HY「RAINBOW」 PR

HY|20周年イヤー 続けることで見えたカラフルな虹

来年結成20周年を迎えるHYが、20周年プロジェクトの第1弾として5人は昨年ベストアルバム「STORY~HY BEST~」を発表した。このアルバムを携えて行われた47都道府県ツアー「HY STORY TOUR ~うさがみそーれ めんそーれ そーれそれそれ ゆくいみそーれ~」のチケットは全公演ソールドアウト。バンド史上最高の8万人動員を記録するなど話題を呼ぶ中、20周年プロジェクトがスタートした。

雨のあとにかかる虹を人生になぞらえ、聴き手に希望や勇気を与えることを大きなテーマとして作り上げられた本作。ライブで一体になることを意識し、日常のさまざまなシーンで湧き上がる感情をリアルに掬い上げた全13曲には、老若男女すべての人を笑顔にするポジティブなパワーが込められている。まさに虹のようにリスナーとの心をつないでいく懸け橋となる本作は果たしてどんな思いで作られていったのか? これまでの活動の振り返りとともにじっくりと話を聞いていく。なお、宮里悠平(G)は療養期間中のため欠席。今回は4人へのインタビューとなった。

取材・文 / もりひでゆき インタビューカット撮影 / 小原泰広

“バンド”というより“エンタテイナー”になってきた

──来年迎える結成20周年に向けたキックオフアルバム「RAINBOW」がリリースされます。今の率直な気持ちをまず聞かせてください。

新里英之(Vo, G)

新里英之(Vo, G) さまざまな経験をしながら作ってきた自分たちの音楽に背中を押されつつ、ここまでバンドを続けてこられたことへの自信も感じています。そのうえで、20周年を素敵に迎えるための“虹”をかけていきたくて今回のアルバムを作ったんですよね。より自分たちらしく、のびのびと自由に羽を広げ、今まで以上にパワフルに進んでいこうっていう気持ちがアルバムにはすごくこもっていると思います。

名嘉俊(Dr) 去年8月のベストアルバム(「STORY~HY BEST~」)とトリビュートアルバム(「CHANPURU STORY~HY tribute~」)で弾みをつけたうえでのオリジナルアルバムですからね。20周年のお祝いという意味ではすごくピッタリな内容になってるんじゃないかな。

──本作には聴き手の日常に寄り添いながらポジティブな感情をストレートに曲へと乗せるHYらしさがたっぷり詰め込まれていると感じましたが、これまでの歩みの中ではバンドとしての変化を感じる瞬間もあったりしましたか?

新里 HYとしての土台はまったく変わっていないと思いますね。沖縄という土地で、メンバー全員が作詞作曲したものを、みんなで助け合いながら1つのアルバムにしていくというスタイルは今も一緒なので。

仲宗根泉(Key, Vo) うん。でも、20周年を目前にした今感じるのは、バンドというよりはエンタテイナーのようになってきた気がするんですよね。音楽自体はもちろん、メンバーみんなのトークスキルも上がっていたりするので、いかにお客さんを楽しませることができるか、いかにエンタテインメントとしてのライブを作り上げられるかっていうことをすごく大事にするようになったというか。

名嘉 そうだね。ライブへの向き合い方は大きく変わったかな。昔はステージでちょっと何かアクシデントがあるとめちゃくちゃ動揺してましたけど、今は何があっても動じない。その場その場で自由に、まるでボラのように流れていくっていう(笑)。みんなの背中を見ながらドラムを叩いていると各自のパフォーマンスのレベルアップをすごく感じることができるので、ライブはどんどん楽しくなってますよ。だからこそよりエンタテインメントを追求できるようにもなっていったんだと思う。

許田信介(B)

新里 自分の中で「俺ってお笑い芸人なの? ミュージシャンなの?」っていう狭間で迷うときもあるけどね(笑)。でも思い切り楽しんでくれているお客さんを見ると、「あ、これがHYらしさなんだな。もっとはっちゃけても大丈夫かもな」って思ったりもするんですよ。

許田信介(B) 肩の力を抜いて柔軟に、いろんなことをライブでできるようになってきているとは思いますね。で、それが楽曲制作にもしっかり反映できているし。

仲宗根 そうそう。昔より今のほうがライブのことを意識して作る曲が増えてますから。今回のアルバムもそうですけど、「ここでこういうフレーズ入れたら手拍子してくれるかな?」とか「ここでみんな一緒に歌ってくれるかな?」と思い描きながら曲を書くのが普通になってます。

このメンバーだったから

──では、これまでの活動の中で迷ったり悩んだりしたことはありませんでしたか?

