出たら恋愛の話」と言い切っている人がいたんですけど、男女が出る=恋愛とは限らないじゃないですか。あと、女の子2人が出る作品には「これは百合(女性同士の恋愛)の話ですよね」って言われて。そう捉えてもいいけど、それが正解ってわけでもないよな、とか思って。世間は曖昧なラインを曖昧なままで受け止めることができないということに、なんだかモヤモヤしていたんです。なんていうか、「決まった答えを知って安心したいんだな」って。自分のSNSにメッセージを送ってくる子たちは、そういう曖昧なところに自分の足で立っていたりするし、そういう人たちが肯定されるような物語を作りたいな、と思って。

──そういう考えがあったんですね。

 もしかしたら「solitude ability」のショートムービーで、学ランを着た伊藤さんを観て「性同一性障害の話だ」と思う人もいるかもしれない。「男なんですか? 女なんですか?」って聞く人もいるかもしれない。でも、そうやって何かを区別して安心するのは、本質ではないと思うんですよね。そこに興味を持っちゃう感覚もわかるし、自分も「これどっちなんだろう?」って絶対考えちゃうと思うけど。そこで思考が止まっちゃいけない、というか。

──曖昧な表現をそのまま受け入れるということを意識すべきなのかもしれません。

 そうなんです。去年、男の友達と飲んでて、その友達がぽろっと言った言葉がけっこう自分の中に残っていて。「俺は男で、異性愛者なんだけど、たまに自分の心の中に女の子がいて、この女の子が、枝さんのことを『わ! 好き!』って思うときがある。恋愛的な好きじゃなくて、多分女として女友達が好きみたいな感覚。男として女友達の枝さんが好きという感情とも違う。俺の心の中の女の子が、枝さんを女友達として好きって思う瞬間があるんだよ」って。「それ、わかる!」って思いました。私の中にも男の子がいて、男友達のことを「うわっ! こいつ最高だ、好きだ!」ってなるんですよね。その友達には、「この微妙なニュアンスを映像化してほしいな」って言われて、「そんな難しいことあるかい!」って思いながら、ずっと自分の中に残っている言葉だったんです。今回少し形にできたのかな。だから、性別云々というか、自分の心の眼差しで観てほしいっていう感じです。

左から伊藤万理華、Karin.、枝優花。

──伊藤さんは、アキという人物を演じてみて、どう感じましたか?

伊藤 「どっちかわからなくて悩んでいる、抱えている、決めなきゃいけない世の中にうんざりしている」みたいな、誰にも言えないような感覚は、自分の中にもありました。実は、撮影した時期、アキのそういう姿勢と私の心の状態が重なっていました。つたないしゃべり方とか、モヤモヤして、言えない、全部イヤだ!みたいな感覚が、ただただ重なって。

 そうだったんだ。

伊藤 そうなんです。アキになれて、自分のそういう感覚が作品の中で昇華された、というか。個人的な感覚、感情が、作品によっていい形になったのは初めてでした。「ああー」っていう、ダウナーなテンションのままで、うまく……うまく演じられたかはわからないです……。