名嘉俊(Dr)

名嘉 いや、それはもういっぱいありましたよ。悩んでばっかり。自分たちでレーベル立ち上げた前後はめちゃくちゃ迷ってましたし。

許田 個人的に一番キツかったのは3枚目のアルバム(2004年発売の「TRUNK」)のときでしたね。アルバム前にツアーで全国を回っていて、沖縄に帰れない日々が続いていたんですよ。それが本当につらすぎて、メンバー同士もコミュニケーションがうまく取れなくなってしまったんです。小さなことでぶつかったりもしましたし。で、そんな中で3枚目のアルバム制作をしなくちゃいけないという。

仲宗根 長いツアーが終わってすぐさま「じゃあ次のアルバムを」ってことになって、缶詰状態で作り始めたからね。それまでの私たちは好きなときに、好きなように曲を書いていたけど、そのときは締め切りが決められていたから。結果、ストレスでいっぱいいっぱいになってしまったっていう。

──2004年前後はHYが大きなブレイクスルーを果たしたタイミングでした。周囲の状況が大きく変化したことでの葛藤やもがきがあったわけですね。

名嘉 長いツアーを終えて、沖縄に帰ったらHYの周りが祭りみたいな状況になってましたからね(笑)。「え、何これ? どうしよう」って動揺したけど、1カ月後からはレコーディングがスタートする。手元には新曲が1つもない。メンバーも疲れ果ててる。ほんとヤバい状況だったと思いますね。

──でもHYはその状況に押しつぶされることなく乗り越えたわけで。その一番の理由ってなんだったと思いますか?

仲宗根 メンバーだよね。

名嘉 うん。やっぱりこのメンバーだったからじゃないかな。みんなが「はい、おーしまい」って言ってたら、HYはあのとき絶対に終わってたはず。でも僕らはそうは言わなかった。つらい状況ではあったけど、「また次を作ろう」「次を作りたい」って気持ちになれたから。

──メンバー同士の関係性はこの19年でまったく変わらないですか?

仲宗根泉(Key, Vo)

仲宗根 うん。もちろんね、一緒にごはん食べたり遊んだりするのは若いときと比べてかなり減ってはいますけど、個々のことを理解する力は今のほうが確実にあるし、なんなら今のほうが仲がいい気はしますよ。昔から仲のいいバンドではあるけど、単なる仕事仲間という感覚ではなく、まるで家族のような絆が年々深まっているというか。

名嘉 そのへんは自然とみんな感じ取っている部分はあるよね。信介だけには毎年確認するようにはしてますけど。「どうする? 辞めるか?」って(笑)。

仲宗根 信介を辞めさせるかどうかの確認ね(笑)。

許田 そういうプレッシャーは常にありますね(笑)。だからがんばってやる気をアピールしないといけないですね。あははは(笑)。

名嘉 まあでも真面目な話、メンバーみんなに助けられ続けている実感はありますよ。ファンの皆さんの存在と同じくらいメンバーに支えられているなって。

仲宗根 あとは5人それぞれが書く曲に対して尊敬できていることも大きいんだと思います。「HYは俺の曲で成り立っているんだ」みたいなことを思うメンバーが1人もいないんですよ。私なんかは、ほかの4人が書く曲には絶対敵わないと思いながらずっと活動してきましたからね。だからこそ負けないようにがんばれる。尊敬を抱きつつ、ライバルのような関係でもあるからこそここまで続けてこられたんだろうなと思いますね。